画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立40年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟩読解とは❓ 

2026.08.26

🟩読解とは❓ 

高田瑞穂「現代文読解の根底」
以下は、高田瑞穂「現代文読解の根底」の要約です。(わたしの意見ではありません)
 読解の定義
 読解ということは、次の二つの課題を解くことである。
 (1)言語とそれが指し示す事物との関係
 (2) 一つの語と他の語との関係
 この第一の分野は意味論と呼ばれ、第二の分野は構文論と呼ばれている。この二つの分野を明確に把握すること、それが読解なのである。
  このことは、誰でも日々体験しつたあることなのであるが、それだけに、必ずしも明確な意義を必要としないところから、あいまいなら状態に陥ることもあるのである。
(引用終わり)

 さて、高田瑞穂の読解の定義は、明快である。そうは言ってもなかなか容易なことではないのは、高田瑞穂「新釈現代文」を読めばわかる。この本は、わたしが、九州大学を受験したときに使ったものであるが、名著とされ、復刻版が文庫本として出ている。最近書架に何冊かあった一つを取り出して読み耽った。あの頃いったいどのように理解していたのだろうか。現代国語は、わたしの得意科目で、高3のとき、全県模試で確か国語が全県3位を取ったと思う。わたしは、国語のために特に何かをやったということはなく、やったと言えるのか,毎日現代国語の教科書の単元を10回音読していた。それだけである。浪人して、初めて参考書というものを読んだ。「新釈現代文」では、「ある何かの追跡」ということが、一貫して出て来る。このある何かというものが、ずっとあいまいだったように思う。高田瑞穂は、人生において読書に没頭する時期が二つあるといい、この時期に読書をしなかったなら、人間として幼児のままのようなことを述べている。一つは、小学高学年、もう一つは、高校3年あたり、らしい。翻って考えてみると、わたしは、小学5年頃に図書館から本を借りては読んだ時期があった。わたしが2番目に読書に興じたのは浪人して九州大学の受験を終えた時期だった。夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介、森鴎外、などを読み尽くした。毎日明け方まで読み夜も白む頃、疲れて眠りに落ちた。旺文社文庫、岩波文庫を一日一冊のペースで読んだ。かろうじて、高田瑞穂の言う二つの時期があったことになるのかな。
 さて、新釈現代文を今また読んで、改めて開眼することとなろうとは。ここ何年か「文脈論」に関心を持ち、さまざまな文献を漁っては読んでいた。しかし、文脈をストレートに扱った本は、皆無であった。長く不満に思って来た。ふと書架を見ると、昔読んだ「新釈現代文」があった。何気なく取り出して読む。読むうちにどんどん吸い込まれる。そして気がついた。ある何かの追跡とは、文脈を追うことではないかと。そう考えてみると、どこを読んでも辻褄が合う。すべてが腑に落ちる。実は、「国語ポイント集」の執筆が頓挫したのは、文脈論があいまいだったから。これで書ける。わたしは、途中で放り出していた原稿を一気呵成に書き上げた。この原稿を書くに際しては、20冊ほどの国語文献を読んだ。
 高田瑞穂の「新釈現代文」は、初版は新塔社から出た単行本だった。後年東京に出て、買って初夏にあり続けたが、いつか国語に悩む受験生に贈呈した。その後文庫本の復刻版を何冊か買った。しかし、どうしても単行本が欲しくなり、ネットで探して、ようやく未使用のものを落札した。実は「現代文読解の根底」については、早くから単行本を買っていたようだ。書架で見つけたのだ。それが書架に眠っているのを見つけて嬉しかった。「新釈現代文」以外に、文脈について、ここまで深く論じた本を知らない。ここから、また志賀直哉や芥川龍之介の美しい文章を再認識することになった。高田瑞穂は、大正時代の文学を美しい文章の代表としてあげ、志賀直哉、芥川龍之介、などを読むことを勧めている。これから読まなければならない本ばかり。不思議なもので、竹の会の書架を探せばたいていば見つかる。わたしは、何を思ってこういう名作を買っていたのだろうか。

ページトップへ