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現代受験論慶應、開成、筑駒、日比谷に行くという意味‼️

2025.07.11

🟦慶應、開成、筑駒、日比谷に行くという意味‼️

 志望するのは勝手だ。「行きたい」「受ける」というのは、勝手だ。

 中1の頃、中学生になったばかりの頃、「慶應に行きます」「日比谷に行きます」、いや、とにかく威勢がいい。新鮮だった新入生の頃、やがて中学生活にも慣れ、緊張した定期テストも悪くてもだからどうなることもないことを知る。次第に、手を抜くことを覚える。やり過ごすことを覚える。気がついたら、家庭学習は、ほぼゼロでした。多くの凡人中学生が辿る道でした。
 自分の未来なんて確かに見えない。しかし、人生の羅針盤が、自分が進むべき道、やるべき行動を本能的に指し示してくれる。考えるよりもまず行動すること、これが若い時代の、正しい姿です。
 慶應を受けます、ということは、一日も欠かさず、ひたすら勉強するという意思の表明です。ただ言ってるだけ、勉強はいつかする、今日はお休み、明日からする、そういう子ばかりです。つまり、多くの子が、ただのその他大勢の凡人ということです。
 非凡さは、強い意思が行動に現れて、それが継続されるところにあります。よく才能の有無が言われることがありますが、才能とは、こうと決めたことを黙々とやり続けること、継続することをもって、才能がある、と言います。
 多くの中学生は、そういう意味では、才能はありません。慶應、早実と言うのは勝手ですが、それは不言実行の人のみ、実現可能なことです。実行する人ほど言葉は少ないものです。言葉の重さを知る人は賢い人です。
 勉強とは、覚悟です。そこには、ある種の悲壮感が漂うものです。勉強とは、実行と切り離せない関係にある。勉強と実行は表裏の関係にあります。実行の伴わない勉強は、絵に描いた餅です。私たちは、実行を伴わない言葉を平気で発しがちです。実行するということは、雨の日も風の日も休まず黙々と続けるということです。わたしたちが学ばなければならないのは、強い意思と一切の感情を捨てただ黙々と実行する、という姿勢です。生き方です。
 思春期だから、反抗期だから、感情に流される❓ バカ言っちゃいけない。誰のおかげで食っていってるんだ。今は、将来自分で食っていけるようにひたすら勉強させてもらえる、唯一の機会でしょ。勉強させてもらえることをありがたく思って勉強する、それだけです。思春期と反抗期も親が何不自由なく生活させているからできる甘え由来でしょ。勉強というのは、甘え、つまり依存している限り不満のはけ口であり、勉強させてもらえることを感謝する、つまり大人の精神が、独立心をもって勉強する姿勢へと繋がるのです。こんなにも恵まれているのに、勉強しないなんて、精神未熟のただの子どもです。バカはバカの人生を選ぶ、それだけのことですけど。

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