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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

新年明けましておめでとうございます。いよいよ本番まで1か月に突入

2018.01.02

 2018年1月2日になりました。みなさま明けましておめでとうございます。冬期前半の激務をこの3日間で癒やし、いよいよ明日からさらに激務の後半へと突入いたします。わたしにはこの1月、2月は過酷な月であることは十分承知、覚悟いたしております。心の準備は早くからできておりました。今はその日その日を精一杯に生きる、そういう心境です。例年受検の子どもたちに和紙に言葉を書いて渡していますが、今年の言葉を何にするのか、そろそろ頭に閃光が走っております。今年は小5以降入会した子たちがほとんどで、小4は3月入会が一人いるだけで、唯一1名を除いて、全員がレジュメの不完全燃焼(ある小6女子が、わたしは恋の不完全燃焼と言っていましたが、これをパクリました)でした。27年桜修館合格の女子が、合格の秘訣は、出されるレジュメをやりきること、と喝破しておりましたが、行うは難し、でした。合格はんこを積み重ねるには、それなりの能力が必要です。また課題を先送りしないためには、強い意思力が必要です。ただ幸いにも、竹の会の子たちの水準は大手に通う子たちの遙か高いところにあります。ですから、竹の会で不完全燃焼であったとしても、かなり高い位置にある、ということは言えます。ですから、諦めるのはまだ早い、のはもちろんです。この直前の1か月、竹の会は決して手を抜くことはない、厳しくみなさんをコントロールして合格最前線へお届けします。1月の竹の会は合格の門への道案内人に徹します。

 昨日は、冬期前半で未決であった、都立中高一貫校等の作文例を6編一気に書きました。一昨日に下書き原稿を書いていましたので、後は推敲しながら清書するだけでした。冬期後半は、また新たに6題ほど練習しますので、その分の作文例については、後半終了後すぐに製作の予定です。前半では、かつての竹の会では主流の指導法でありました過去問合格法を実施しました。練習済みの過去問はそれぞれが紐に綴じてこれから本番直前まで最低でも7回解き直しを、見直しを実行してください。具体的な見直しのしかたは過日説明したとおりです。ほかにこれまでやったレジュメシリーズの見直し、解き直しをやることはもちろんです。人によってこなしたレジュメシリーズは大いに異なると思いますが、多い人はかなりの量あるかと思いますが、解き直しは合格の前提条件です。必ずやってください。1月休み明けからは、作文練習のほか、新レジュメも実施いたします。これからは体調を最優先して無理をしないように過ごしてください。

 ◎竹の会に出会えてよかったと99%の入会者が言われておりますのは、竹の会がようやく認知されつつある、うれしい兆候

 昔から竹の会の成功者は竹の会の素晴らしさを最大の賛辞で称えてくれました。竹の会に残されている多くの合格者やその親御さんの声はその証しです。竹の会の記録にはないが、多くの方たちから竹の会はそれはそれは感謝と賛辞をいただいてきたのです。わたしも竹の会にきてみればわかる、竹の会の凄さがわかる、と胸に秘めてきましたが、小塾の悲しさ、無名の塾の悲しさで、世の中の大多数の親からは、怪訝な目で見られてきた、と思います。昔は、大手塾の補充として利用する親、竹の会で慣れさせて大手塾へという親がよくいました。それほど竹の会は信用されていなかったのだと思います。大手絶対でしたね。わたしが公立中高一貫校の研究を始めて、学校説明会などでチラシを配ったのは、26年から28年の間のことだったと思いますが、あのときは、世間の親御さんというのが、大手しか頭にない、ということを思い知らされました。無名の竹の会など眼中になかったのです。まるで詐欺師に騙されまいとするような態度を感じました。それでもうチラシは止めました。あの当時、小4どころか、小5もほとんどこなかった。だから少々できが悪くてもとるしかなかった。入会試験ではどれほどの人が落ちたことか。28年もかなり落ちたけれど、29年も相当落ちた。こういう子たちを軒並み入れれば経営上はいいけれど、塾はいずれ破滅する、それは揺るがない確信であった。だから不合格はとることはなかった。それで塾が立ちゆかなくなるのならそれでもいいと思った。廃塾はいつでも覚悟のうちにあった。

