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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立40年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)大量の学習難民を飼い殺しにする大手塾の罪‼️

2026.07.18

🟥大量の学習難民を飼い殺しにする大手塾の罪‼️
 高校入試を生業として42年‼️
 
 高校入試対策を心穏やかに達観できるのは、長年の、苦闘、葛藤の結果だと思う。数えきれない修羅場を潜り抜けて来た。竹の会は、特に、奇跡の合格と言われるものが多いように思う。それは、竹の会のような小塾に来るのは、大手でうまく行かなかったという子、最初から大手ではなく、小さな塾でしかやれないという子、そう、最初から、難関高校など無理という子たちだから、それが合格してしまうから、奇跡ということになってしまう、のだと思う。
 竹の会は、昔から、高校入試と言えば都立高校志望者だった。私立第一志望というときは、成績の振るわない子が、どこか行ける私立を探す、というのがほとんどであった。都立は、昔は、いわゆる22グループを受ける子も多くいたが、21グループの青山、駒場、新宿が、竹の会の定番受験校だった、と思う。
 都立は、グループ制が廃止され、独自校がスタートしても、やはり都立主体ということは変わらなかった。ただ、西や戸山を受ける子もポツポツ出て来た。竹の会は、連戦連勝だった。ま、都立は倍率が高くても2倍前後だからね。それに、内申が合否の目安になったということもある。
 指導は、いわゆる過去問を使った、過去問合格法という、竹の会独自の内容をもつ、過去問を巧みに利用した方法であった。平成17年から、過去問合格法は、その長所を生かしながら、レジュメ指導体系に発展的に解消した。平成17年から平成19年は、これまでの資料をレジュメにする作業に追われた。都立中高一貫校のためのレジュメ制作が本格的に開始したのは、平成24年のことであった。高校入試のレジュメが、平成20年に完成したのに比べるとずいぶん遅れた。
 竹の会は、高校入試は、歴戦の強者だったと思う。こうすれば合格する、というラインを読めるようになったのは、いつの頃からだろうか。子どもの実力はいつもこの目で、検査を通して、確認していたので、いつしか、子どもたちが、本番で取るであろう得点まで、かなり正確に予測できるようになった。これは、子どもたちと、個人的に接して来たこともあるけれど、都立の問題というのが、一定のレベルを維持していたことが大きい。まあ、私立難関もその点は、難関レベルを維持しているのだから、変わらない。
 過去問は、自ら「解く」のを信条として来た。良問、「これはいい問題だなあ」と感心したときは、必ず記録に残すため、オリジナルの解説を付して、レジュメとして遺した。レジュメは、その年の、指導学年によって、重点が変わる。高校受験生がいるときは、さまざまな過去問レジュメを作る。また、新たに英語、理科、社会のレジュメを編集し直したり、新規にレジュメを追加したりもする。その年その年によって、新たなものが作られる。それが毎年蓄積されていく。
 過去問は、必ず自ら解く。解かないと、問題の本当のことを何もわからないからだ。もちろん解くだけの価値に値するものしか解かない。解いて、良問というか、これはいい「教え」を含んでいるという問題は、詳細な解説を書く。そしてレジュメとして遺す。
 わたしは、解くことで、自らの数学実戦力を高めてきた。今のレジュメの解説は、もう20年も前の、わたしの解法であるが、毎年、解法は、変わっている。問題は、質問を受けるたびに、新たに、解き直すので、新たな解法、ずっといい解き方が、発見されるというわけだ。つまり、わたしも年々進化して来た。竹の会の数学が、駿台全国模試で、全国一位を取ったのも、竹の会の進化していく数学のせいかもしれない。というか、開成受験の年は、国語、英語、理科、社会すべてについて、全国一位になるとは思わなかったが、竹の会オリジナルの指導が悉く功を奏した。模試のたびに、弱いと思われるところに、手を施してきた。それが竹の会のやり方だ。昔からそのやり方は変わらない。
 逸材が来れば、桜修館は普通に受かった。逸材とは、まだ粗野、未熟だが、IQに光るものを感じた子をいう。「この子は受かる」とわたしを確信させる子がいるのだ。そういう子はまた滅多にはいない。そもそも親に経済的制約があれば、受かるものも受からない。入試とは、そういうものである。カネをかけられない人には、成功はない。それが受験の偽らざる現実である。
 IQがない者が、いくら「慶應など」と言っても、どうにもならない。慶應クラスになるとIQの高い者どうしの熾烈な戦い、競争である。そこにIQの低い、ないし普通の者が、入り込んで行っても、努力だけでは勝ち目はない。もともとの才能の差は、どうにもならないのだ。
