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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/高校受験は短期勝負/息がたりないこの世の息が/才は天の授かりもの

2016.05.16

 おはようございます。朝の空気はひんやりと体を包み、羽織っておいてよかったフリースのほのかな暖かみにこの微妙な季節の心地よさを感じます。5月という、この時期の肌との相性を慈しみながらやがてやってくるであろう灼熱の夏を思いやります。

 昨日は、渋谷Aの指導日でした。渋谷Aの7時間というのは、時々刻々変化する指導とその反応を見極める、そういう連続なのだと思います。今は初心者ばかりでけっこう神経がすり減っています。一枚のレジュメを解かせてその反応を見る、理解していないな、とか、わかっているな、とか、まあいろいろ反応を「読み取る」、それでまたいろいろ考える、この7時間の指導というのは、そういうやりとりで終わる、課題は、指導ではやりきれなかった様々な負荷、刺激を与えることをねらっている。課題が「わからない」と苦しむのも、想定の範囲内ではあるけれど、これは「まだ、無理」か、と判断すれば、ここは一端止めておく、ということもある。竹の会では、できるかぎりA4の原稿用紙に書くことを推奨している。字数感覚というのもあるけれど、採点がしやすい、添削がしやすい、というのもある。余白にいろいろ書き込める。去年の小6には、わら半紙にびっしりと書き詰める子がいたけれど、読みづらく、余白もないので添削もできなかった。おそらく性格(省力化傾向)なのだと思うけれど、答案用紙はけちらないでゆったりと使ってもらいたい。

 最近は、わたしの指導手順も効率がいい、そういうレジュメの開発に力を入れてきたおかげかな、と思う。小数から、分数へ、そして割合の導入へと円滑に進められる。もちろん入会試験においてA合格ということはある。ただ小4の2月合格と、小5の2月合格では、後者には、当たり外れがある。ましてや小6(中1の4月も同じ)で不合格というのは、指導そのものができない。

 わたしは小6直前の3月あたりに竹の会の入会試験で準合格さえもとれない、そういう子たちを数多く見てきたけれど、そういう子たちの親がそれまでの1年、ときには2年もどこそこの大手塾に通わせていたということを聞くに及んで、いったいこの親たちは自分の子をここまでバカにしてしまって、いったいこれからどうしていこうというのか、と正直問い質したくもなるけれど、同時になんとも気の毒としかいいようがない憐憫の情も湧き起こる。小5の2月でA合格でも遅い。せめて1年早く竹の会に来ていれば見違えるような展開があったかもしれない。小5の1年間を徹底して割合と葛藤させる、この期間はどうしても必要だ。だから、小6の終わりとか、だと、さらにその時点で入会試験不合格というと、もはや手遅れとしかいいようがなく、残念でしかたない。どこそこの巷の塾なら、大手なら、どんな子だって二つ返事で入れてくれるでしょうから、まあ塾には困らないでしょうけど。断るのは竹の会だけですよね。

 小5の初めに入会試験に落ちる、これはこれで問題なのだけれども、少なくとも今後2年間、基礎訓練のチャンスはあるのだからなんとか手を差し伸べてあげたい。だからせめて竹の会の基礎訓練だけでも受けたいという、不合格者には機会を提供することとした。これも渋谷Bの活用のひとつとした。

 竹の会で伸びていくのは、やはり日曜日の7時間の指導の妙、指導の粋によるところが大きいのかもしれない。わたしは子どもの真の力というものを読み取る名人なのかと思う。子どもの目、表情の微妙な変化、態度、しぐさ、行動など細かな機微を読み取り、理解の程度を探る、常に実力を測る、指導の7時間というのは、そういう瞬間の判断の連続である。

 疲れた子どもたちによくココアを出すけれど、慣れた6年生や中1がテキパキとやってくれる。時間がもったいないのでテキパキであるけれど、子どもたちは美味しそうに飲んでいる。そういう光景を見ているとまた心も自然和んでくる。

 近頃は、大手やどこでもいいけれどとにかく塾に行って、時間とカネをかけて子どもを通わせて、結局、自分の子を取り返しのつかないバカにしてしまうという親ばかりでなんとも言葉を発する元気もない。自分の子が現実にどうなってしまうのか、自分の目で確かめるまでわからないとはなんと情けないことか。少なくとも中1前後で竹の会の入会試験に不合格という子においては、残念ながら先は見えている。それで部活にでも入ればすぐに中学ベルトコンベアがお決まりの高校へと運んでくれるでしょ。

