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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟪大手塾という、飼い殺し‼️  飼い殺し(かいごろし)」とは、本来は役

2026.05.26

🟪大手塾という、飼い殺し‼️

 

 飼い殺し(かいごろし)」とは、本来は役に立たなくなった家畜を死ぬまでそのまま飼っておくことを指します。 転じて、従業員の能力を十分に発揮できない閑職や部署に置いたまま、給料だけを支払って雇い続けることを意味する使われ方もします。

 さて,学校の授業レベルはかなり低い。それは普通に考えて見ればわかることだ。一クラス30人として、まともな知能の子は、2割弱の6人以下。ここで授業レベルは、平均的能力の子に合わせるのが普通で、そうなると授業レベルはかなり低くならざるを得ない。さて、これで、内申が、平均的だとすれば、IQはそういうレベルだと悟らなけれならない。学校程度の内容、レベルでは、「よくできる」が普通になければおかしいということである。親が我が子が学校では平均的であることに特に焦ることもないのは親の認識度が疑われる。学校に基準を置いても意味がない。例えば、将来、都立独自校を想定して考えるなら、小学の内申は、「よくできる」が9割以上が普通ということである。
 今の小学校のレベルはあまりにも低い。わたしの経験では、「よくできる」が9割ある、学校の優等生でも、割合を教えて頭角を顕すのは、その一部に過ぎない。つまり、学校の優等生とされている子でも、できない子がかなりいる。
 公立中高一貫校を受けるのは、最低でも「よくできる」は7割(合格例あり)、それ未満の子が少なくとも合格した例は竹の会にはいない。合格者のほとんどは、内申の「よくできる」が9割超の子に限られている。
 昨今は、準備は、遅くとも小4に始めるのが、普通である。これは、都立中高一貫校制度がスタートして、21年が経ち、適性検査の難しさが周知され、小6から始めて受かる試験ではない、ということが親たちに常識として共有されているということである。
 そういう背景を知らない親が、いるのも知っている。

 さて、公立小という、低レベルの子たち、経済的に余裕のない家庭、優秀な子は私立難関に吸収されるからその残りが、公立中高一貫校をめざして、大手塾に集まることになる。今は公立中高一貫向けの大手は寡占状態だから、大手内での優劣はそのまま学校の序列が優劣となる。
 つまり、内申が良くない子は、大手塾に行ってもそのままに学校の順位が反映される。受検生がみんな同じ大手に行けば、塾に行ったから受かるという話しにはならないわけである。このときその大手塾は授業レベルをできる子に合わせるだろうから、できない子は必然落ちこぼれる。落ちこぼれた大勢の子たちは、合格できない前提で、できないからまさにオプション講座のカモであり、結局本番まで搾り取られる。これが営利を目的とする、株式会社大手塾の本質です。大勢を扱うから、集団授業しかできない。しかも授業レベルは、上位に合わせる。これは学校の序列上位が、そのままに塾の順位となる、という話しである。嬉々として塾に通いながら、結局は、落ちることになる大多数の小学生の話しである。意味のない集団授業を3年も受けて来たわけで、そのまま区立中へ進めば、どうなるか。都立独自校などに行けるはずもないのに、またまた同じ大手に取り込まれる。。もともとIQはそれほど高くない子たちが,基本的に「考える」訓練を受けて来なかったわけで,その末路は哀れである。
 集団授業というのは、IQの序列が、そのまま反映される仕組みである。もともとのIQの高い者は、授業を理解して、家庭学習も責任感のもとに着実にこなすから、成績は伸びる。しかし、もともと学校では普通の子たちが、同じ集団授業を受けても、序列は学校のままである。特に、思考訓練を受けるわけでもないのに、伸びるはずがないのだ。
 学校で序列下位の者が、塾に行ったって何も変わらない。親や子が勝手な幻想を抱いて、塾に行けば成績が上がる、とお花畑になるとしても、現実は変わらない。
 競争ありきの塾の集団授業では、IQの序列化が顕になるだけだ。受験というのは、もともとIQの戦いなのだから。IQが高いのなら、思考を鍛えれば最強になる。

 鍛えて必ず伸びるか。IQには教えられる限界というのがある。IQ的に無理という子は、いくら塾にカネかけても通わせても無駄である。集団授業ではなく、思考を鍛えるやり方ならどうか。これはやってみなければわからない。普通はダメだ。ただそういう子でも2年ほど基本ばかりを繰り返していると、ある日ある時「できる」という子がいる。ただこれは最初からはわからない。見込みはないな、と思われていた子がわたしの予想に反して突然目を開くということはある。しかし、たいていはダメなものはダメだけど。

 IQのセンスがいい、そういう子はいる。竹の会は、そういう子を発掘して来た過去がある。だから竹の会には、本来受からないと目された子が受かることがよくある。その意味では竹の会は奇跡の合格者だらけだ。余裕で受かった子など一握りしかいない。小3から割合に苦しんで来た子が言っていた。「先生、割合マスターするのに2年かかりました」
 持って生まれたIQに恵まれなければ、割合の壁を乗り越える、のは生半可なことではない。
 我慢、忍耐、飽くなき反復、嫌になる自分との葛藤、不幸にも「楽をしたい」「面倒くさいのは嫌だ」という誘惑が、怠けの心を誘発し、勉強放棄に走ることもある。その中で、立志の子が、一気に花開くこともある。なんの変哲もない日常に耐える精神がIQを動かす。退屈さに負ける、何か即物的な娯楽がなければ時間が持たない、そういう子には、塾は、たちまち遊興の場に転じる。塾の仲間は、退屈さから救ってくれる存在である。こうして塾は勉強するところではなくなる。
 大手塾という飼育箱では、大多数のIQ限界児が、飼い殺しにされる。芽の出ない子たちを親と塾講師が飼い殺す。本来塾に通うのは受かるためである。しかし、IQの壁を越えられない大多数の子は、塾に通うことに別の意味を見出し,塾は商売だからそれで問題なく、親は誤算に気づくこともなく,もちろん受検は失敗し,区立中学でも大手に通い,行き着く先は低偏差値私立への単願推薦による進学ということになる。物事の本質を悟らない、z世代の親は、無自覚に子を最悪の人生に追い込むことになる。良かれと思ってやることが悉く裏目に出る。

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