2026.07.28
🟨頭がいいのに、要領の悪いヤツ‼️
頭が悪い、だから要領が悪い、というのは、わかる。しかし、頭がいいのに、いやいいと思われているのに、要領が悪い、というの人、がいるのである。
わたしの経験は、そういう子を何例も目撃してきたことを否定しない。ある年、都立戸山に受かった子は、そういう生徒の一人ではなかったか、とよく思う。要領の悪い人、そういう人には、どうも「何事にもこだわる」性格の人が多かったように思う。視点を変えれば、趣味の人というのは、要領が良くない。これは、要領という、合理性を重んじる態度ではなく、合理性は無視して、好み、嫌悪、趣味を優先する性格、気質に依るせいではないか、と思う。
趣味の人というのは、物至上主義に陥ることが常態である。目的の補助のはずの物にこだわると、もはや目的合理性は顧みられない。主客転倒。こういう人は、試験に向かない。特に、難関資格試験を受ける人に、このタイプが多かったように思う。難関資格試験で受かるのは、たいてい何のこだわりも持たない、若い人である。人間は歳を取るにしたがって、何かとこだわりを持つようになる。このこだわりが、害になるのだ。こだわりは、見方を変えれば、偏見そのものである。つまり、試験というのは、偏見が邪魔なのだ。
進学校に合格して、運動部に入る。例えば、山岳部に入る。するといろいろ装備が必要になる。いやいい装備が欲しくなる。これは、物に囚われる第一歩である。よくアウトドアに凝っている人をYouTubeで見ると、物にこだわるのがよくわかる。
こだわりは、人生の負の選択になる蓋然性が高い。
そもそも面白い人、魅力のある人、つまり、こだわりのある人や趣味の人というのは、合理性とは、無縁の人である。生きる基準が違うのである。
要領とは何か❓
これは、徹底した合理性基準の判断・選択・行動を採るということことである。趣味、好みは、合理性と相容れない。
試験は、こだわりを持つと受からない❗️
問題を解くとき、好みとか、嫌悪とか、そんな感情、つまりは、主観に支配された状態で、問題を読めば、客観的な判断などできる相談ではない。
問題に対するときは、客観性、つまり、前提としての合理性がなければ、正確な読みは期待できない。
結論から言えば、こだわる人、趣味の人、好みの激しい人、神経質な人、あまりにも繊細な人、好き嫌いの激しい人、みな試験には向かない。こういう人は、総じて要領が悪い。自分の趣向のために、合理性を犠牲にするのだ。如何に合理的に判断しようとしても、判断の基準が、合理性にないから、結果から見て、表面から見て、なんとも非合理な選択をしてしまう。
かつての司法試験などで何年もかかる人というのは、たいていこの分類に入る。
定期試験で失敗するのも、この型の人。試験に弱いのもこの型の人。
もっとも試験に弱い人の中には、単にIQの低いためというのも相当数いるから、これは区別しなければならない。わたしが、述べているのは、頭はいいのに、要領の悪い人のことである。頭の悪い人が、要領が悪いのは、当たり前の話し。
小学生、中学生についても、変わらない。
好き嫌いの激しい子というのは、試験に向かない。自分の、偏った思考、偏向的な性格の子は、試験に向かない。よく試験に受かる子というのは、バランスの取れた思考、安定した性格、振幅のない感情、そういう子である場合が、多い。
これは、学力の、伸びにもかかわる。閉鎖的、内向的な子は、試験に向かない。問題をまっすぐ、素直に読めないのだ。
小学生でも、何かとこだわる子というのは、試験に失敗する。これでなければいけない、という頑なな考え方をする子は、試験の問題を捻じ曲がって読む。フレキシブルな、柔軟な子ほど、事態の変化に対応できる。要するに、普通が一番いいのだ。特別を求める子は落ちる。試験とは、普通を追求するものである。
試験とは、自分の好みをデリートすることで、初めて、戦えるものである。すべてが、普通でいいのだ。シャーペンなどにカネをかけるという小学生の話しが報道されたことがあったが、バカの骨頂だ。ただの道具だ。過不足なく、使えればいい。難関試験だから、超一流品を揃える? バカの骨頂だ。試験成功の鉄則は、すべて普通でいいのだ。特別のノートもいらない。普通、普通道を追求すればいいのだ。普通にやれば本番でも普通にできる。特別ばかり求めるから、試験場で、舞い上がるんだ。特別の思い入れを入れた途端にそれはたちまち普通ではなくなる。普通でなければなぜいけないのかというと、なにもかも特別に考えてしまうからだ。落ちた子たちを見ていると、好き嫌い、こだわりが強すぎることがよくわかる。






