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最低でも都立戸山/小石川なら小4から訓練/「考える」とは戦闘である

2016.10.17

 おはようございます。今日は一日雨ということです。この時期の雨は一雨降る毎に寒くなる、そういう記憶があります。この低温への移行時期、子どもたちは、さまざまな原因不明の熱、体調不良を起こしがちです。特に、修学旅行や移動教室の後というのは、疲れから免疫力が低下し普段なら負けない雑菌にも負けてしまいがちです。特に、子どもというのは旅行に弱い。わたしの子どもたちもよく旅先で熱を出したなどということが幾度となくありました。その度に免疫力がつき強くなっていたように思いますが、昨今のように薬の力で治すということが親たちにもあたりまえとされてくると次第に子どもたちは弱くなっていくのかなと思ったりもします。健康不安を煽ることで製薬会社は利益を拡大し、いまや必要性の怪しい薬が無駄に人の命を弄ぶ、そういうような状況になっているのかな、と思います。これに医師会や厚労省などの利権官僚が自らの利益を優先する、そういう流れが顕著で、今や人の命をゆるやかに殺すのは許される、そういう未必の故意社会の到来を感じずにはおれません。

 ふと思うことがあるのですが、塾というのは、無駄な薬と同じで、もはや効き目がない、いやそれどころか副作用が出てきた、そういう危険というのが、常に可能性として「ある」。特に、入会試験で「合格」をとっていないという子だとその蓋然性は強い。子どもたちをお預かりして、指導するとしても、わたしの考えでは、少なくとも3か月経ったら、もう一度このまま指導を続けるべきかどうか、についての再考する、そういう機会をいただきたい、と考えております。竹の会という塾は自らの指導の実効性を常に厳しく問い直し、実効性なしと自ら判断するときは、その判断を親御さんにもどうか受け入れていただきたい、と願っております。

 それから竹の会というのはいかにも小塾でありまして、わたし一人で指導できる子どもたちの数にはどうしても限界がある。わたしは一学年5人までと考えております。渋谷Aは去年小4を募集したときは、入会試験合格者はゼロ人で結局ほとんど集まらないままにきてしまいました。今の小6です。今年はなんとか小5は規定数だけ集めることができましたが、この時期にきて、なぜか小5の引き合いがよくあります。竹の会の想定する理想的な入会時期からかけ離れており、受け入れはまず無理ですが、さらに、渋谷Bには、入会試験不合格者もいまして、こういう子たちが将来Aに移れる可能性については、Aのレベルを落とさないという至上命題がありますし、そもそも学力というか、思考力においてそれなりの見通しがもてない限り、受け入れはできないということは言えます。ここで無理をしてAに入れても失速することは目に見えているからです。逆に、現在Aのみなさんについても、失速という判断がなされればこれは指導は無理であり、潔く竹の会を止めるという覚悟もしておいてもらいたい、それはわたしの覚悟でもありますけど。。

 ただ現在渋谷Bの子たちは確実に前に進められている。それだけは間違いないと思います。現在考えているのは、渋谷Bをもう1日増やすこと、時間については、ただし祝日は休むとして、時間については、現在1回2時間ですが、5時から8時まで(30分前入室可)の間で、最大3時間半も自由とする、もちろん原則2時間という建前は変わりません、そういう内容で、渋谷Aの指導時間と遜色ないように調整する方向で検討を進めております。これは「渋谷B」でも十分に指導の実効性を確保できるという趣旨からです。

 ◎「考える」とは戦闘である

 小5の子たちには、やや失望しているところもあります。すぐに「考えたけど、わかりません」と言ってくる子が多い。よく思い出すのは、平成27年に桜修館に優秀な成績で合格した女子のことです。

