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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟨頭が悪い‼️

2026.08.13

🟨頭が悪い‼️

 例えば、竹の会の定番レジュメ「算数の魁」というのがあります。これを、小3で終わらせた子もいれば、小5、小6になってもできない子もいます。これが生まれながらの、神の与えられた現実である。他塾から来た子、無塾だった子については、「実のところ」がはっきりしない。わたしがずっと診て来たわけではないからである。頭が良くても大手や他塾のやり方なら無にしてしまうこともある。しかし、竹の会で小2、小3から指導して来た子が時間がかかるなら、IQのいたずらだとせざるを得ない。IQに恵まれた子には竹の会のレジュメがそのまま効果を発揮する。この場合は、ただその子の怠け心が懸念になるだけである。しかし、IQに恵まれて来なかった子はそうはならない。レジュメは、さらに本質を踏まえた、基本にこだわったレジュメを作っては試すということを繰り返すしかない。それでもうまく行くとは限らないのが、こういう子の常である。それでも思い直してまた工夫して基本を学べるレジュメを作って来た。こうして作られた、基本のレジュメをそれでも反復して使う、そういう処方を施してきた。その結果、「算数の魁」を主体的に、取り組めるようになるかというとなかなかそうも行かない。なにしろ本人のIQの壁が敵の本体だから、わたしにはどうにもならないのである。
 実は、公立小のほとんどの子は、おそらく8割はそうなのだろうとおもうが、IQの壁を持つ、問題を抱えた子ではないかと疑っている。判断の目安は、学校の内申である。「よくできる」が5割、その他は「できる」なら普通である。もしかしたら、普通よりできる子かもしれない。好き嫌いに左右される子ならそうなる。しかし、「もう少し」があったら、99%IQの問題をかかえていると見ていい。「もう少し」が2、3あるけど、「よくできる」も「できる」もある、という子がいた。ご存知のように学校の教師というのは、内向的な子、つまり、自分の思っていることをうまく言葉に表現できない子を低評価に扱う傾向がある。実は、この子は、早稲田進学会の模試で全回成績優良者に名前を載せほどのこである。高校入試では、柴谷幕張で特別特待生合格、開成高校一桁合格、筑駒一桁合格、駿台模試全国一位を取ることになる、天才だったのである。竹の会に来たときは、そのようなひどい内申で、冴えない成績という印象だった。しかし、竹の会の入会試験では、1問をミスした以外は全問正解して見せたのだ。この子は竹の会で能力開花した天才であった。子どものIQ判断では、内申の読み取りは微妙な判断を求められる。彼は、竹の会のレジュメが彼の潜在していた能力を開花させた、そう思っている。もともとは竹の会のレジュメは、天才を育てるレジュメであったと思う。それは、できる子ほど、竹の会のレジュメに感動していたことからもわかる。IQの壁を持つ子には、竹の会のレジュメも、猫に小判となる。その良さなど凡そわからないし、それどころかチンプンカンプンの類いだっただろう。わたしは、その度に、そのIQに合わせて、レジュメを作って来た。これは、天才を指導する方が余程充実した仕事なのだとはわかっている。かつて灘中と麻布中、開成中、早稲田中の第6問シリーズを執筆していたときは、充実した日々だった。いつも鞄には過去問があり、暇さえあれば難問の類いを解いていた。解くと、それをレジュメ化していくのだ。なかなか解けないときは、いつも問題を思い出しては考えたものだ。問題は、頭の中にあり、電車の中、何かを、待っているときなど、いつも思案中だった。あるとき閃き、工夫が浮かぶ、そうしたらすぐ鉛筆を走らせた。解答、解説は、いつもオリジナルだった。
 このやり方は、もともと高校入試の過去問を解くときの習性だった。解けるまで考えた。竹の会のレジュメは、わたしのそうした思考の結晶だった。このレジュメで育った子たちが,東大、京大、一橋大、東北大、東京科学大、早稲田、慶應へと合格していった。他方,IQの壁を持つ子のために,これまでとは違った,基本を,基本の考え方,ひいては思考の力をつけようと,これまでとは違った主旨の基本に特化したレジュメを作ってきた。なんとか基本さえも理解に苦しむ子たちをその窮屈な世界から救い出したいという一念からだった。こういう仕事は本来わたしのめざすものではなかったけど,公立小の大半の子がIQの壁を持つ子であること,そして最近の竹の会には入会試験をクリアできない子たちが多いことを考えると,そういう子の救済もやむを得ないものであった。とは言っても時間のかかる話であり,そういう子がようやく頭角を現すのに2年余の歳月が必要なことがわかってきた。ただ私の仕事は本来天才を指導することであった、ということはいつも心の片隅にある。

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