2026.08.11
🟩たった一つのこと‼️
塾に行っても潰れる❗️行かなくても潰れる‼️
塾に行っても、集団授業について行けない。それなのに惰性というか、せっかく通っているのだから、とそのまま続ける。
基本的には、一つのことだけなんです。あることを教わる。それが頭の中で、筋道が通った状態で理解できているか、それだけなんですね。この一つのことを疎かにして、とにかくカリキュラムにしたがって先へ進める、とりあえず進める、このとりあえずの積み重ねが、何をもたらすか、誰でもわかることです。親は「こうあるべきだ」という論理で進めてはならないのです。わたしは、このたった一つのことを大切にして来ただけです。子どもが確かに理解したのか、そのことばかりを気にしてきました。だから検査はいつもやります。本当に理解したのか。いつも疑っています。だから私の作るレジュメは、自然理解を試すものばかりになるのです。
たった一つこと、これだけなんです。
英文解釈って竹の会では、高校用初級用副読本を使います。これなんか、私には、文型思考がわかっているか、そのたった一つのことを確かめるためにやるんです。訳して来た子どもの訳を聞きながら、一文ずつチェックしていきます。文の骨格、句、節の「かかり」をチェックし、構文をチェックします。こういう地道な積み重ねによって、たった一つのことを確かめているだけです。中2のときに、この指導を受けた中3は、都立共通英語なら、95%超を取るのがあたりまえです。逆に、早期指導を受けていないと、6割前後を低迷することになります。これが恐ろしいところです。つまり、早期指導をやってこなかった子たちは、数学、英語で、50%ということです。何が恐ろしいかと言うと、例えば、8月のV模擬で英語60点なら12月のそれでも同じ点数だということです。これは、理科、社会についても同じことが言えます。つまり、すべての科目を中2までに仕上げる、これが王道なんです。これもたったひとつのことです。
英語の読解力をつけるには、英文解釈に没頭する以外方法はないと思います。そして、そういう時間が取れるのは、中2までということです。中2までに早期指導ができなかった子は、本当は指導は無理なんですね。だから、中3になって、かなり無理な指導になります。中2までに思い切り時間を取っていることなんですよね。
中2までにさぼって来た者は、本当は本来の意味の受験指導はできないんです。かなり無理しても、どうなるかわからない、その子のIQ頼みみたいなところがある。
正直もう指導は辞めたい、それが本音です。わたしの指導プログラム通りにやってくれたらどんなにか楽か、いいところだって狙える、そんな思いに苛まれます。そういう子たちを指導した結果は、いつもギリギリ、薄氷を履む思いですね。
わたしの成功イメージというのは、早期指導に成功した年だけなんですね。例えば、令和4年の開成合格がそれですね。あのときは、中1までに、中3を終わらせてしまった。わたしの理想の形に進められた。中2の前半は、さらに高いレベルの指導を可能にすることができた。こうなると中3は純粋な「余り」の期間となる。そうなのです。中3を純粋に「余り」の時間として使える、これが難関突破の極意なのです。6月の駿台模試で、全国順位3位、全開成受験者中1位、筑駒3位、慶應志木1位、早稲田高等学院1位、日比谷1位を記録した。V模擬は、偏差値すべての科目で75突破で、測定不能とされた。このとき指導した戦略はすべて特別のプログラムでした。このプログラムを使える子はもう出て来ないでしょう。
たった一つのこと、わたしはいつもそれさえ大切に守れればと願ってきた。
割合の仕組みを悟ること、そのカラクリが立体的に頭の中にイメージできていること、わたしが指導で心にかけているのはそのことだけでした。そのたったひとつのことをわかるまで繰り返しやる、それだけでした。
IQの比較的高い子、そういう子が、もし難関を志望するなら、早く早く始めること、指導時間を最大にとること、これが条件です。
竹の会で失敗した人の99%は、この要件を満たさなかったからです。倹約家庭からは合格は出ないというのは、暗黙の真理でした。受験というのは、経済的制約で失敗する、本質があります。明治・大正・昭和戦前の苦学による成功は、今は化石となりました。東大合格者のほとんどが、富裕家庭であるというのは、その表れです。中学受験、私学進学校というコースを取るには、かなりの経済的な余裕がなければかなわない話しです。高校入試で、開成、筑駒、早慶などに受かるには、早稲アカ、サピックスなどの進学塾大手に行くしかない。そうすればかかる費用は半端な額ではない。つまり、そういうところに行くのは、とてつもないカネをかけなければできない話しなんです。ですから塾でカネを節約するなら、そういうところは受かるはずはないのです。これは難関校だけの話しではない。その人の能力との兼ね合いになるとしても、都立独自校でも共通でも、変わらない。カネかけたヤツが勝つ。それが受験の真理です。真理に逆らう限り受からない。多くの人は、この真理に逆らうから、落ちるのです。
塾に通っているのに、自己のやり方を持ち込む人は、落ちる。塾を「利用する」という感覚なのだろう。これは、大学受験の予備校に典型であるが、予備校に素直に従う人の方が合格が早い。自己流、予備校はその延長の利用という人は合格までに時間がかかる。
わたしが、言っているのは、竹の会の場合、竹の会のやり方に素直に従う子が受かる、ということであす。竹の会に市販の参考書、問題集を持ち込んでやる人が、稀にいたが、それでは、竹の会に通う意味はほぼない。大手塾の場合は、比較的そういう人はいるのかな、と思われるが、まるっきり自己流なら、通う意味はない。
受験に失敗するのは、たった一つのことが、できないからだ。
たった一つのことは、すくなくとも少なくとも勉強する意欲があることが、前提となっている。そもそも勉強しない者(ただの怠け者)には、一つも二つもない。勉強先送り、現実逃避の人間は、論外である。
このまま勉強先送りの生活をしていれば、1年後、2年後どうなるか、そんな予測もできないIQの低い人間には、何を言っても無駄である。ところが、こういう人間が、竹の会にもよくいた。今サボることが、一年後どういうことになっているのか、そんなことはわかっている。しかし、いくらそういうことを説いても通じない人というのがいるのだ。中にはIQの比較的高いという子もいる。不作為ほど怖いものはない。人間というのは、不作為ならいくらでも続けられる。英語をやらないで放置する、漢字は一切やらない、嫌な科目、頭を悩ます科目は極力避ける、そういう人がいる。こういう不作為は、一年後には、もはや取り返しのつかない事態となっている。そこまで放置する、そういう子がいるのである。やらなければどうなるのか、いくら説いても通じない。その時が来るまで放置するしかない。あえて失敗を選択する、頭の悪い人がいるということである。