 勝負は小4、小5です。この時にどれだけ基本訓練ができたか、したか、です。小4、小5の大切さというのは、竹の会に子どもさんを通わせて中学へ進んだ、そういう親御さんなら、身に染みてわかるはずです。中学で、今あるのは、竹の会で過ごした小4、小5のおかげだということを身に染みてわかっているはずです。

 わたしは世の多くの親御さんが、自分の子がどれほどの天才と思ったのかしれないが、いや天才とは思わなかったから近所の個人塾へという親御さんも含めて、結局小4、小5の時期を無にするどころか、自分の子を取り返しのつかないバカにしてしまっている、ということに少しも気づいていないことを嘆いてきた。小6の終わる頃、受検に失敗して、「大手を信用していた」などというけれど、そういう人がたくさんいるから、大手は繁盛し、バカが溢れることになる。まあ竹の会の子たちには大手でバカが出れば出るほど、入試は戦いやすくていいのですけれど。

 わたしの主張することが真実かどうか、すぐわかることです。いやもう十分にわかっている親御さんたちが夥しい数いるはずです。もうベルトコンベアに乗っている人たちです。

 ◎竹の会では、熱意のある小4を求めています。

 ◎高校受験は短期勝負

 実は、竹の会にはこの4月から通い始めた中2がいます。中2から竹の会に通うというのは、なかなかいろんな意味で大変なことと思います。まず巷の塾とは、形態がまるで違うわけですから、竹の会の水に馴染めるか、ということがあります。小学から竹の会にいる子というのは、竹の会のことはもうよくわかっている。だからそこで躓くことはない。竹の会の指導というものがわかってくると、自分がこれまでいかにのんびりしていたか、ということも見えてくる。学校や他塾というものが、見えてくる。竹の会というメガネを通して、本質が見えてくる。

 よく竹の会というのは、他塾からきた人たちには特に、「レベルが高い」などと言われるけれども、わたしは他塾のことは全く眼中にはなく、竹の会の水準というものを例えば高校受験なら、都立日比谷や西、戸山に合わせている、ただそれだけのことである。

と自然そうなる、そういう内容・水準になる、ということではないか、と思っている。しかし、大手にしても他塾にしても、いったいどういう水準、コンセプトで子どもたちを教えているのか、と逆に聞きたくなる。

 出来合いのテキストで集団授業をして、カリキュラムを進める、という形式でもたらされるものは何なのか。もしテキストの水準が平易なものであった場合にどうなるのか、そんなことを考えたことがありますか。テキストを難しくすることは落ちこぼれを生むことであり、塾で落ちこぼれるというのは、自己矛盾であり、大手が避けたいところです。学生講師が集団相手にテキストの項目をこなしていく、そういう授業を「信用する」という親のバカさ加減はおいておくとしても、バカに磨きをかけるために通う子どもはいい迷惑である。それで中学、高校までも運命づけられてしまうとしたらことは重大なはずなのに、バカ親にはわからない。

 さて、現中1のみなさんは、いやむしろ親の方が誤解していることのほうが多いと思うのですが、高校受験までまだ3年あるなどと素朴に考えている、まだずっと先のことと呑気に考えている。しかし、です。まず都立高校の入試日は例年2月24日前後ですよね。とすれば、準備ができるのは、1月と12月を直前対策として除けば、中3の4月から11月までの8か月が準備期間ということになる。しかして、中3の定期試験は内申評価に直結するためにその準備も欠かせない。3学期制なら、4月~11月の間に4回、2期制なら9月と11月に2回ある定期試験の準備に追われる。実質的に受験勉強に使えるのは夏休み40日プラス30日くらいしかない。つまりです、中3を受験勉強できる期間には入れたらいけない、ということです。

 だから高校受験の準備というのは、まず小6の2月にスタートして、中2の3月ないし中3の始まる4月6日の前日までに大方の準備を終えていなければならないということです。

