2025.11.20
⬛️わかるとは、どういうことか⁉️
勉強が伸びない人は何が足りないのか❓
わかる、とは、見えるということだ。視覚化できてる、ということだ。結局人間というのは、目に見える形でしか、物事を理解できない、のだ。ここのところをもう少し敷衍してみたい。
子どもの世界には、抽象的な概念はない、と一応言える。子どもには、具体的な、目に見える物、形に反応し、視覚化し、脳に整理される。もともと原初的には、人間は、視覚化を通して、世の中を認識してきたのである。言葉という抽象的な世界に跨る道具を操り始めたときから、いずれは物と対応しない、言葉の世界だけに「ある」抽象概念に行き着くことは目に見えていた。
抽象概念を解読することは、人間は本能的に忌避したと思われる。「労多く」は脳が一番嫌がることであったのだ。抽象的なものは、いかにも退屈なものだからである。
抽象概念を理解するとしても、結局人間は目に見える像しか脳に描けないのだから、視覚化、見える化して、脳に整理するしかないのだ。つまり、抽象的な物は具体的なイメージに変換して、「わかる」とういう脳構造に組み込むしかないのだ。
解く、解けるということも、この「わかる」という構造、つまり、視覚化したもの、イメージが基本にある。解くのもイメージで解くのだ。だからで観察が重要だというのは、この場面である。ただし、観察は、ただ視覚を使うだけではダメだ。視覚を言語化して意味化する。また観察の視点を設定しないといけない。一般的観察というのはないからだ。具体的なイメージを観察し、意味化するのだ。
わたしはいつも算数の問題を解くときは、まず図をかけ、と言うのだが、多くの小学生は図がかけない。算数的な図がかけるということは、問題を客観的に読み取らなければできないことである。つまり、図はその子の知的能力、理解段階を知る、最良のリトマス紙である。図が書けない子でもIQがあれば、わたしの解説に使った図を模倣することで、図をかくということを具体的に学んでいく。そうなのである。学問というのは、「真似る」ことである。「まなぶ」とは「まねぶ」ことなのだ。
勉強というのは、抽象的なものを如何に具体的に理解していくかが、ポイントである。抽象的なものはどう処するか、である。わたしは、有効なのは、メタファーを用いることだ、と思う。
小学生の指導とは、具体的にしか理解できない脳に抽象的なものを移入していくところに難しさがあると言えよう。小学生が「わからない」というとき、必ず抽象的な部分がブラックボックスとなっている。そうなのだ。小学生にとって、抽象的な世界は、すべてブラックボックスなのだ。指導する側は、ブラックボックスを具体的に、メタファーを使い、視覚化、見える化していくことが、指導の要となる。
わたしは、レジュメ指導を通して、小学生の脳を視覚化することに意を用いて来た。わたしの小学生指導の基本姿勢は常にそこに置かれていたと思う。






