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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

トップ都立高校合格の戦略/東京の公立中高一貫校対策/諦めかけていた小学生指導なのに戸惑う日々

2016.10.31

 おはようございます。十月最後の一日は冷たい空気に満たされた、わたしの好きな感触、そして心を浮き浮きさせる青空と太陽に恵まれて心は軽やかです。江戸時代のお百姓さんは日々お天道様に感謝したと申しますが、まことにそのような気持ちにさせられる日和です。張り詰めた、肌に突き刺すような冷たい空気が好きなのは、大学受験の本番の朝を思い出すからなのであろうと思っております。わたしが大学受験をした頃の3月の初めはなぜか雪が降り積もりその中をサクサクと歩いて試験会場に向かった記憶しかありません。あの当時は地球温暖化も今のように深刻ではなかったと思います。

 わたしの記憶の中には初めての大学受験で京都大学へ向かうチンチン電車と雪、そして集まりゆく受験生の波が今でも鮮明に映像として遺っております。九州大学を受験したときも前日に降り積もった雪が印象的でした。いつも旅館を出ると突き刺さるような冷気が緊張と不安の中にあるわたしの心には心地よい刺激でした。またぞろぞろと集まる受験生の群れ、その中に埋もれてわたしは何を感じ何を考えていたのであろうか。

 思えば受験中ただ一度だけ受けた模擬試験の成績はどん底でそういう意味の自信はなにもなく、旧帝大めざして集まるおそらくは学校の秀才たちに囲まれて、わたしはなにを考えていたのであろうか。自分のやってきた勉強にどれだけの自信が持ち得たのか。予備校などというものは高校卒業したときに志望校に合格する実力があった者が行くところと心得ていた。そういう実力もない者が予備校に1年行ってどうにかなるものではあるまい。だから予備校には行かなかった。いやそういう経済的余裕などなかったけど。それでわたしは三畳一間の実家の部屋でひたすら自分流の勉強をしてきた、それだけだった。これで天下の旧帝大をめざす学校の秀才を相手に戦えるのか、そういう不安は漠然とあった。大学に合格した後、合格した連中の成績はみな高校でトップクラス、内申ランクは例外なく丸Aであった。高校時代落ちこぼれのわたしの内申はといえば、なんとDランクだった。これで旧帝大なんか受けるヤツはまずいまい、そう思った。初めての受験だった京大では、数学が全く解けなかった。その記憶だけがわたしにはトラウマとなってまとわりついた。九州大学の数学は正統派の問題というのが定評であのときのわたしには合っていたのか、なんと90%をとった。合格後秀才たちに聞いても5割か6割しかとっていなかったというから、なんという神がかり的な結果であったのか、と震えがきた。九州大学の英語は少しの英訳以外はすべて和訳の問題で、早慶の英語などとはまず異質であった。わたしは英単語1万語を暗記していた。文法は今思えばかなりでたらめで、原仙作の英標を何十回もまわした、それしか自信の根拠がなかった。とにかくメチャクチャな勉強をしてきたものだ。天文学的に長い英文を単語だけを頼りによく訳しきったものだと、今は思う。わからない単語はなかったけれど、判読不能の英文をどう訳したのか、後で再現もできないほどであった。

 わたしが合格した年の九州大学法学部の受験倍率は6倍だったと記憶している。秀才たちの集まる試験であるから倍率も自ずと上限がある。とにかくもわたしはあの中を勝ち抜いた、そう勝ったのだと実感した。あのときの精神が体験が今子どもたちを指導する立場になってずっとわたしの中に「あり」続けている。わたしには子どもたちの受験心理、不安というのがかつてのわたしに重ねられて投影される、子どもたちがなにを苦しみ何をわからないと悩んでいるのか、察してしまう。わたしが考えるレジュメはわたしの受験の頃の思いが作らせる、そうなのではないか、と思っている。学校も予備校もすべてから見放された、わたしが、わたしが設定した目標を達成するためにただひたすら繰り返す、それだけしか実行してこなかった、そういうわたしの切ない、これでいいのか、本当にこれで受かるのか、いつも苦しんできた、どん底にいたわたしが、今も、塾の先生となった今も確かにわたしの中に「いる」、そうなのだろうと思っている。

 ◎お願い

 竹の会では入会時にご承諾していただいたとおり、毎月の月謝は必ず前月末日までにお支払いくださる、ことをお願いしております。

 ◎冬期集中指導の注意点

 竹の会では、冬期及び夏期の集中指導は、必須となっております。つまり申し込まなければ、それは退塾を結果します。これも入会時にご説明申し上げたとおりです。

 冬期の申込は所定の申込書に必要事項を記入して、費用とともに提出してください。申込は11月中のみです。申込忘れにご注意ください。

 「渋谷A」の小4については、冬期Aと冬期Bの選択ができます。原則は、渋谷Aは冬期A、渋谷Bは冬期Bです。Aの小4で冬期Bを希望する場合は早めにその旨メール等でご連絡ください。なお、いったん選択しますと、以後の変更はできませんので、ご注意ください。

 ◎渋谷Bは2月から改編します!