 いいですか。受験というのは、才能とカネの戦いなんです。才能があってもカネがなければ、成功はない。大学に合格するまで、高校では、予備校、高校入試では、早稲アカとか、サピックスなどの大手進学塾に行くのは、カネが際限なくかかる。わたしが、経験したのは、大学入学後、資格試験に受かるためには、予備校が、必須だということだ。この予備校も、2つ以上行く人もいる。効率のいい教材を手に入れるためである。予備校にかかる費用は、大学にかかる費用と変わらない。また、法科大学院は、年150万はかかる。カネがなければどうにもならない。
 予備校は、先人に学べ‼️のもっとも現代的な先人である。先人は予備校である。
 カネもそうだが、受験というのは、才能ある者に与えられた、世に出る、唯一の、開かれた門である。才能がなければ、本来受験はできない相談である。
 そこのところを、曖昧にしているのが、大手を始めとする大概の塾です。才能がなければ受からない、ことは、例えば、サピックスは、偏差値順のクラス編成をしていることからも、自白しているようなものです。しかし、そういう大手は、才能がない者でも、入塾させる。これは、商売だからです。ダメとわかっていても受け入れる。親も親で、その辺のところは、曖昧にして、ピンクムード、頭の中は、御花畑としか、言いようがない。サピックスや早稲アカに入れば、奇跡でも起こると信じているのだろうか。現実を見ようとしない、大勢の、snsに毒された親が、いるから、受験産業は成り立つのだ。「頑張れば、受かる」、そう思ってるのだろう。何か、大手が、魔法の力でも持っている、とでも思っているのだろうか。難関校に受かる塾だから、「わたしの子ももしかしたら」と、自分の子の才能を過大評価し、合格する気でいる。才能の壁は、絶対に超えられないのに。
いずれわかる。本番が教えてくれる。そう、こういう人間を、バッサリと斬るのは、本番しかない。否応なしである。
 人間の都合のいい、自己に有利な曖昧解釈が、自らを、最後には、ドン底に突き落とす。破滅は時間の問題である。
 早めに、手を打つ。才能がないのに、才能ある者の中に、身を置くことの、虚しさは、如何なものであろうか。
 大手の大罪‼️ そして親の無知がもたらす、愚かな結末❗️
 計算が満足にできない❗️ 割合の基本さえもわかっていない。それなのに、1年、2年も、そういうことは、一切、無視してやる、授業って、いったい何を教えるのだろうか。夏期、冬期などの大掛かりな講習は、いったい何をやろうというのか。親も親である。自分の子が、夏期講習を受けても、簡単な割合の問題一つできるようになっていないなんて、全く気づかないのだから。
 そういう子を量産することが、少なくとも、塾という看板を掲げながら、できるのであろうか。たったひとつ、問題を解かせて見れば、割合がわからない、ことなど、すぐにわかることである。しかし、そういうことは、一切やらないで、授業時間を増やし、やたら大袈裟な講習カリキュラムを組む。いや、その前に基本のチェックぐらいやったらどうなのか。 
 いや、これ、サピなどの大手進学塾でも、その本質は変わらない。才能がないのだから最初から受かるわけないことは、わかっているはずで、それでも、受かる前提の授業をするわけです。どれだけ頑張っても難関なんか受からない。そんなこと承知で、やれば受かるかも、と煽るわけです。それ前提のカリキュラムを押し付け、夏期などの講習も目一杯受けさせる。それで、予定通り落ちるわけです。落ちた方は、頑張ったけど、努力が足りなかったと反省はしても、大手を責めることはない。大手もそのことはよく知っていて、落ちても、それは個人の問題、塾は関係ない、というわけです。煽るだけ煽っておいて、カネを出させるだけ出させておいて、落ちるべくして落ちて、それは個人的な問題というわけです。
 できない子、IQ的に無理な子、そういう子たちを、煽り、高額な講習、目一杯の授業コースに入れて、一年、二年と経っても、計算未熟、割合不良であることは、全く変わっていない。これって、学力を低いままに、冷凍した飼い殺しですよね。
 サピや早稲アカでも、カネはあるが、才能がない子は、塾のススメで、あるいは親が、第三志望、第四志望、・・・・・へととにかくどこか入れるところに入る。少子化で、どんなにできなくても入れるところはある。
 わたしが、不審に思うのは、親も塾も、計算未熟、割合不良のまま、飼い殺して、商売にはなったが、子本人のことは、何も変わっていないことである。
 塾って、それで済むのか。少なくとも竹の会は、そういう子と正面向き合って来た。不毛な指導を嘆いて来た。入塾試験で断ることも多かった。無理とわかっていて、カネは取れない。また、無理だからと退塾をお願いして、恨まれて来た。親は騙されてカネを出す方が、納得するのだ。だから大手のやり方も親には受け入れられる。しかし、割合も、理解しない子に、適性問題集を与え、国語の問題を解かせる。そういうことに、どんな意味があるのか、わたしにはさっぱりわからない。

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