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《渋谷で創立40年》都立中・都立高の受験対策

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟩好き嫌いの功罪‼️

2026.09.09

🟩好き嫌いの功罪‼️

 小学生によく「わたし、あれ嫌い」という子がいたな。好き嫌いって、わがままから来るよね。となると、親が子のわがままにそのまま従ってきた、そういう育て方したからということになる。子にしてみれば、その時その時の感情で動いていただけなのだろう。親も「この子はこれが嫌いなので」と子のわがままそのままに迎合するから、ますます好き嫌いが市民権を得る。ますます鮮明になる。というか、親も好き嫌いの激しい、つまり何の成長もないままに大人になっているのだから、仕方ないか。  

 物事を好き嫌いで決める、こういう偏向判断で自分の人生を決めるなんて考えられない。
 「英語は嫌いだから」と英語をなるべく回避する行動を取る。国語が嫌いだからと読書はもちろん漢字も覚える気がない。理科、社会が面白くないと一切無視する子もいた。これほど好き嫌いという偏向選択が、自分の人生を狭める判断があり得ようか。しかもただ狭いというのではなくて、それは人生の底辺選択なんですよね。
 そもそも科目で好き嫌いという感情を持ち込むことが、人生の失敗なんですよね。
 自分にとって障碍だから、聳える壁だから、取り組む、いや取り組まなければならない、のではないですか。努力して、失敗して、また挑戦する、弾かれても弾かれても挑戦する、そのうち、工夫して取り組むようになる、頭を使うようになる。苦難の末、ある日克服する。そのときの喜びは一入である。好き嫌いとは、そういう試練を逃げる人の口実に他ならない。長年好き嫌いを言う子の、なんとも言えない違和感、何かが違うと思ってきた。
 幼いとき、人参が嫌いだった。ピーマンは歯触りが嫌いだった。刺身が食べられなかった。母がいつも「ニンジンは栄養がある」と諭していた。でもその母は刺身が食べられなかった。大人になって、ニンジンもピーマンも食べるようになった。刺身も食べるようになったけど,やはり青魚の生臭さは耐えらない。 偏見、偏向判断は、食べ物だけで終わらない。学齢になれば、科目の好き嫌い、人の好き嫌い、先生の好き嫌い、物の好き嫌い、私たちは、好き嫌いから逃げられない。
 もちろん危険な人を避けるのは、好き嫌いではない。危険だから避けるのだ。人生の害悪から逃げるのは、好き嫌いではない。生命に関わる危険判断である。だから好き嫌いによる回避と危険回避とは違う。アレルギーで食べないのは危険回避である。
 親が子の機嫌を取る、好き嫌いに合わせる、嫌なこと、思いをさせないようにする先回りする行動ばかり取る。子どもには、そういう生き方を親が教えることになる。あなたの思い通りにしていいのよ、困難なんてないから、自分の主張を通せばいいのよ❗️ えっ、そうなんすか❓ 
 少なくとも、算数が嫌い、国語が嫌いなどと最初から偏見を持って臨むべきではない。須く虚心坦懐に事に臨むべし。算数ができないのは、IQのせいかもしれない。国語ができないのは、IQもしくは言葉の学習に必須の真面目な勉強姿勢かもしれない。
 しかし、だからと言って、好き嫌いで片付けてはなるまい。嫌いだからやらない、仕方ないでは、何の言い訳にもならない。
 中学は、9科目あります。だからオール5を取るなんて、大変なことです。できない科目は嫌いと言って、ますます勉強しなければ、ますますできないでしょ。嫌いだからやらない、それじゃ人生は生きられない。というか、その前に、好き嫌いで物事を決めるのはやめた方がいいのではないかと思うのです。
 好き嫌いというのは、一つの八つ当たりだと思うのです。何かができなければ、すぐに嫌いではなくて、そこであれこれ悩んでなんとかしようと行動するのが、本来のあり方ではないですか。人生は、そういうことの積み重ねではないですか。嫌いだから、背を向ける、それではあなたの人生はあまりにも狭いものになるのではないですか。だって世の中には嫌いなもの、ことばかりではないですか。
 とは言っても、人間って、ほとんど好き嫌いで、生きてますよね。髪型、服装、色の傾向。趣味も好き嫌いの行き着く先。住むところも。
 選べないものがある。公立学校(地域内の自由はある)、履修科目、担任、教師、制服、給食、学則などなど。ここで好き嫌いを言えば、サービス拒否しかない。好き嫌いを言っていては、社会が成り立たないのだ。私的なところでは通用しても、公的なところでは、好き嫌いは、封じるしかない。
 やりたい仕事、好きな仕事、会社に入っても、やりたかった部署につけるとは限らない。人間関係だってうまく行くとは限らない。自分の好き嫌いとの折り合いをつけながら我慢して行くのだ。どうしても耐えられないなら、好き嫌いの爆発だ。転職は、給料の不満からばかりではなかろう。いや好き嫌いの方が深刻だ。好き嫌いを封じ込められるほどの仕事、好き嫌いにそう仕事、たとえば、大手企業、公務員とかなら好き嫌いも言っておれないかも。しかし、それには好き嫌いを言っていては、受からない。
 趣味とか、好き嫌いでやるものに熱中すれば、結局、好き嫌いだけで生きることになる。仕事そっちのけだ。
 結局、好き嫌いを通せば、人生はやって行けない。だから人は私的世界だけは好き嫌いを通す。好き嫌いに通せば、ポツンと一軒家みたいに自給自足しかない。社会とは、共同社会、それもまるで趣向の違う人間の溢れるところ。だから自分の好き嫌いは通用しない。そういうところ。そういうところが受験,試験の場ということだ。
 勉強しなけりゃ、一年後どうなるか、分かりきっている。それでもやらないのは、自業自得ということだ。少なくとも賢い人間のやることではない。やらないという好き嫌いを通すことが、どういう結果をもたらすか、子どもは現実感をもって受け止められない。なぜって、親が過保護、甘やかしで、その危険な未来のリアルを麻痺させているから。子どもは深刻に受け止められない。どうせまた親がなんとかしてくれる、と軽い気持ちしかない。
 これも社会のリアルだ。こうして夥しい甘い人間たちが地獄の人生へと落ちて行くのが世の中ということだ。

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