 いいですか。今、あなたたちは、中1ですけど、今年の12月31日を越せば、もう中2です。そして中2の年末には、いよいよ「来年は中3だ」ということになるのです。中学というのは、駆け足でやってきます。都立の雄、日比谷、西を受けるとか、最低でも戸山を獲るとか、優等生に人気の駒場、新宿、青山、小山台を獲る、そういう生徒には、もういくらも時間は残されていないのです。

 だからわたしは最低でも1日5時間はやらないとダメだと言っている。この5時間というのは、今に始まったことではない。もう平成元年前後にはそういう人たちがたくさんいたのである。この5時間も勉強できない、そういう生徒が、都立戸山なり、青山なりをめざすなどというのは、あるはずもないことなのである。

 こうして高校受験というものが、実は、短期勝負なのだということが、わかっていただけたと思います。英語にしても、数学にしても、前倒しして、どんどん先へ進めなければならない。目安は中2の夏休みに入る前に中2の数学を終わらせること、英語は中3の英語を終わらせること、である。日比谷、西だとこれでも遅いかもしれない。以上の日程は、27年戸山合格者、28年戸山合格者のそれだからである。だからわたしはもっともっと早く終わらせることを考えている。

 進学塾、例えば、河合塾などは、難関高校受験生は、中3の1学期には、中3の数学、英語を終わらせていた。1週間に1単元であった。たとえば、「多項式」を1週間で終わらせ、「平方根」を次の1週間で終わらせ、という流れである。授業でやれるのはほんの一部だから、ほとんどは家庭学習になる。ところが難問ばかりだから、解けない問題ばかりである。だから天才だけが生き残る。これが進学塾である。できない秀才はどうするか、というと、家庭教師を雇ったり、個人指導の塾、個別指導の塾に行ったりするわけである。

 竹の会は進学塾ではない。少なくとも進学塾のようなやりかたはとらない。こういう進学塾では都立高校の対策はまずとれないということを知っておいたほうがいい。

 大手には、都立に重心をおいたところもある。こういうところに騙されて入れば、どうなるか、やってみればわかることだし、実際毎年夥しい数の失敗者が溢れているわけである。

 さて、こうして都立入試というものが、短期勝負だということは、弁証できたとして、それでは、私立難関クラスはどうなのか、ということである。例えば、竹の会の想定する中には当然早稲田実業高校クラスの合格もある、ということは断っておかねばなるまい。これも早ければ早いほどいい。

 こうして、高校入試を成功裏に終わらせるには、やはり小4、小5の過ごし方いかんにかかわる、ということになる。

 この時期に、思考というものをゆっくりと時間をかけて伸ばしてやる、これしかないのである。

 ◎息がたりないこの世の息が

 歌人の河野裕子さんが他界する前日に残したとされる歌

 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

 この世に生きていくためには息をしなければならない、こんなことにもわたしたちは気づかない。健康で力溢れるときには息がつげないという、この世の息をついでいることなど考えてもいなかった。貪るように吸う息の儚さよ、息を吸っているから生きている、あたりまえではないこの世の息継ぎをわたしたちはあたりまえとして考えもしてこなかった。

 そこでです。わたしたちは、この世の息をどれだけ大切にしているのか、です。日本の山から雑木林を駆逐して杉林だけにしてしまう民族です。自分たちで自分たちの息継ぎを苦しくしていれば世話はない。アマゾンの密林が驚異的な速さで消失しているというのにわたしたちは自分たちが息をしていることを忘れてしまったかのように気にもしない。

 河野裕子さんは、乳がんでこの世の息が継げなくなった。わたしたちは、知らないうちに自分たちで自分たちの息を継げなくしてしまっているのではないか。化学薬品が地球を汚染し始めてからもうどれくらいの歳月が流れたのか、その化学薬品はわたしたちの体内にも深く浸透していった。それとともに未知の病気がやたらと出回るようになった、そう思っているのはわたしだけなのか。

 わたしたちに残された時間がそれほどあるとも思えない。時間とは、息を継ぐ時間である。そう考えるなら時間はとてもかけがえのないものである。せめてわたしたちが息を継ぐ間、継げる間は、せいいっぱい生きていきたいものである。いろいろな学問のあること、その深淵さを知らないままに過ごすなんてなんてもったいないことか。

 どうかみなさんが早くに勉強ということのかけがえのなさを悟り、勉強を大切にされることを祈っております。

 

 

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