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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川への道/竹の会という方法

2016.09.28

 おはようございます。秋雨前線が居座り続けています。全国的に雨のようですが、関東は曇り、ただし真夏並の蒸し暑さということです。本日は、渋谷Aの指導日です。9月も残り僅か、いよいよ10月です。本日は遙か南方海上に台風18号が発生したとのことですが、9月の終わりと軌を一にして季節は一気に秋への様相を深める見通しです。

 今年の小6は小4期に集まらなかった年にあたります。竹の会のような小塾だと人がほとんどこない年がほぼ交互にやってきます。平成19年にいた小6は3人、1人が九段に、2日は東大附属に進学しました。翌20年は九段志望の小6が殺到したことを覚えていますが、そのほとんどは通分もできない子たちでした。学校で「できない子たち」が、そう私立受験とは全く縁のない子たち、特に、女子が活気づいた年でした。直前に適性過去問を解かせたらほぼ白紙という子ばかりでした。当時は入会試験もなかったので学校のできない子たち集まりました。都立中志望は、桜修館と白鷗の2人でしたか。うち1人が桜修館に合格しました。白鷗を落ちた子は3年後に都立小山台に合格しております。20年の九段組は全滅でした。21年は受検生なし。22年4人うち2人合格、23年3人うち2人合格、24年3人うち1人合格、25年5人うち3人合格とこんなものです。入会試験がスタートしたのは24年入会者からだったと思います。ただ当時の入会試験は手探りの状態でまだ全3問構成でどこまで未開発の能力を発掘できるのか、ただ少なくとも指導困難な子だけは排除できたのではないか、と思います。その意味では、現在の入会試験にも言える。少なくとも合格点を取れない子の指導は困難です。かといって合格した子の指導がすべてうまくいくというわけでもありません。このへんは微妙なところで、A合格を取っても「雲行きが怪しい」という場合もありましたし、「準合格」でも「伸びていく」というケースもあるわけです。現在の竹の会の「入会試験Ⅰ」だと小4の8月前後にA合格をとれるほどの子でなければだめかもしれません。だから小5でA合格を取れないというのは問題であり、ましてや小6だとA合格は当然で、もし不合格なら指導することそのものが無意味と思います。それからよく大手塾に通っている子なんかが竹の会に試験を受けに来る、ここ何年かそういう子が多いのですけれど、ほとんど不合格なわけです。とにかくひどい成績です。0点というのも何人かいました。小3が解ける問題を小6が解けない、小5が解けない、こうなるともう持って生まれた知能、つまり地頭の問題かとも思うのですけれど、これは世の中の親というのは、教育熱心であればあるほど、苦しんでいるのではないか、そんな気がします。ただそれでもみなさんが迷わずに大手塾に子どもを入れてしまう、あるいは便利な地元塾に通わせる、そういうことなのですが、解決方法があるのかわたしもわかりませんが、ただ大手塾にそんな子を入れても百害あって一利なしということだけは確かです。小6にもなって計算もまともにできないバカがうようよいるわけですから。

 頭の悪い子をどう導いていくか、これは難しいことです。竹の会では入会試験に合格できなかった子について、2名だけですが、どこまで指導可能なのか、やれるところまでやってみようということで引き受けました。幸い家庭学習もしっかりやってくれていまして今のところ前へ進められていますが、いつ壁に突き当たるか、そういう不安は常に持っています。飽くまでも「やれるところまでやる」という趣旨です。いや入会許可をした子、特に、小4では潜在的な才能の可能性を期待して入会試験の結果に関係なく入会を許可したケースもありますので、今後の指導で壁に突き当たることも十分ありうるわけです。小3や小4早期では能力の判別が難しく見込み許可ということはしますが、見込み外れということは想定の内で、その場合は、退塾していただくという含み許可であることはご理解願いたいと思います。

