2026.09.03
🟪小学期を失敗する親たち‼️
中学受験、都立中高一貫校受検、なんでもいい。子どもの能力が普通程度、いや実態は、それ以下、そういう子を大手に入れる、そんなめちゃくちゃなことをやる親ばかりだ。こういう子たちが、1年、2年経ち、高学年になっても,実は、割合の基本問題一つ解けないという現実をどう思っているのか。小学期の2年、3年というのは、実は、このときしかない、貴重な期間だということ,この期間を無為に過ごす親があまりにも多いということ,である。
中学受験レベルの計算は、小2でマスターできる(竹の会実績)。計算は、あらゆる学びの基礎となる。竹の会の実績では、早い子で3か月前後、遅い子でも6か月でマスターする。ただし,超例外として高学年までできない子が稀にいる。結局は計算までの子である。計算がマスターできれば、割合の考え方を教えこむことに取り組む。竹の会では、割合だけで、例えば、小3から小5いっぱいかける。竹の会で割合中級と言えば、芝中の割合の問題が解けるレベルである。割合といっても、割合を軸に、単位あたり量、縮尺、速さ(速さも単位あたり量である)、面積図、ダイヤグラムなど多岐に渡る考え方を学ぶ。いずれも「工夫」ということでは、共通性を持つ。つまり、算数を通して、工夫して解決していくことを学ぶことが,すなわち指導の眼目である。考える姿勢を学ぶ。勉強に対するスタンスを確立する。勉強を生活習慣とする。そうした全人格的な勉強に対する姿勢である。
わたしが、小学の間に、基本を身につけろ、というのは、以上のようなことである。これは一朝一夕には成し難い。
大手に通う子にはこれがない。決定的に基本が欠落している。割合の問題一つまともに解けることがない。こういう子が受験に成功することはなく、必然的に区立中学へと行くことになるが、基本的な思考スタンスがないままの子には、落ちこぼれの道しか、残されていまい。ここでまた大手に行けば最後は低偏差値私立で落着することになろうか。というか、じゃあ,大手に行かなければなんとかなるのか、と言えばそれもない。中学になっていまさら、基本からもないだろう。 そもそも考えるスタンスなどというものは、小2から日を積み重ねて作り上げていくもので、一朝一夕にはできるものではない。その積み重ねは、それはそれは遅々たるもので、一つやっては、やり直し、進んだと思ったら、また振り出しへ、そういう積み重ねの一年、二年が、作り上げていくものである。思考するスタンス、習慣というものは、考えるという、抽象世界の市民権を得るまで一つの苦難の道であり、この道を道草しながら、獲得していくものであり、この過程を小学高学年になって獲得するのは無理で、ましてや中学になってからでは不可能である。
小学低学年の重要さは、長い経験に裏付けされた、わたしの確信である。
小2から訓練を始めた場合の、成功率は極めて高い。
ただし、IQによる影響がかなり比重をもつ。
この基本訓練なしに小学期を過ごせば、さまざまな意味において、中学は、確実に底辺に向かうであろう。
大手は、基本訓練が欠落している。それは、集団をあつかう商売であること、利益優先、つまり天才の出す合格実績を元に烏合の衆を集めて稼ぐのが目的だからである。大量の「その他」は大手の飯のタネに過ぎない。そういう飯のタネは、カネを貢ぎ、底辺に溜まるだけである。
基本というのは、大手のように、テキストの一単元、一項目として、やれば終わるわけではない。時間のかかる子がたくさんいる。時間さえかけてやればできるようになる子も多い。わたしの指導は低学年からほど成功率が高い。小学高学年,特に,一度大手で悪い洗脳をされた子に,基本からやりなおすことはほとんど不可能である。だから小2が貴重なのだ。ましてや中学になってしまってから基本の欠落した子を指導するのは不可能に近い。公立中学はそういう認識の欠落した親の子が集まるところである。中学生が成績不振で塾を探し塾に通う,しかし,成績不振の原因はIQに問題がなければ,遠く小学低学年時代の過ごし方にあったのであり,もはや手遅れです。もはや手遅れの子たちが,大勢いるから,公立中学は天国である。1割のIQに恵まれ,小学低学年期から基本を学んできた子たちには天国です。ただ無為に過ごしてきた子たち,サッカーでもなんでもいい,基本を学ぶという気も微塵もない子たち,そういう子たちが公立中の8割を占める,そういう世界です。1割に満たない子たち,一握りの子たちが,砂金のように輝き,希望に満ちた未来を手に入れる。区立中学は,私立中学,都立中学に進んだ英才たちの抜けた,皿の底に沈んだ金を取り出す作業に似ています。まだ金がある。そういう世界です。