 昭和60年10月竹の会を開設して以来、持ち続けた夢、それは竹の会を渋谷駅の近くに開きたい、その夢が実現するなどまさに夢にも思っていなかった。それどころか震災のあった2011年には、竹の会は廃塾の危機にあった。あの当時はもう大半が他区から通う子たちであったのだと思う。もちろん渋谷区の子も数人はいたように思う。高校受験の生徒は少なかった。今竹の会で使われているレジュメの原案は平成22年から24年にかけて作られたものが多い。少ない高校受験生と地元の子と他区からの子との鬩ぎ合いの中で竹の会は活路を求めて呻吟していたのです。高校受験が専門ということもあって、高校受験のためのレジュメは平成19年にほぼ完成させています。公立中高一貫校の本格的な指導は平成18年が初めてで、翌19年に、九段に1名(11倍)、東大附属に2名(8倍)、合格しました。当時は過去問合格法しかなく、これは平成23年まで続けました。24年から本格的にレジュメの製作を開始し、今では、定番の、「竹の会入会試験第1類」と「合格答案への道」、「算数をクリアーにする」が完成し、以後竹の会の指導レジュメの最高峰とされてきました。課題レジュメが多種多様に充実したのは、平成26年の指導で、桜修館に合格することになる女子を指導したためです。出されたレジュメを必ずやりきる、という姿勢にわたしも必死に応えてきた結果です。今のように、やったりやらなかったり、先送りばかりとする子たちだと、竹の会のレジュメも進化しないということです。

 さて、平成24年には、竹の会は数々の障害を乗り越えて、遂に念願の渋谷教室を開設するところまでこぎつけたのです。平成24年5月6日、記念すべき渋谷教室最初の指導日でした。塾生のほとんどは元代々木教室から移ってきた子たちでした。このとき元代々木教室に愛着を持つ子たちが、移転したくない、と抵抗し、結局、元代々木教室も数か月でしたが、併存しました。元代々木教室から移った子たちも多くは他区からの子たちでした。入会試験が開始したのは、平成24年からでした。当時はまだ空席が目立ち、甘い裁量入会もありました。厳しくなったのは、平成25年からでした。以後かなりの人数が毎年落ちました。それで教室はいつもガラガラでしたね。2年の夏にはしかたなく入会試験不合格者を3名ほど受け入れました。そのうち2名はすぐに退塾としています。またこのとき仮合格というものも認めました。知名度のない小塾で、入会試験を実施し、不適格者をそれは何人も排除してきましたが、それに見合う合格者はほぼ皆無で、廃塾も覚悟していました。だからといってバカを集めて、ストレス死にするのはご免でしたから、これで終わるならそれでいいと思っていました。

 よく入会前に相当不安なのでしょう、あれこれと懸念を口にされる親御さんがいましたが、これも大手だとそういう不安などは一切なく、とにかく大手だからと信用してしまうのでしょう。その言うところの大手とは、りっぱなビルに教室があり、受け付けにはお姉さんがいてにこにこと対応してくれる、スーツにネクタイをした講師の先生がまじめな顔をして話す、ほかに長と言われる人もいて威厳を示す、りっぱなテキスト、テスト、模試、授業と親たちはたちまちのうちにこの設備構成、雰囲気、空間の中に取り込まれてしまいます。体のいい洗脳システムです。ブランド専門店なんかが、空間と厳かさと豪華さをあしらい洗脳するのも同じことです。が、わたしが出会った大手にいた子たちというのは、張りぼてばかりでした。簡単そうな計算を選んでやらせてもまずできない、ベタな割合の問題もまったくできない、親は脳天気なもので、自分の子がそれなりにできると思い込んでいる、まったくおめでたい話しです。わたしが大手に普通の子、いや8割基準を満たす子でも、行けばバカになるというのは、きちんと実証的根拠があって言っていることなのです。また、竹の会のできないとされる子たちが、退塾して他塾へ行くと、1番になる、というのもよく聞いてきました。竹の会の子が大手の模試でトップクラスによく入るのはもうあたりまえの話しです。28年には竹の会では「できない」部類の子たちが合格もしています。これは昨今の大手の人ばかり集めてやることをやっていないという結果のもたらしたもの、親たちがものごとをきちんと見ていないことの証しです。そもそも自分の子が計算ひとつできないということも把握していない親ばかりです。大手のテキストが進めば、それで力がついていく、と単純に考える、まったく信じられない粗雑さです。

