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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟪【質問】「親が教えることを禁止している」と口コミサイトに書かれていますが、これは事実ですか?事実であれば、それは何故ですか?

2025.11.24

🟪【質問】「親が教えることを禁止している」と口コミサイトに書かれていますが、これは事実ですか?事実であれば、それは何故ですか?

【回答】
 
 竹の会に通われてても、そういう親御さんがいたのは事実です。親の独断の解説を受けた子たちが、合格した例を知りません。
 親が教えれば子供は親に依存するようになります。また親の教える内容が竹の会の指導体系とはかけ離れている、また誤っていることが多々ある。特に、方程式を使う親が多いのは何の能力の向上に資しない。誤っているというのは、竹の会で、指導してきた思考枠とは全く無関係な場合も含みます。
 算数は子供の考える能力を育てる手段です。答えを出すことではありません。竹の会の算数は指導の手段です。大手のように誰が解いても合ってたら、解き方がわかれば先へ進む、ということではありません。そういうふうにして先へ進んでも考える力はつきません。竹の会のレジュメは段階を追って負荷をかけています。負荷のかかった、つまり難しい問題を親が教えても子供は負荷を乗り越えたことにはなりません。次の、その負荷を乗り越えたことを前提にして、さらに負荷がかかった問題を与えればどうなるでしょうか。教わるのと、自分で乗り越えるのとでは、全く違います。使われる頭の部位が違うのです。自分で乗り越えて初めて身になり自信もつのです。新たな負荷に対応できるのは、負荷を乗り越えた者だけです。親が教えると、自分で考えようとしなくなり、常に親に聞くようになるでしょう。結局永久に解けません。
 そもそも竹の会のレジュメは、私が思考を育てるべく作ったものです。段階をおいて、負荷をかけるように作っております。大手のテキストが、シリーズ化して、親子がかりで解いていくシステムにはなっていません。答えと解き方さえわかれば先に進める、大手のやり方とは違うのです。竹の会は、問題に対して、どれだけ思考を巡らしたのか、あれこれ考えたのか、つまり、思考をすることが目的なのです。親が子の思考に構わず教えることでマスターできるものではないのです。この問題を乗り越えられたのなら、この問題は乗り越えられるはず、という思考を伸ばす、発掘する試みなのです。
 親が教えるという場合、多くの親は、方程式まがいの解き方で解いて子どもに理解を迫ります。しかし、方程式は算数ではありません。算数の本質は、工夫なんです。どう工夫したかなんです。だからこそ算数は知恵の学問なんです。知恵を育む、最適の教科なんです。
 さらに、親の教える方法は、竹の会の算数の指導システムとも相入れません。竹の会では、基本「ミクロマクロ法」を使って思考することを指導しています。だから問題もその思考で解けるようにしています。それなのに、親が全く別の、スポット的方法を子どもに教えるのは、行き当たりばったりで、次に、活かすことができません。子どもは、この問題を解いたら、次に、活かせることを学ばなければなりません。たまたまその問題だけ解けた方法では、子どもには偶然でしかありません。そもそも自分で解いていないので、それで自信を持てるということもありません。わたしがもっとも心配するのは、子どもの依存的体質が定着していくことです。子どもは自信のないまま、常に、誰かに教えてもらわないと、心の安定が保てないようになります。試験ではこれは致命的でしょう。
 懸念すべきは、そこそこ知能のある子は、「ちょっと親にヒントをもらっただけ」と親の関わりを最少限に言うことです。しかし、持ってきた解答を説明させてみると、そのほとんどが親の解答だったということがほとんどでした。
 残念ながら、親が関わった家庭の子の受検はことごとく失敗しています。
 大手の例えば、サピックスなどは親が子どもと一緒に勉強することを強く勧めています。つまり、親が教えることは前提です。ここで、サピックスのカリキュラムを終えても、大きな差が生まれます。親に徹底して教えられた子と、ほとんどが自らの考えで解いた子とでは、同じカリキュラムを終わったとしても、雲泥の差があることです。教えられた子は試験に弱いのです

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