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現代受験論(小4→中3 駿台模試全国1位)🟥思考の木‼️‼️

2025.11.07

🟥思考の木‼️‼️
 浅い思考の子に合格の芽はない‼️
 誰しも気がつくであろうことに気づけないのなら、そこまでの能力というしかない。問題は、物語である。問いの中に出題者の創作した物語が見えない者には受験は無意味である。
 だから、わたしは思考を問題にしてきた。思考を鍛えるには、算数がいいことはわかっていた。特に、一般に、IQの低いとされる公立小の子どもたちには、割合の壁は、乗り越え難いものであった。IQの高い子のほとんどは、私立受験で抜けている。残ったのは、1%のIQは高いが受験はしなかった者、2%のIQは普通の子たち、そして残りは、落ちこぼれ予備軍団である。こういう子たちに、割合を理解させるのは、至難なことであった。わたしは、苦心を重ね、その指導法を研究してきた。竹の会では、割合をマスターした者の中から、算数に開眼する者も現れてきた。しかし、IQの限界がもたらす指導困難という現実は、どうにもできなかった。塾は、IQの低い者を持って生まれたIQ以上にすることはできない。しかし、親はそういう事実を認めたくない。なんとかなる、してほしい、と塾に求める。教えてどうかなる❓ そうではない。本来学問とは、本人の天賦の能力を塾は発揮するように働きかけて、見守ることしかできない。このことは、患者と医師の関係と同じだ。病気は、患者本人の持って生まれた自然治癒力に医師は期待するしかないのだ。
 おそらく適性検査試験というのは、一定のIQを前提としている。誰しも気づけること、想像できること、常識を働かせればわかること、それらは、教えるとかいうものではない。大手塾は、分かりやすくという、無責任な謳い文句で、そういうエリアに属することまで、事細かに教えるようだが、ナンセンスである。いくら教えても自然治癒力のない生徒にはなんの効果もない。
 塾という仕事は、常に、IQという冷酷な現実に直面する、ストレスの強い職業なのである。良心があるなら、能力的に無理ならカネはもらえない。しかし、親は、そういう理由を決して受け付けない。これは40年塾をやって変わらない真実であった。親は、自分の子の能力に関しては決して否定しない。できないのは、塾が悪い、教え方が悪い、方法が悪い、講師が悪い、講師と相性が悪い、学校の先生が酷い、などと言い、合う塾を探し続ける。この子はやり方がわからないだけだ、など親の子への思いは尽きない。
 思考の芽を引き出し、それを丁寧に、じっくりと時間をかけて、育てていく、それが、わたしの、竹の会のライフワークではなかったか。しかし、世の中には、いろいろな親がいる。わたしの描く青写真、プログラム通りにはならない。せっかく芽が出ても、習い事、稽古事、サッカー、旅行などと、継続が命の思考栽培を中断し、枯らしてしまう。
 思考を伸ばすとは、思考の木の栽培に準えることができる。まず思考の芽を出すこと、思考の成長とは、具体的世界(幼木)から抽象的世界(大木)へと葉を広げていくことである。最初は、ほとんどない葉、細い幹、低い背丈、それに栄養を与えていく。思考の木を育てる栄養は、知識であり、目の前の問題を工夫して、つまり思考を使って解決しようとする脳の働きそのものである。そういう経験が日々与えられて、脳は、思考という働きを獲得しながら、成長していく。現代の小学生には、栄養失調が蔓延している。
 知識を与え過ぎると思考は育たない。知識を知っているかどうかではなく、知識を栄養として消化し思考の糧とすることができるか、である。思考というのは、毎日思考を繰り返さないと、使わないと、たちまち枯れる。それは脳のシナプスというのが、いつも使うことによって太くなることからもわかる。
 学問において、思考を使うのは、他の様々な思考の下部構造にあたる、と思われる。特に、思考の木がまだ幼いときは、計算という抽象的思考が思考を成長させる。そして割合、さらには算数という科目が、思考の栄養として、抜群の特効薬である。もう、お分かりでしょう。思考の木の栄養は、抽象的な思考そのものなんです。
 大きくなった思考の木は、自ら栄養を摂取し、巨大な思考の大木として、成長を遂げることでしょう。

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