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現代受験論(小4→中3 開成、筑駒、渋幕合格)🟦上手い人は、なぜ自分ができるか、わかっていない‼️

2025.11.14

🟦上手い人は、なぜ自分ができるか、わかっていない‼️
 下手な人のフォームは、譬えある程度は上達しても、ある線からは上に行かない❗️
 上手い人は、速い、見ていても流暢でコツが掴めない❗️ そして上手い人に、説明させると、うまく説明できない。
 うまい人に、どんなに丁寧に説明されても、操作的説明に終始し、要領を、得ないことが多い。その要領とか、コツとか説明するときも、外面の操作、体のパーツの使い方に終始し、何か足りない、腑に落ちないのだ。うまい人の真似をしてもたいていうまくいかない。
 うまい人は説明が下手くそというより、そもそもできないのだ。
 柔道、舞踊など名人と言われる人の、動きは、あまりに流暢過ぎて、捉えどころがなく、わからない。流れるようで、淀みがないのだ。だから、勘所が掴めない。
 学ぶ方としては、ぎこちない動きの方が、つまり、欠点がわかる方が学びやすい。どこをどう直せばいいのかわかるからだ。
 東大の学生の家庭教師や講師の説明は、総じてわからないだろう。彼らは、わからないと悩んだことがほとんどないから、わからないということがわからないのだ。どこで悩むんだ、と不思議に思うだろう。彼らにはすべて当たり前のことで、そもそも説明する話しではないのだ。
 だから頭の悪い、勉強のできない生徒が、東大生に教えてもらってもうまくいかないのだ。というか噛み合わない。かつて慶応理工に受かった卒業生は、「自分は頭の悪い人を見るといらいらする。だから人には教えない」と言っていたが、本音なのだろう。その卒業生は大学院には行かないで(普通は理工系の学生は大学院に当然行くものだが)、学生時代に作ったソフトを資本にIT会社を起業し成功している。
 数学は、わからないと悩んできて、克服した人に教わるのがいいのだ。また英語もできないと悩んできて、克服した人がいい。わからない者の気持ちがわからない人間に教わっても仕方ない。つまり、塾の講師というのは、すんなり難関大に受かった学生より、苦労して受かった学生のほうが適している。
 わからないところを断片的に、切り取って教わるのは、あまり意味がない。竹の会では、「わからない」というとき、理解のステージを一段階下げる。そのステージの基礎的訓練をやり直すのだ。わからない問題(ところ)を説明するのではなくて、その問題を、解くために、必要な訓練からやり直すのだ。それを、竹の会では、指導ステージを一段階下げると呼ぶ。飽くまでも、自分で解かせるスタイルだ。
 

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