 ※平成27年桜修館合格者からの手紙

  阿部先生へ

  2年間、ご指導ありがとうございました。先生と、竹の会の神様のおかげで合格することができました。本当にありがとうございました! 先生が毎回出すレジュメ、課題に全力で取り組むことが合格への道だと思い、とにかくがんばりました。私は、先生が出すレジュメを毎日に楽しみにしていました。考えることが好きなのでどんなに難しくても、なかなか丸がもらえなくても、常に自分で答を出すようにしていました。開成や麻布の問題を解くようになった前、例えば割合や計算の練習のときも、自分で考えてきちんと理解したかったので、夜遅くなっても泣きながら(分からない、というくやし泣きだったと思います)考えこんでいました。大手の塾だったら知識を教えこまれるだけだと思うので、こんな経験はなかったと思います。自分で考えるということを大切にしてくださった竹の会だからこそのことだと考えています。「合格」という結果だけでなく、大きな思考力を養ってくださったことにも、心より感謝いたします。

 以下略

 どうでしょうか。全文をお読みになりたい方は、HPの合格者の声を開けばあると思います。

 わたしが今不満に思っていることは、小5のみなさんが、考えるということを軽く考えている節があることです。「もう何時間も考えたので教えてください」といういう姿勢には、「自分で考える」ということの厳しさが一向に伝わってこないのです。

 そもそも考えるとはどういうことなのか。

 小5のみなさんには「考える」ということの意味がわかっていない、と思うのです。考えるというのは、ある意味戦闘と同じではないかと思います。考えるとき、問題を曖昧にしか読まないで、あるいは理解しないで、適当な式と答えを書く、という子がいますけど、これは敵地に盲目に踏み込むようなものです。まず戦場の地理的な位置関係、付近の地形とか、さまざまな条件を的確に読み取り、分析することでしょ。その上でどうすれば一番効果的なアプローチとなるか、攻略法を考える、これがセオリーでしょ。状況判断の誤りは生死にかかわる、だから真剣に取り組むことにもなる。

 いつかだれかが助けてくると心の底で思っている子というのは、真剣に考えない。自分は絶対死なないと思っているからです。こういう子は伸びないのです。

 戦う、戦闘というのは、生死をかけたものです。わからなければそれは死を意味します。どうも小5のみなさんにはそういう必死さというものがない。戦いに際しては入念な情報調査を行い、その情報を分析し、敵の出方を予測する、そしてもっとも効果的な戦略というものを考えて、行動する、これでしょ。「考える」とは、戦い抜く、わかるまで考え抜く、という姿勢のことです。人に助けられて敵を倒しても自分の戦闘力は何もついていないのです。ですから、絶対に自分で敵を倒す、これしかないのです。伸びるにはこれしかないのです。助けられてばかりいたら強くなりません。弱いままです。大手の子が弱いのはこのためです。わたしは竹の会の子たちがわたしに教えてもらうことに慣れることをとても懼れています。桜修館合格の女子はあなたたちにどうすれば合格できるか、ということをよく教えてくれていると思います。あなたたちは「わからないから」と言って悔し泣きしたことがありますか。先生に説明してもらったら折角のいい問題をひとつゴミ箱に捨てたことになりますよ。小5という貴重な訓練期間に独りで戦い抜く強い精神の持ち主にならなくてどうするのですか。聞けば聞くほどひ弱になるのです。あなたたちが強い思考力の持ち主として小6になったときに羽ばたけるか否かは、すべてこの小5の期間の過ごし方にかかっています。

 小5の1年間を竹の会で過ごさなかったというのは、もうおわかりですね、そう、この戦闘訓練の期間がないのです。厳しい訓練期間を潜り抜けてきた子たちだけが、小6になって羽ばたくことができるのです。竹の会というところは、少なくとも小5の一年間を訓練するために使うとすれば、小4の1月までに入会するのが理想だといういう意味がわかっていただけたでしょうか。小4の2月と3月に、計算や割合導入をするわけですが、この段階が遅れれば遅れるほど、訓練期間が短くなるわけです。だから小4の8月前後がいちばんいいと言っているわけです。

 訓練期間なしに受検を戦う、これは見通しのない戦いです。確実に勝つための準備をしてから戦いたい、これがわたしの気持ちです。戦って勝つか負けるかわからない、わからないけど戦う、そんな戦い方はわたしの本意ではありません。

 竹の会をめざすみなさん、早く早く竹の会にきてください。

  

 

 

 

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