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日比谷、西への道/富士、両国、九段の攻略/冬期集中指導/大手という飼い殺し/竹の会は本当にスゴいのか

2016.10.25

 おはようございます。朝7時過ぎまで眠れたときはほんとうにうれしい。8時まで目が覚めなかったときの喜びも大きい。いろいろとストレスを感じているのか、どうしても6時過ぎに目が覚めてしまう。これからますますそのような時節になるのか。好きだったのはごろ寝だったけど近頃はなかなかそのような暇もない。今日は7時過ぎに目覚めました。少しうれしかったです。それからずっと仕事にかかりきりで今ようやく一区切りをつけたところです。

 ◎冬期指導について

  ●冬期は、A日程とB日程があります。A日程は「渋谷A」を対象としたもの、B日程は「渋谷B」及び外部体験生を対象としたものです。

  A日程は、26日~30日、3日~7日(10回) 13時~20時 の実施で確定しております。

  B日程につきまして、昨日のお知らせに早速ご回答いただいた親御様の意見を取り入れることとし、回数については、若干の変更をしてA日程に合わせて、10回とし、A日程の午前中(9時半~12時半)の実施とすることに確定しました。

  さらに、昨日のお知らせでは、全員参加が義務であること、A日程については、小4に限り、A日程とB日程のいずれか選択できること、一方に決めた後の変更はできないこと、をお知らせしました。さらに、変更の申出は遅くとも11月2日までに申し出ること(メールでかまいません)、をつけ加えます。

  現在もその内容に変更はありませんので、渋谷Aの小4でB日程をご希望の場合は、早期にメール等でお申し出ください。変更の申出がなければA日程のままです。

 ◎竹の会は本当にスゴい塾なのか

  大手に限らないのですが、竹の会という塾は他の塾とは異質なのかなと思っています。竹の会を知らない人というのはまず竹の会と聞いただけで「なに、それ」という感じの顔をする、あるいは無関心、スルーする、これが相場しょうね。これは学校説明会などでチラシ配りをすると如実です。いや-、大手は強いですね。

 大手も含めて塾一般の話しですが、退塾を塾の方からするというのは余程のことがないとやらない、少なくとも成績が上がらないというような事由で塾の方から退塾を申し出るなどということはない。巷の個人塾や弱小塾だとかなり悪い奴がいてもなかなか退塾に踏み切らない、他のまじめな生徒に我慢させる、それが実情のようです。個人塾の塾長というのは煮え切らないですね。大手だと「止める」と言えば必死で引き留めにかかる、これはよく聞く話しです。竹の会は、塾の側から退塾ということをあっさりとやる塾です。親御さんから委託された仕事が全うできないのであれば当然の良心的対応です。

 大手というのは、入塾テストというのもをやります。しかし、それは能力の高い者を選抜するだけ、要はだれでも申し込めば入塾できます。中小塾で入塾テストをやって生徒を厳選するなどということはやらないでしょ。そんなことしてたら商売が成り立たないからです。しかし、竹の会は小塾、個人塾でありながら、入塾テストをやります。去年のように、小4の入会がほとんどないということも覚悟のうちです。入会試験を受けて落ちた数はかなりの数ありました。それらをすべて断りましたので、生徒はほとんどいなかった。いなくなれば廃業する、そのつもりでした。個人塾というのは、そういう覚悟がなければ入会試験をやって生徒を断るなどできるはずがないのです。竹の会が消滅する危機は常にありました。わたしは自分の納得する生徒のみを指導して想定通りの結果を出すことで応えたい、そう考えています。

 竹の会では、予め退塾の可能性をことある毎に触れています。それは過去の経験から竹の会からの退塾というものがすんなり受け入れられないことが多かった経験があるからです。

 竹の会の親御様たちは中には竹の会がすばらしいと賞賛してくださる方も多いのですけれど、たいていは物言わぬ、つまりサイレント・カスタマーではないでしょうか。ダメ塾ならとっくに止めているとおもいますので、暗黙の支持はいただいているものと勝手に思っております。子どもたちは、「竹の会が大好き」と言う子が多いやに親御さんなどの言動から推測しております。わたしは第一印象は、「恐い」というイメージなのだそうで、そういえば入会仕立ての小4が緊張しているのはそのせいなのか。外を歩くときは迷彩のシャツなんか着てますし、自分で作った迷彩のパラコードなんかつけてますから、きっと恐いのかもしれません。竹の会の子どもたちはみなわたしのつけているパラコード欲しがりますから、わたしはせっせと編んでいます。1年も経つとお母さん方からは「やさしい先生」と言われてますけどね。

