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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川中等、桜修館/高校受験はこうして勝つ/中学受験が誇りが高くて自信のない子を生む構造

2017.04.18

 春の嵐が一気に冬型気圧配置を一掃してしまいました。西高東低の気圧配置が春になっても居座っていることは周知のことです。ですから春とはいっても本質は冬なわけです。騙されて花芽を開いて襲い来る寒気に花たちの震えは止まらない。まさに花冷えの季節というにふさわしい。今日はもうTシャツで寒くない、いやちょうどいい。仕事に追われている、その実感しかないこの頃です。

 このところ振り替えということを言われる親御さんが出てきまして、少し慌てております。入会時に竹の会では振り替えというものがありません、ということはご説明申し上げておりますが、それでも時折振り替えということを言われる親御さんがいるわけです。それだけ竹の会の指導を1回でも休むということが、重大なことという意識の表れかと思いますが、これはしかたないことで、これまでもみな学校行事で出られないために欠席してきたわけです。たまたまある渋谷Bを便宜に利用することはあってはならないと思っています。渋谷Bは渋谷教室がスタートした年の、つまり2012年の9月から翌年の1月まで存在しましたが、それから廃止されて、2015年の10月に再スタートしましたが、当初は人気がなくほとんど人がいなかった。制度にてこ入れしこれだけで合格できるというコースにしあがったのは最近のことです。今では渋谷Aとはまったく別システムとされています。AのみなさんがBを便宜に利用するのは今はできない相談です。

 最近渋谷Bの子どもたちがうるさくなりまして、帰りのエレベーターなどで大声で話したり笑ったりということが目立つようになりました。いくら注意しても「はい」と返事はいいのですが、まったく効果はありません。どうかわたしに辛い決断をさせないでほしいと願っております。

 ◎高校受験で失敗するのはわたしの指示を先送りするからだ!

  高校入試に成功するのは簡単なことです。逆算してみればすぐわかることです。中3の9月にはVもぎとか、W合格模擬が始まります。ですから、8月までには入試問題はとにかくも解けるように仕上がっていなければならない。いいですか。都立独自の英語だと、かなりの長文が3つほど出る。それを60分で読み下し問いに答えて行かなければならない。70%はとる必要がある。そういう力を8月の時点でつけている、というのは、どういうことか。竹の会の実際では、中2の夏休みに中3の数学と英語はいちおう終わらせてようやく戸山レベルである。日比谷、西だとそれでは遅い。中1までに中2の数と英は終わらせるのがベストである。理科と社会は中2の夏から勉強するように指示しているが、中3になるまでに完成させておかねばならない。わたしが出す指示を流すと後で日比谷は無理といったことになる。わたしの指示を最優先してやっていれば必ず受かる。ところが、定期試験優先と称してわたしの指示を先送りしてきた子たちが数学もとれない、英語もとれない、で独自校をあきらめた話しならいくらでもある。独自をあきらめて共通問題校の駒場などいうことにはならない。なぜって、内申がなければ話しにならないからだ。わたしの指示を最優先して、前倒しで進めていかないとトップ都立には確実に間に合わないことになる。高校入試は中2までの勉強で決まる。

 ◎中学受験がプライドだけ高くて自信のない子を量産する構造

 中学受験に失敗した子たちの悲惨を知っていますか。第一志望に落ちて第二、第三志望に甘んじた子たちの現実も似たようなものです。私立受験の親というのが、とにかくあれこれと情報に振り回されて軸というものがない、いつもぶれている。だから子どもも親に振り回される。こういう親や子というのがブレのない勉強というものが決してできないということが悲劇をもたらす。中学受験というのは、もともと知能に恵まれた子たちのための制度です。ところが自分の経済力、職業なども影響してかもともとの能力のない子に中学受験という選択を強いる。そこから悲劇が始まる。こういう親子の特徴は他人が自分を伸ばしてくれると信じて疑わないところにある。どこそこの大手塾、東大卒の講師のだれそれ、どこそこの塾の教材がいいとか、そんなことばかり言っている。自分が勉強する、という軸がないのだ。自ら伸びていくという意思がない。だれかが伸ばしてくれる、と考えて疑わない。だからいつも塾の良し悪し、教材の良し悪しに神経質になる。自分が伸びないのは環境が悪いからだという論理をとる。常にできないことを他人のせいにする。反省することはない。悪いのは塾であり、講師の質であるから。環境さえよければ自分は伸びると信じている。こういう子は戦うのが自分ではないという意識を持ちがちである。講師や塾が作戦を教えてくれる、と本気で信じている。こういう子は結局勉強を回避するから試験で自分を試すということを極端に懼れるようになる。だから模試が近づくと病気になって逃げたりする。まともに勉強するということを経験したことがない。環境のせいばかりにしてきたためか、本来の自分というものがない。プライドだけは高くて、自信のない子というのが作られる構造というのが私立受験にはある。

 竹の会の指導はそういう世界とは次元がちがうと思う。対極にあるというのも正確ではない。私立中受験の親子が竹の会のような、勉強するのは自分である、ということをまず前提して指導するところにやってきてもどうにもならないのは、そういう親子には勉強するのが自分であるという点が完全に欠落しているからだ。環境のせいばかりにする生き方をすることがもたらすものは空虚で死ぬまで軸のない、逃げてばかりいる自分ということではないか。

 ◎これから勉強の総量がどれくらいあるか考えたことがあるのか

 5月から来年の1月まで9か月、270日ほど。1日5時間勉強する時間があるとして、1350時間がある。しかし、たとえば、夏休みに10日休めば50時間減る。いろいろな習い事、稽古事で同じように勉強しない日がどんどんと加算されていけば、自分が勉強に使える時間はどんどん減っていく。受験というのは、合格するには合格するために必要な勉強の総量というものがある。知能が高い子、効率よく勉強を進めた者などがこの勉強の総量を確保したのならこういう人たちに勝てるはずがない。勉強の総量が足りないのに、合格しようなんて思うのはありえないことなのに、世の親子は実に都合よく、それでも合格する、と思っている。

 ◎知る者は言わず言う者は知らず

 わたしは多弁な親が苦手です。これは経験的な真理ですが、受験に成功する子の親というのは寡黙です。いや単純にものごとを考える、素直な方が多いように思います。そもそも受験情報のほとんどは意味がない。桜修館の作文が変わっているというのでいろいろ情報を集めてどうにかなるかということです。日比谷や西の出題傾向がどうのこうのとか言うのもどうでもいいことです。どうすれば合格作文が書けるのか、どうすれば日比谷の数学が、英語が解けるのか、そういうことを正面から研究して分析する、それも自分で実際に解いてみて分析する、そういうことのほうがわたしにはずっと役に立つ。だからわたしにはほとんどの情報はどうでもいい。

 多弁な親は実は自分で考えない親です。人がどう言ったこう言った、そういうことばかりを言っている。こういう親に限って権威ある人が言ったからと頭から信じるわけです。医者がこう言ったからと、弁護士がこう言ったからと内容なんか、根拠なんか吟味もしないで、平気なわけです。バカ医者が金儲けしか考えていない医者がたくさんいるとは考えない。弁護士だって、今の司法試験が易しくなって年間1500人を合格させているということは置いておいても、別に偉くもなんともない、ということがわからない。権威主義というのは、肩書き主義である。水戸黄門の印籠を有り難がる人種である。

 

 

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