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現代受験論(桜修館 都立青山 早稲田実業 渋谷幕張 城北)🟪敵が巨大(実は錯覚)であると万全を期そうとするから、負けるのだ‼️

2025.11.18

🟪敵が巨大(実は錯覚)であると万全を期そうとするから、負けるのだ‼️

 試験がレベルが高いから勉強もレベルを高くしなければならないのか。いやまてまて、本当に試験レベルは高いのか、高かったのか❓
 しかし、ここにはさまざまな誤解がある。例えば、かつての司法試験は本当にレベルが高かったのか。高いからそのための勉強もレベルを高くしなければならなかったのか。
 司法試験の前提する法律学は、確かに、レベルの高い分野である。しかし、だから司法試験もそれと同程度にレベルが高かったのか。
 これは大いなる誤解の原点である。実は、大学入試試験と同じ立ち位置ではなかったか。
 試験対策を指導する側が、難解にしていただけではなかったのか。難しいものと決めてかかって、だからこんな勉強をしなければならないとしてきたのではなかろうか。 
 そもそも大学の授業もやたら専門書を指定し、やたら難しく装う。単位試験は、だからといって難しいわけではない。予備校が伸びたのには理由がある。いたずらな専門という権威で惑わすのではなく、合理的に作られた教材を開発し、何も具体的な指導をしない大学を横目に、具体的な形を示した。しかし、その予備校も競争に晒されて、再びやたら詳しい教材に走ることとなった。いつか来た道である。難しいと判断したのか、さらなる細かい知識を追うように仕向けているように見える。むしろもっと簡単にもっと薄いテキストを目指すべきなのに、テキストは厚くなるばかりで、もはや人間の能力を遥かに超えているように見える。
 より難易度が上がる方が予備校には都合がいい。専門化すればするほど予備校の必要性が増すからである。本来これまでの難解とされた司法試験を簡易化するために予備校が役目を果たしていたはずなのが、予備校自身が自らの存在意義を死守するために、当初の主旨を忘れてしまった、という話しである。
 しかし、実は、天才だけは、知っていた。敵の本体の何たるかを、どれほどのものかを、よく知っていたのである。よく、大学で、薄い本しか読んでいない学生がたまに20歳くらいで受かった話しが新聞なんかに出る。興味があって受験新報に載った体験話しを読んだことがある。会社法は、あの薄い、しかし、難解な鈴木竹雄を一回読んだだけとか、民法は、ダットサンを2回ほど読んだとか、兎に角驚かされた。わたしの大学の同期も、4年の時に55番で受かり、裁判官になった。そのとき話したことがあったが、大したことはやってなくて、やはり、えっ、これで受かるの、と驚いた。天才は、敵の正体を知っていた、わたしはそう思っている。世の中に、権威まみれの嘘が、呪いが蔓延る。「基本書は、はしがきから奥付きまで読め」と言ったのは、真法会の会長向江だった。なんという呪いの言葉よ。無垢な受験生は皆呪いの言葉にみずからの目で考えて判断することが麻痺した。権威を笠に着る、というが、当時の、権威あるとされた指導者たちは、自分たちも本気でそう信じていたと思う。自分も同じ呪いの影響を受けてきた人たちなのだから。
 私たちは、呪いの世界に生きている。さまざまな言葉が呪いとして、人々に張り付く。いつしか呪いの言葉は、多くの人に共有され、常識として人々の脳に張り付く。人間は呪いに弱い。SNSでは呪いが氾濫し、時には呪いの言葉で自殺する者も出る。まさに呪いによって殺されたのだ。インフルエンサーと言われる人たちが、日常に呪いの言葉をはく。テレビでは、テレビ好みの識者と言われる人たちが、悪質な呪いを振り撒く。いやいやテレビそのものが、くだらないお笑い番組を流し、下品な呪いを振り撒く。そういえば、選挙は、政党の吐く、空々しい公約が選挙期間だけ、毎日のように喧伝される。消費減税という呪いは、見事に選挙民を騙し、選挙が終われば何もなかったように、死語となる。国民がバカなのか、政党がバカなのか、わからない。
 もういい加減に私たちは呪いから解放されたい。難関国家試験という呪い、実は、呪いは、何の根拠もない、権威、嘘で作られるのだということをもう悟らなければと思う。

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