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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟦アウトプットの質と量は、インプットの質と量が決める??

2025.11.22

🟦アウトプットの質と量は、インプットの質と量が決める??

 この命題をある書籍広告で見た。この命題は、アウトプットよりもインプットの方が重要だと言っているように見えるが、そうではなかろう。アウトプットはやはり重要だとと言っているのだ。その上で、アウトプットの効率にインプットが影響すると述べているのだ。
 勉強の成功体験談なんか見ていると、むしろアウトプットしかやらなかった、アウトプット重視という人が散見される。資格試験の対策の場合、過去問や問題集をアウトプット教材として用い、それが同時にインプットになる、とされる人が多かった。確かに、資格試験は過去問から繰り返し出題されるので、的を絞るためにも、効率的であると思われる。
 大学受験でも、問題集や過去問は、定番の教材のように思われる。しかし、それ以上に、参考書、つまりインプット教材の比重が高いのではないか。こと大学受験に関しては、予備校の講師の参考書が多種多様出回っているし、出版社もこれぞとばかりに様々な視点からの参考書を出して止まない。というか、参考書類が氾濫している。受験生は選び放題である。というか、選択に迷うことしきりである。どれか1つに絞らないとならないところに、失敗は許されないというプレッシャーが絡み、迷いに迷う。一旦これと決めたら、後からやっぱりこちらがいいとやれば、実力はつかずに永遠に参考書の選択ばかりする、スパイラルに巻き込まれる。言わば、手段、方法段階で撃沈する。
 一旦これと決めて始めたら、もはや途中でどんなに魅力的な、評判のいい参考書が出ても決して浮気をしてはならない。その理由は、デカルト著「方法序説」にある。特に、そういう変え方をしていると、そういう事態はふんだんに起こるであろうから、永遠に選択の迷子になる。それはとりもなおさず永遠に方法の選択段階、入り口をウロウロしていることである。最初の選択を貫いた人はその頃にはとっくに出口にいるだろうから、迷うということが如何に致命的なことかわかる。勉強というのは、あまり悩まずに選択し、一旦これと決めたら、それ一筋に貫くことが成功の秘訣なのである。
 さて、わたしは、実は、インプットで成功した経験しかない。大学入試はもちろんだが、旧司法試験では、短答式試験に合格したときも、インプット的な方法を取った。
 過去問の重要性は否定しない。それどころか過去問は竹の会のメイン・アイテムである。かつての過去問合格法も過去問をインプット的に利用する前提で、思考力を鍛錬する教材として用いたものである。なお、竹の会の七回解き直しは直前の鉄板である。
 ただ塾は、独学とは違う。過去問を教材に取り入れるのは、塾の、効果的指導を睨んだ仕事の一貫である。個人が独学でやるときの勉強とは違う。塾は様々な観点から様々な有益な資料を用いる。過去問もその一つに過ぎない。
 わたしは、基本的に、インプットで、十分と考えている。問題集も、インプット教材として使う。
 志望校の過去問はやる必要があるのか。
 これはなんとも言えない。開成高校、筑駒高校受験に際しては、過去40年分の過去問をやった。この時、渋幕や城北にも合格したが、それらの過去問は一切やっていない。時間の無駄と思った。というか、そこまでやる時間がなかったのだ。
 よく失敗する受験生がやるのは、自分の志望校の過去問を何回もやることだ。いつのまにか答えを覚えてしまう。それで本番では、同じ問題が出るわけはないのに、「今年は、新傾向だった」から「できなかった」と口を揃えて同じことを言う。何回もやるうちに、同じような問題が出ると決めてかかり、偏見と先入観をもって、問題を読むから、まともに考えられない。
 わたしが開成などの過去問をやったというのは、あくまで実力判定に試験形式で1回だけやったということである。過去問は実力判定以外に使うものではない。よく過去問命の親子、というか実力がつききらず、藁にもすがる気持ちで、自分の受験する学校の過去問ばかりやる親子がいるが、何とも愚かな話しである。過去問と同じ問題が出るとでも思っているのだろうか。いやそう信じてる節はある。
 それから竹の会には、伝統的な過去問合格法というのがあるが、これは誤解のないように言っておかなけれならない。過去問は偏差値ごとに、すべての高校を対象に、年度ごとに、しかも、試験形式で、解かせるものである。

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