画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立40年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟪竹の会のやり方でなぜか高得点合格してしまうのか‼️

2026.05.18

🟪竹の会のやり方でなぜ高得点合格してしまうのか‼️
 平成18年4月、「九段に行きたい」という小6の男子がやって来た。渋谷区幡代小の子だった。正式に公立中高一貫校受検の依頼を受けたのは、初めてのことだった。わたしは、過去問を使うしかないのかな、と思った。しかし、平成18年 まだ過去問がほとんどなかった。なにしろ公立中高一貫校がスタートしたのが、平成17年の都立白鷗附属中学だけだった。翌年小石川、両国がスタートした。つまり、過去問はほとんどない。みくに出版の過去問集も1センチほどの厚さしかなかった。計算、割合も間に合わせの、塾用教材から探したものだ。
 なにしろ牧歌的な勉強で合格してしまった❗️平成19年区立九段合格❗️実は、この時、東大附属に2名合格している。つまり、小学生は3人いた。
 過去問はほとんどなかった。みくにの銀本はまだ薄かった。今のような手に負えない厚さではなかった。
 平成18年、まだ竹の会には、レジュメはなかった。割合(塾用テキスト)を中心にやったかな。九段は、男子11倍超でやや焦った記憶がある。しかし、結果は合格。
 わたしが、適性レジュメを作り始めたのが、平成24年のことだから、それまでは、まだ少なかった過去問をやった。過去問合格法、竹の会では伝統的なやり方だ。平成20年から23年まで様々な算数(割合問題の研究)レジュメの試作に没頭した。現在の竹の会の算数レジュメの原型はこの時期に制作したものである。この期間に、今の竹の会の軸となる「ミクロマクロ思考法」が発明され、体系化された。平成20年には、桜修館に1人が合格。まだ過去問合格法によった。平成21年受験者0。 平成22年両国・

桜修館合格平成23年小石川、桜修館に合格平成24年富士1名合格。まだ過去問合格法。平成25年は、24年制作開始の適性レジュメで育てた、初めての受検。小石川、白鷗、桜修館合格。初めてレジュメの成果を実感した。この時の、レジュメ指導が、合格のすべてを示していた。その後、レジュメが蓄積されるに従って、わたしは、合格の証しを得るために、よりたくさんの、よりレベルアップしたレジュメを使うこに拘泥してしまった。26年優秀な3人を不合格にしてしまったのはそのせいだ。3人は、一人は、宝仙理数から東北大へ一人は慶應志木へ、一人は、日比谷から杏林大医学部へと進んだ。
 竹の会の指導で受かるのはなぜか。
 思考を育てる、思考を深める、思考を鍛える、これに尽きる。結局、わたしは、思考力をつける、これにほとんど力を使って来たと思う。もし、何故竹の会では、そんなによく受かるの、と問われれば、思考を重視して来たこと、それしか思いつかない。
 少ないレジュメでも受かる‼️

 これはレジュメの量ではなく、レジュメはただ考える手段に過ぎないこと、が、鮮明に示されている。レジュメの量にこだわるのは、知識の量にこだわる恐れがある。十分な思考時間をかけること、である。レジュメを押していくと、どうしても思考が疎かになる。竹の会の指導は、思考を十分にさせる、つまり思考の「間」を取ることに意味がある。それは、3か月先、半年先、1年先を見越しての、指導である。竹の会には、振り替えはない。振り替えというのは、大手、中小塾など、授業単位の教える、つまり、知識を売る、説明を売る、時間単位商売の考え方である。だから親は損した、得したと考える。竹の会は、知識販売はやってない。思考指導の成果が出るのは、何か月か先のことである。1回損したから振り替えたらそれで思考がつくわけではない。トータルとして、とらえている。よく振替を打診してくる親がいた。退塾が決まっても最後まで出る。損得思考なのだ。成果とは関係ない。1回振り替えたらそれで思考力がつくか。そうではない。思考というのは半年単位のトータルな成果でしかわからない。
 このような思考重視の指導は、早い時期から始めた方が圧倒的に有利である。もちろんIQの制約はある。不幸にもIQに恵まれなければこの試みも功を奏することはない。
 IQのない子を伸ばす、これはできない。他の塾のように、できないものをできるという嘘はつけない。
 思考重視の指導が、竹の会の奇跡的合格をもたらした。受かるとは思わなかった子たちの合格を生んだ。しかも、高得点合格なんて、誰が予想したか、それどころか、受かるかどうかさえも危ぶんだのに。ところが、何故か、合格している。わたしは、ようやくわたしのやり方、それはさしたる大袈裟なものではないが、そのやり方がもっとも確実に合格をもたらす方法だと確信できるようになった。知識偏重の世間、知識過多の世間、クイズを正解する者が知識人と誤信する社会、客観的に知識量を偏差値という物差しで測る社会、財務省では全国模試何番かが問われるという社会、知識一辺倒の社会、知識に優れた者が勝者となる仕組み。いや知識ではあるまい。知識は思考の僕のはずだ。知識が光る者が脚光を浴びる仕組みは結局陳腐だ。福島第一原発を救ったのは、東大などの知識に秀でた教授ではなかった。思考する現場の人、吉田所長たちだった。知識と経験と言う。しかし、わたしは、経験と思考だと思う。
 わたしは、竹の会では、知識の誘惑と闘いながら、思考だけを、純粋に思考だけを蒸留させて、伝授したい。竹の会が試験に強いのは、やり方とか、使ってる教材だとか、そういうことではなくて、いつでも思考することを優先させる指導方針にあったからではないか。
 思考重視と言うけれど、いやそういう塾のキャッチコピーを見るけれど、具体的には、どうなのか。テキストを与えて、考えろ❗️ではないのか。
 まず、考える対象を、具体的に、洗練されたものにしなければならない。市販教材を使って、問題をもっと考えろ❗️ではダメなのではないか。
 この1枚のレジュメを与えて、考えさせる。そこには、なにをどう考えるか、の手順があらかじめある。レジュメを「読む」という段階から思考が始まる。
 また、竹の会では、割合という概念を思考枠組みの型として、子どもたち一人一人が、それぞれにミクロマクロという思考様式を自己の脳内に組み込んで行く過程を通して、思考という一つのルートを示し、考えるということは、どういことかを学習させる方法を取る。ただ単に考えろと怒鳴っている塾とは違う。考えるということが、抽象概念というピースの組み立てだということ、組み立て法は「論理」に従うということ、そういうことを時間をかけて学ぶ、というか、体に、脳に慣れ、習性にまで高める。これを慣れ親しむという。
 竹の会が小塾ながら合格する所以は、ここにあり‼️

ページトップへ