 何が言いたいのかと申しますと、竹の会では、竹の会を止めたくない、という意識がみなさんから伝わってくるような気がするのです。しかし、かといって指導がストレスなく進むということがなくなればこれは退塾という代謝は必要なことであり、それが竹の会の活力の源にもなるというなんとも皮肉なことになっております。

 竹の会に入室されて竹の会の指導を受けるようになってまず親御さんからよく言われるのは、子どもたちの意識の変化でしょうか。勉強というものに向かう姿勢というものが変わってくる、というのです。これは、竹の会の指導の実際と大いに関係あることです。子どもたちが、「わかる」ということを実践を通して体験していく、その体験の積み重ねから明らかに自分が成長しているということを自覚し、意識できるようになるからです。内面を切り拓いていく、考えるという精神作用をミリ単位で積み上げていく、こういうことです。

 大手の子たちを見ていると、まず計算ができない、情けなくなるほどできない。どうしてこのようにできないままに放置したまま1年、2年と通い続けていられるのか。計算ができないということが、何らかの形で致命傷として顕在化しないカリキュラムというのはいったいなんなんだ。何を教えていればそういうバカが問題化しないままに1年も2年もやり過ごせるのか。それがスゴい。また親がそういうことに全く気づかずに嬉々として通わせるというのがわたしにはわからない。個人塾の塾長というのは、大手とは違って、クレームばかりつけられているから、そういうことにもけっこう敏感に反応する、だから大手のようなことはないはずだけれども、やはり似たり寄ったりの手抜き塾ばかりです。

 割合の分からない子をわかったことにして進めるなどの芸当ができるのは大手だけです。子どもたちは大手ならではの反応を見せます。つまり「わかったふり」をするのです。「わかったこと」にするのです。

 計算も碌すっぽできない、割合も実は何も分かっていない、そのことを知ってか知らずか、1年でも2年でも放置する、これが許されるのが大手ですけど、中小塾だって似たり寄ったりです。これは、バカの飼い殺しですよね。バカを放牧して好きにさせている。バカが大勢いるのでバカがバカと気づかない。これに、親たちが自分たちの選択の愚かさに全く気づかないという、大手絶対信仰というのが、右に倣え、で蔓延しているから、手がつけられない。そもそも絶対というのは、思考停止、判断してないわけです。根拠そのものが、論理的なものではない、単純に、「大きい」=「いい」、「みんな」=「いい」、ですから。

 大手バカ牧場に子どもを放牧する親は勝手に好きなようにやればいいだけのことです。バカは中学になるともう治癒不可能です。いや小学高学年でも危うい。小6になって竹の会で大手にいたという、まじめな子を見るとき、中学で伸びるかどうか、はほぼ決まっている。この子が駒場なのか、それも無理なのか、戸山なのか、ということはたいてい見えている。もともとの能力と小4、小5期の訓練の有無、それでほぼ確定である。

 大手に子を預ける親というのは、おそらく自分の子どもに奇跡が起きる、それを信じている節がある。自分の子だけは「例外だ」と思い込む、その心理、心情は、哀れというほかない。奇跡なんか100%起こらないでしょ。自分は例外という楽観論が大手の親の精神構造なのかなと思っています。破滅する人間はみなそういう傾向があります。

 よく原則か例外か、あたりまえか特別か、ということで、凡人ほど例外、特別を選ぶようですが、ものごとはまず原則を徹底すること、あたりまえを極めること、こちらのほうがずっと大切なんです。そうわたしは思います。竹の会の指導が基本にこだわるのも、そういう思想があるからです。基本8,例外2としたら、2-8理論の逆すね。

 さて、それで竹の会はそれほどスゴい塾なのか、ということですけど、わたしは少なくとも巷の塾や大手塾などをスゴい塾などと思わない。それだけの自負をもって竹の会という塾の質を極めようとしている、それだけのことです。

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2017年竹の会カレンダー完成しました!

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