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竹の会回顧録(平成20年)~都立西への道程、努力した4年の歳月~

2015.10.28

★都立西高等学校 合格(女子)

 

彼女が竹の会に入会したのは、小6の4月のことであったか。

某国立大附属を受験したいということで竹の会にやってきた。竹の会はいたって小塾であり、中学受験もたいてい1人か2人程度しかいない(ただし, ここ数年は公立中高一貫校ブームでやや増え気味です)。

彼女は無口で物静かというか、ほとんど話すことがなかった。

私にも必要なときにボソッと一言いう程度であった。知能は優秀で、なによりも言われたことを確実にこなす実行力は感嘆すべきものがあった。

 

竹の会には平成13年に都立西に合格を果たした男子がいたが、その男子も類まれな実行力を持ちあわせていた。頭脳明晰にして実行力抜群というのは、都立西に合格した2人の共通点であった。

 

彼女は、中学受験で某国立大附属1校だけ受験した。しかし、失敗する。中学でも竹の会でやりたいという強い申し出により、中学3年間を竹の会で過ごすことになった。

 

私の記憶にはいつもほとんど休むことなく竹の会にやってきて、黙って勉強していた姿が焼き付いている。彼女は中2の1学期になって、理社特別指導に申込み、夏は長時間コース、2学期からパスポートになったと思う。

 

それにもまして私を感動させたのは、彼女と彼女のご両親の教育にかける情熱であった。

彼女は、季節講習を一度として申し込まなかったことはなかった。どんなことがあっても出た。そしていつも長時間コースを申込み、黙々とまるで日常のこなし仕事のように勉強を継続した。

 

中間・期末の結果はいつも私に提出してきた。

彼女の通う中学は内申のつけ方がフェアーではなく、90点をとったのに3とか、2をつけられた科目があり、私はとても憤慨するとともに、学校教師に不信をもった。

この内申のつけ方には、今にいたっても不信がくすぶり続けている。80点以上を連続してとり続けても3しか評点をつけない教師というのはどういう人間なのであろうか。内申は絶対評価制なのだから、ますますおかしい。

彼女が竹の会の長時間コースに必ず出たというのは、実は竹の会のひとつの合格パターンではあった。過去、竹の会からは早稲田実業高等部に合格しているが、この合格者にしても、この合格方パターンを満たしている。いやこれは過去の難関校合格者の必須パターンである。

彼女の受けた指導は、ちょうど竹の会が、オリジナルテキストによる指導からレジュメ指導に転換する時期の指導であった。あの時期、書き下ろしのレジュメが指導に使われた。高校入試数学の書き下ろしレジュメが初めて受験に使われたのも彼女の受験の時であった。私はよく彼女に分厚いレジュメ集を渡した。彼女は忘れた頃に、全部やりあげて提出したものだった。彼女は課題を決して流すことはなかったのだ。

 

私は彼女のために理科や社会の詳細なレジュメを調整して、渡した。

国語が弱ければ、国語の問題プリントをどっさりと渡した。独自校の英語対策として、かなりの量の英文解釈を課した。単語集の暗記も指示した。私の「入試英語指導案」は, 50回以上やることを指示した。

 

もちろんその前段階の「英語指導案」は最低3回はやらせた。理科と社会は塾用市販教材を使うことにしていた。このテキストを10回以上まわすのが課題であった。数学はレジュメ1本であった。

私の数学レジュメは難関校から中堅校までの重要問題につき、詳細な解答をつけたスグレモノといえた。優秀な生徒ならこの私の数学レジュメで驚異的な力をつけていける。もちろん直前期には, 過去問を時間をはかって何度となく練習させた。

 

彼女は私の受験指導技術を信頼しきっていたように思う。

彼女は実は中1の時から、都立西に行きたいと密かに思い続けていたことを、合格の時に彼女のお母さんから知らされた。私のやりたいことをすべて十分にやりきるには、通常指導のパスポートコース(注釈:当時のコースで、竹の会指導時間すべてに参加的できるコース)では無理で、パスポートコースも必須といえた。

難関をめざしているのに、このパターンをとらずに、合格するということはありえない。

 

合格後、彼女のお母さんからいただいたお手紙は、感謝のことばで満ち溢れていました。

私はこの手紙を大切に大切に保管しています。今までの苦労が吹き飛んでしまうような心のこもった手紙です。胸が熱くなり、落ちた涙が手紙に滴り落ちて染みが残ってしまいましたが、大切な思い出の手紙です。

 

追記

竹の会の合格記録には、2人の都立西合格者が記されている。

いずれも小6入会から中3まで竹の会で私の受験指導に従ってきたことで共通している。しかも、2人はともに中学時に漢検2級に合格していることでも共通している。

私はもともと、秀才と言われる子たちを指導することを最も得意としてきたということは、知らない方も多いかと思います。

ところが竹の会のような小塾には秀才などはほとんどきません。

たいていは皆、大手にいってしまいますから。

竹の会には大手ではやっていけそうにない子たちが多くやってきました。そういう中で私はそういう子たちの指導法について悩むことになったのです。もともとできる子たちの指導で悩んだことはありません。しかし, そのおかげで私はそういう子たちを含めた指導技術を極めることができたと思っています。

ですが、ときおり、竹の会に邂逅した秀才たちが私の指導技術と出合い、易々と超難関校に合格していきます。彼女はそのような秀才のひとりでした。

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