 99%の親御さんが、竹の会に出会えたことに感謝の意を表していると申しましたが、1%はわたしには理解を超えた親がいるということです。コスパパパとコスパママ、それから、情報過多・過保護・過干渉で脳が侵されたモンスターママです。コスパパパもコスパママも自分の子は「できるはすだ、できなければならない」という前提から出発して、予め高い設定をしているのが、特長で、塾にもコストパフォーマンスを求めてきます。やっても無駄といつでも切り捨てます。じっくりようすを見るということはできない。いつも何かやれば成果がある、成果がなければ意味がない、と信じている。こういう人種とは竹の会のやりかたはまず合わない。最初から相手にするべき人間ではないけれど、こういう人間に限って、妙に竹の会のような塾に強い関心をもつ傾向がある。情報過多ママは、わがままに育てた娘や息子にべったりで、軸足を傾けたままで、斜めから何かを言ってくる。得意なのは、「だれそれの先生が言っている」という権威を借りた物言いであり、とにかく本質的には空洞な人間なので、子どもが成功するかは子どもの知能の多寡しだいということになる。

 こうしてこういう親たちが竹の会とうまくいくはずはなく、たいていは1か月、長くても3か月で退塾していくのが相場です。とにかくこういう類いの親はやたら電話してくる、やたらメールしてくるのが特長で、いつも何か言ってきます。メールの回数も半端なものではなく、ひどいのになると毎日10通以上というのもありました。しかも、長文と添付URLのオンパレードです。例外ももちろんあって、1か月も経たないのに突然わけのわからん理由を言って退塾するというのがいますけど、こういうのは取り合わないのが精神の健康には必須です。

 そういうわけで99%の、つまりは竹の会に入会された99%のみなさんが、竹の会との出会いを幸運だったとその感想を述べておられます。

 ◎勝ちは敵にあり~伊東一刀斎

  剣の天才伊東一刀斎の言である。その意味するところは、言葉から演繹的に出てくるところではない。解説を読むと、①自ら誇ってはならない、という心法、と②敵の働きに応じて勝つという技法、を言うとある。①は、心の持ちようである。慢心を戒めたものと言えよう。試験に対する心持ちは、謙虚な心こそ勝利を呼び込む、ということではなかろうか。②は、技である。剣の極意に、後の先、というのがあるが、これに似ている。試験では、予めの想定は思い込み、先入観につながり、出題意図と離れたことを書いてしまう懼れがあり、そうではなく、敵の動きを冷静に読み、それに応じて勝つ、というのでなければならない。試験では予めの思いは、今を見ないことにつながり、過去の思い込みで戦うことになる。今、そのときに虚心坦懐にしたがうことが、極意といえよう。してみれば普段から、何かを覚えて試験に役立てるという態度は戒めるべきであり、普段は、現場で事態を冷静に認識する、そしてその場で冷静に対応することを当然の前提として準備することである。

 兵法は一身の妙である、と言う。師伝にあらず、年月の長短にあらず。試験は、本番で、腹を決めた者が勝つ。不安と焦りで臨んだ者に勝ちの目はない。だから早くに腹を括ることである。できなければできない、と開き直った者が、勝つことがあるのはそのためである。本番は心を軽くして、意味のない枷から自由になり、心を軽くして、臨むを妙とする。

 

 

 

 

 

 

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