2026.06.16
🟪最高の対策は、知識量を増やすことではない。思考力を深めることである‼️‼️
だから、知識ばかりを追う勉強は、失敗する。
この点、私立中学受験は、違うという人がいるかもしれない。確かに、私立受験において、勉強しなければならない事項は、膨大かに見える。特に、理科、社会の知識量は、小学生の能力を遥かに超えた量である。ここで、大手進学塾の言いなりに、膨大な量を子どもに課す、それで親子共々無限地獄に嵌ることになる。中学受験は、一部の天才的頭脳に恵まれた子以外には、知識の洪水の中で溺れるだけである。
知識を追う危険‼️
知識は、毒である‼️
塾の本来の意義
塾とは、受験に成功させるとこ❓ わからない子をわからせるとこ❓できない子をできるようにするとこ❓
一般的には、名目はいろいろ唱えることはできるけど、実際は、個々の子どもと接して、この子に何ができるのか、できないのか、が、初めてわかる。少なくとも、まとめて集団を扱って、個々の子どもの何かがわかることはない。
わからないポイントは、みな違うからだ。もちろん一般的な傾向というのはあるけれど、十把一絡げでわかることはない。
例えば、集団授業で、逆算を説明する。このとき、あっという間に理解する子もいる。しかし、ほとんどは、何か今ひとつわかったような、わからないような、そんな状態の子ばかりだ。半分はわからないとして、「いいか、わかったか、質問はないか」と確認しても、質問しない子もいれば、質問しても、説明聞いて「わかりました」と実はわからないのに言うのが普通です。
個人と対して、初めて、わからない、何が、どこからわからない、というのが、突き止められる。わたしの場合は、リトマス試験紙と同じ理解を調べるレジュメを使う。検査問題を使う。わかったといっても、検査しなければわからない。だから竹の会には検査問題ばかりだ。親に聞いてわかったと言っても検査問題ですぐわかる。つまり、教えるというのは、そういうことなのだ。それから、その子の状態がわかれば、訓練が必要ならまず訓練する必要があることもある。段階を追って理解させなければ、理解のステージは上がらない。だから、この問題がわからないというときは、まずその問題のステージを下げることから考える。いきなり解き方を教える、そんなメチャクチャなことはやれない。
竹の会の指導とは、徹底した、個人の追求である。個々人が、皆理解のポイントが違うのだから、集団で扱うなんて、あり得ないのだ。
これは高校入試だって変わらない。竹の会は、徹底して、個人対個人、個人を伸ばす、個人の弱点を訓練で乗り切る、そういう指導をやってきた。大手に洗脳され切った親には、竹の会の指導がどうしても理解できない、そういう人ばかりだった。竹の会より大手と去った親もいた。あえて竹の会でできないからと、集団授業に放り込む。大手だから、ただそういう理由だけで、大手なら大きいから、なんとかしてくれるみたいな、わたしには到底理解できない親たちである。
もっとも大切かつ必要なものを忘れてしまった❗️
そもそも集団で、まとめて扱って、ひとりの子どもの内奥が掴めるわけがないのだ。集団で扱うというのは、集団的処理そのものが、全体として、扱うこと、それはもちろん便宜のためであり、個の尊重は元々ないのだ。
勘違いした親と集団処理を前提、それだけは譲れない商売優先の大手塾。これを正当化する塾の論理が、親の勘違いと噛み合って、結局、個を損なわれた子どもが、粗い頭のままに、量産される。
大手のテキストに騙される。そもそもそんなテキストを自分の子が消化できるのか、そんなことも頭にない。ただこれだけやらなければ受からない、だから子どもの限界を超えて、詰め込む。知識は毒なのだ、ということをちっとも悟らない。思考と知識、これは本来相反するものである。知識を詰め込むとき、思考は働かない。ただ覚える、ただ暗記する、それは、思考、いや脳を害する行為である。
知識は、脳が、思考中にあるとき、思考の回路を通ってのみ、脳に入り込めるのである。思考の介在なしに、覚える、これは、行動の根拠が、知識ということ、だから判断のたびに、知識を想い出そうとすることになる。試験でも、考えるより先に、何だったかな❓と想い出すことばかりに脳が働く。まず考えるという手順にはなっていない。だから考える、ということの、脳の使い方がわからない。考えるとは、ある仮説(仮定)を立てて、その仮説を前提に考えを進めて行くことである。つまり、考えるという脳の働きは、いつもやってないと使えない。暗記という作業は、脳の記憶を促す働きであり、反復、書く、図にする、表にする、まとめる、箇条書きにする、カードにする、左右問答する、そういった諸々の行為であり、脳が思考なしに受け付けるには、そういう訴えがいる。試験では、思い出すより、考える方が余程容易、正確である。
実は、記憶は、思考の力で、かなり脳に取り込める。思考を基盤に記憶する。考えることは記憶することでもあるのだ。考えることを通して記憶した知識はなかなか忘れない。それは物語があるからだ。考えるとは、物語を作ることだからだ。人間というのは、生まれながらに物語を通して脳に知見を取り入れて来た。
わたしは、考えるということを子どもたちに、啓蒙して来たのだ。竹の会の受験対策は、ただ考えることの大切さをことあるごとに子どもたちに吹き込み、考えることが受験対策だということを教えて来ただけだ。竹の会は、わたしは、個を大切にしたいと思っているだけだ。教え方とか、知識の対策だとか、そんなものはない。昨今の、大手の作り上げた虚構に、踊らされた、考えない親の、陳腐な質問には、正直うんざりする。というかここまで大手の言うことを頭から信じる親の頭の構造にうんざりしているのだ。






