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現代受験論 🟦不可能❗️は工夫の母‼️

2025.03.11

🟦不可能❗️は工夫の母‼️
 (阿部雄彦)
 算数の問題がわからない、数学の問題が解けない、そういうとき、自分に能力がないと諦めるのですか❓
 いいですか。考えるとは、具体的なものです。考えるとは、なんとかならないかと工夫する、頭の働きです。不可能に見える問題をなんとか工夫して、いろいろ悩んで、解の糸口を見つける、そういうところに面白さがあるのです。
 数学について
 わたしは、受験のとき、独学で数学を勉強しました。使ったのは、概念理解に研数書院「技法数学IIB」を何回か繰り返し、最後は、Z会で通販していた「数学I・IIB」の問題集だけでした。問題と詳細な解答がセットで200問ありました。わたしは、これを赤鉛筆で線を引きながら、まず理解し、それから読みました。問題を解くという勉強をしたことはありません。これは他の科目も同じで、インプットだけでした。これは本番まで6か月しかなく、インプットで精一杯だったということがあります。勉強開始したのは、9月からでしてたが、軌道に乗ったのは、10月からでした。そのかわり1冊の参考書は、何回も回しました。Z会の問題集は、50回は回しました。そうしたら問題を見ただけで、頭の中に解の道筋が流れるようになりました。さらに、横のクロスレファランスというか、問題を見たら、様々な解が流れ、複数解が瞬時に頭に浮かぶようになりました。
 このように、この方法は、工夫して解くという、本来の方法とは、違います。大学受験の数学の攻略法の一つとして、わたしの中に常に存在感があります。
 わたしが、算数という科目に真面目に向き合ったのは、平成19年前後でした。それまでは、とにかく図で解くを基本に指導してまいりました。あの当時、算数の問題は、方程式を使えば簡単というのがかなりありました。昨今は、方程式を使うと却って複雑になるように作られている問題が多くなりました。偏差値の高いほどその傾向が強いですね。
 算数の研究を始めて、算数というのが、知恵と工夫を働かせて、どうにも解けそうにない問題をあっさり解いてしまう、知能には相当効き目のいい学問なのだということに気がつきました。まず問題を読む。状況設定を図で確認する。そこから解の糸口を探す。算数では、どうも問題を解くには情報が足りない。この情報だけでは解けるわけがない。そんな場面があります。そんなとき、つまり、隠れた情報を見つけるのは、大変です。こんなことを使うわけがないと初めから問題にしなかったことが解の端緒だったということもよくありました。それよりも絶対的情報の欠缺のときは、たいていは面積図で解決しました。速さの問題の難問は、ダイヤグラムが有効でした。
 しかし、どんな問題にも使えるのは、単位あたり量の考え方、比の考え方です。そのうち単位あたりは基本中の基本と思います。適性問題は、単位あたり量の考え方が基本にあるように思います。
 とは言っても、適性問題の本質は、知恵と工夫による解決、それは常識的な解決のことが多いのですが、普通に、当たり前の解決を訊いているように思います。
 こうして算数は何のためにやるのか、ということの答えは、算数という不可能設定に際して、如何に知恵と工夫で、みかけの不可能を崩壊させるか、ということになると思います。算数が楽しい、という子は、思考をはたらかせる面白さを知ったということです。逆に、算数が苦しいという子はどこかで勘違いしたのかもしれません。思考をはたらかせるよりも、なにか公式みたいなものを思い出そうとしているのかもしれません。これは苦しいでしょうね。ないものを絞り出すなんてできやしません。算数の解き方が予めあるものと考えて、一つ一つその解き方を学ぶというスタンスだと、どうしても「覚える」算数になってしまいます。もともと算数は覚える科目ではありません。解き方の工夫をする科目です。ですから解き方を学んだときも、「へぇー、そういう工夫があるんだ」と感心するというのが、正解です。それを「この問題にはそういう解き方するのか。覚えておかなければ」というのは、その度に思考しない量の壁を塗り固めていることになります。この覚えるやり方は、次第に高くなっていく思考の壁が圧となって、えーと、どういう解き方したんだっけ、といつも解き方を思い出す癖をつけることになります。思い出すというのは、思考停止と同じです。脳の働かせ方には、考えるという精神作用と、思い出すという精神作用があります。記憶というのは、不完全なものですから、また、思い出せない記憶というものもありますから、記憶に頼るのは、いずれにしろどん詰まりです。
 これに対して、考えるという作用は、与えられた情報を手がかりに、論理という公理を使い推理するわけですから、何かを作り出す、その意味で無限の可能性に満ちています。
 考える際に、我々は、既存の関係性情報を利用します。与えられた情報を組み立て、既知の何かをヒントに工夫します。算数にしても、数学にしても、必ず答えのある問題です。既知の何かを利用して、工夫して、答えを、出せるように作られているのです。そして、その既知の何かとは、皆が既に知っている、一度は習ったことのある何かです。だから工夫なんです。工夫してなんとかしてやろうというのが算数なんです。算数を勘違いした子たちが算数がわからないと言ってるだけなんです。わからないのは当然の前提で、算数は、そのことを前提にして、さてどう工夫しますか、という問題なんです。工夫もしなくてどうやっていいのかわからないでは算数という科目を否定しているようなものです。解くのが不可能と思えるほどの事態だからこそ工夫する意味、価値があるのです。
 適性問題というのは、他でもない、あなたたちに、常識的な工夫を尋ねているだけなんです。

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