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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟪教えるのではダメだ‼️ 訓練してなんぼだ‼️

2026.06.04

🟪教えるのではダメだ‼️ 訓練してなんぼだ‼️

 一部の天才をまとめて教える、集団授業をする、これは別に問題はない。もともと独立して勉強に取り組める天才は、どう教えても構わない。
 しかし、大多数の子どもは、カリキュラムに従った集団授業には、適さない。カリキュラムに従って授業を聞きながら進められるのは、一部のIQの高い天才のみである。一般には、小学生は、教えるのではなく、訓練をして導くものである。これは、天才でも変わらない。訓練のない、ただ教えることに何の意味もない。天才は教える必要はないし、その他の人間は、教えてもわからない。こういうのには、訓練するしかないのだ。竹の会は、「教える」のでなく、訓練をする。訓練とは、手を動かし、考える訓練である。計算はもちろん訓練だし、割合だって脳の訓練だ。決して教えるものではない。割合という仮説を使って、さまざまな事象を考える訓練をするのだ。問題の解き方とか、答えの正否にばかりを親も子もこだわり、講師も囚われる。解き方も暗記の対象になる。脳は「思い出すこと」しかやらない。こんなことを2年もやれば、脳の退化は目に見えている。考えてなんとかするということが本来の頭の使い方であろう。頭は使ってなんぼだ。過去の記憶を思い出すのが勉強なら、勉強とは、覚えることとなる。そうではあるまい。仮定する、予想する、推測する、推理する、想像する、矛盾、比較、対照、図、構成、組立、…脳の働きは尽きない。算数の問題は、あらゆる脳の働きの訓練になる。こうした過程を端折って、解き方習って、それを覚える、それが勉強だと勘違いした親と子、そんなことは無視の講師。これが、カリキュラム授業の害。一方通行、話すのは講師たけ、聞く、書くのは生徒。

 ところで「いつ」考えるの❓ 復習は習ったことを繰り返すこと、予習はこれから習うことの確認、予習で考えることはできるけど普通の人は無理。習ったことの復習だけ。いったいいつ考えるの❓
 考えるというのは、知識のln-putを遮断しなければできない。講師が喋っているときに、考えることはできない。算数の問題を考えるとき、算数的事実からなんらかの関係を読み取る。そのために事実を図にすることも多い。図から、さまざまな関係を見つける。仮定、仮説を立てることもある。その仮説から糸口が見つかることもあるが、その仮定が無理なこともある。試行錯誤を繰り返す。糸口が見つからなければ、工夫する。あれこれ工夫する。視点を変える。考えるとは、そういう過程である。講師が喋るのを聞く、解答集を読む、だれかに説明してもらう、どれも「考える」とは言わない。いつも説明してもらって「わかった」という勉強は、考えたことのない勉強である。解答集の解説を読むのは、私の言う考えるとは違う。
 竹の会の子たちが、少ない勉強で、受かって行くのは、理由のないことではなかったのである。竹の会では、途中過程、思考過程を訓練しているのである。親が教える、ヒントを与える、そういうことは想定していない。そんなことをやれば、考える過程をカットし、子どもは、解き方、正解を求めるようになる。
 小学生は、訓練してなんぼだ。指導者が、訓練のテーマを決めて、訓練するのだ。竹の会のレジュメは、訓練のための教材だ。親がほとんど解いて、説明する。それをやれば、あっという間に終わる。それで次のレジュメ集ということになる。しかし、レジュメ集を何冊終わっても、何の力も付いていない。1冊でもいい。途中過程に時間をかけた方が、実力がつくのである。これは、多くの実例がある。途中過程を端折って、量を増やしても、無駄だということだ。

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