 大手なんかだとひとりひとりの子どもの能力などというものを問わない体制なのかなと思います。大手は営業最優先ですから。なにしろ株式会社でしょ、子ども相手に儲けるのが目的です。ですからどんなバカでもよいしょしてどこまで長く引き留めるかです。どんなバカでもかまわない。バカの養殖場みたいなものです。親も大手大好きでやっているのだからどうなろうと知ったことではありませんが。これは地元の個人塾、中小塾でも似たり寄ったりでしょ。生徒を集めて金儲けしているのは変わらないからです。しかし、バカの面倒をみる、これやっていると塾は内部崩壊します。頭のいい子たちには迷惑な話です。大手進学塾だと能力別にクラスを分けていますから、つまりバカを隔離していますから、なんとかバカ感染を防いで、企業防衛していますから、まだいいのですが、隔離されたクラスはただのお金を運んできてくれるお客さんなわけです。大手はもともとの天才が出した実績をあたかも大手のおかげで合格できたかのように謳い、お客さんをたらし込むわけです。バカな親が「あやかりたい」と本気で思うわけです。能力なんかなくてもこれだけの実績を出している塾なんだからなんとかしてくれる、と勝手に思い込むわけです。なんとかできるわけないでしょ。個人塾なんかはバカが侵食し、ごく少数の頭のいい子たちを妨害するのがほとんどでしょ。個人塾はそれでもどんなバカでも退塾にはしない。これは真理です。なんとかうまいこと言って止めさせない。

 竹の会は今はバカは取らない。だいたい指導できないのに入れてカネとるなんて詐欺でしょ。たとえ合格して入会したとしても常に指導の可否を突き詰めている。指導できない、継続できない、わたしには無理と悩んだ末に退塾をお願いする。去年なんか入会試験を受けにきた子たちは何人もいましたけど結局ひとりとして合格できなかった。教室はガランとしてました。なにしろ生徒が数えるほどしかいない。そもそも小4が一番欲しい2月の時期にだれも来てくれなかった。このままだと生徒はいなくなる、そう思ったけれどその時は塾を廃業しようと決めてました。わたしは矜恃を曲げてまで、媚びを売ってまでバカ生徒を集める気はなかったのです。生徒集めのチラシ配りもアホらしくて止めました。大手にしか行く気のないアホ親を誘っても虚しいだけですから、そういうアホにかまうのは止めにしたのです。最近、大手に通っている小6の親からよく問い合わせがきますけど、時既に遅しです。みな断っています。小4のときにあれだけ誘っても来てくれなかった人たちです。失敗したから竹の会と言われてもね。よく「このまま大手に通うことに疑問を感じています」などと言ってますけど、わたしから言わせればもはや取り返しのつかない失敗なんです。仮に、まあほとんどの場合がそのまま区立中学に進むことになるのでしょうが、間違いなく部活三昧で陸に勉強もしないままにどこかのバカ高校に推薦、つまり無試験で入り、中途退学しなければ、高卒でりっぱに社会に出ることになる、おそらくフリーターか、なにか、ガテン系か、とにかくそういうことになる。

 竹の会というのは、塾ではない、いわゆる既存の塾ではない、そう言われる。そうかもしれない。既製のテキストなんてないし、授業もない。指導ということを突き詰めていったらそういうかたちになった。「考えさせる」ということを突き詰めればそうなる。子どもたちには「考えろ」と突き放すけれど、大手でやったことのある子というのはすぐあきらめるから、いずれ自ら壁を築き上げていくことになる。問題なんて訊いたら終わりでしょ。その問題はゴミになる。能力が伸びるとしたらそれは問題を自分で解いたときだけです。わからないからと訊いて説明ばかり受けていると絶対に伸びない。

 竹の会で指導というのは、思考育成の実践を言う。竹の会では思考育成の手段として、道具として、レジュメ指導を突き詰めていった。子どもの能力段階、理解段階を如実に把握するためにレジュメはなくてはならない道具である。理解のレベルを如実に投影させるレジュメというものがある。わたしはレジュメを作る実践を重ねる中から子どもたちの能力の深度を測る方法を発見し、理解を深めるレジュメを制作することもできるようになったし、今では自分の意図する能力を引き出すためにレジュメを調整するという技術も可能になってきた。

 わたしのレジュメ指導が入会試験に不合格の子でもある程度救うことができるということもわかっているけれど、だからといって不合格の子を入会させることはない。わたしは逸材を集めてわたしの思い通りに能力を伸ばしきり、将来不幸にも受検に失敗したとしても高校受験には成功するでろうりっぱな思考する生徒、勉強のスタンスを確立させた生徒に仕上げていく、そして東京の渋谷駅の近くに「こんなにいい塾があるんだよ」と23区のみなさんに噂されるようになればこれほどうれしいことはないと思っています。

 竹の会のレジュメ指導は、竹の会の入会を許可された子どもたち、ひとりひとりを念入りにつぶさに観察し、伸ばしていくための「手を打ち」、最終的に、思考する人に仕上げ、勉強のスタンスを作り上げる、そういうところに帰着するのかなと思っています。

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