  祝日を除いた平日のみ、最大12回の実施。指導時間は、16時30分~20時まで。教室入室は30分前から可能。予定曜日は、月・木・金に限ります。祝日のため回数が少ない月もありますが、もともとの主旨は1回2時間としたものをこのように改編したもの、つまり祝日なども勘案してこのように時間延長したものとご理解ください。

 竹の会では指導という概念から、時間を細切れにして売るという観念はなく、振り替えというものがありません。これも入会時にご確認いただいているかと思います。

 ◎入会後の退塾の勧告

 入会試験に合格した場合には、当然入会を許可します。この場合も、入会後の態度等が指導するに堪えないと判断したときは、当然退塾とします。過去には、能力的に無理と判断した場合のほか、能力はあるのに突然やる気をなくしたという場合などに、「草枕」で暗に退塾を示唆して、親御さんからの退塾申出として処理した事例がございます。

 特に、渋谷Bでは、入会試験不合格者も特例として入会を認める場合があります。これは、子を真摯に思う親御さんの心情にわたしが言葉をなくするところからきていますことは認めざるを得ません。ただその場合も親御さんの真摯な人柄以上に子どもさんの人柄を見ていることは間違いありません。ただ、入会試験に合格していないという事実は重く受け止めており、指導がうまくいくかどうかは正直全くの未知数です。うまくいかなければ早めにそのことを親御さんに告白し、退塾もやむなし、とこれはしかたないこととご理解願うほかありません。

 ◎諦めかけていた小学生指導なのに戸惑う日々 

 去年は喉から手が出るほど欲しかった小4の入会がなく、しかたなく小学生指導をあきらめて、本来の専門である高校入試指導に切り替えた、それが10月のことでした。11月には竹の会のホームページを専門の会社にリニューアルしてもらい、わたしは全く手を引きました。集まらない、大手に行く親たちに完敗したということです。

 しかし、その後、「草枕」を読まれた人たちの中から竹の会に興味を持たれる人が出てくるようになりまして、沈みかけた船がまた持ち直しつつあるようです。小4がまったくといっていいほど集まらなかった去年には、もうわたしは小学生の指導はほとんどあきらめていました。1学年1でも2人でも逸材が来てくれればいい、と思っていました。だからもうこれからは高校受験に専念する、そう決心していました。

 ところが、高校受験の中学生はほとんど来ない、代わりに小学生の問い合わせが増えてきた、これはどうしたことか。またわたしに小学生をやれ、というのか。そろそろ大手に行っていた親たちが気がついてきた、そうではないか、わたしはそう見ています。ただ小5もこの時期に竹の会にやってくるというのはわたしには不本意なのです。わたしには最低でも小5の1年間を訓練に使えなければ、早稲田進学会の模試で上位に名を連ねるまでには持っていけない、そういう思いがあるからです。事実、小6前後でやってきた子たちはやはり、小5の時期の欠落というのが致命的です。その時期に大手に行っていたということが何の糧にもなっていない、それもまた大手に対して腹立たしいわけです。わたしが大手を批判し、大手に行く親をバカ親と毒舌を吐く、だから竹の会にはだれも来ないだろうと思いきや竹の会にはなぜか大手の親たちから問い合わせがくるのです。

 さて竹の会に入会した親御さんの心境はどのようなものでしょうか。わたしにはわかりませんが、ダメなら即止めればすむことです。竹の会のような小塾はそれだけの塾ですから、さっさと見切りをつければいいと思います。この点は親御さんというのはシビアーに見ていますから、いつでも竹の会は切られる、それは長年わたしが味わってきたことです。

 ですから、竹の会でも逆にさっさと見切りをつけることもある。わたしも負けていません。竹の会には矜恃というものがあります。だめなら塾は潰れる、それでもいい、しかたないと今は達観しています。いわばいつも捨て身です。

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