2026.09.11
🟩まず「考える」子に育てろ‼️
多くの親が判断を誤る、取り返しのつかない愚かな選択‼️
小学低学年は、思考を教え込む適齢期❗️ 観世は、七歳をもって芸事の開始時期とした。わたしの実感では、小2がもっともいいように思います。もちろん小2なら誰でもということはなく、そこに適性はあります。あまりにも幼い、飽きっぽい、集中が続かない、そういう子は無理です。おそらくそういう子は高学年になっても無理と思いますが。
小3の子で、そういうダメな子を何例か経験しました。集中が10分ほど、同じことを繰り返すことを嫌がる、そういう子がいました。
思考とは、抽象的な思考作用をいう。小2には、抽象というものがわからない。そもそも「ない」からだ。だから、抽象という概念を頭の中に定着させるのは、実に困難な仕事である。子どもの頭は、具体的な物と結びついた言葉しかない。実は、言葉そのものが、抽象的な記号なのだが、具体的な物と結びつくことによって、頭に定着する、ことに慣れて来たわけである。
抽象概念には、それにあたる物はない。概念そのものが、定義というものを持つ。例えば、「民主主義」という概念は、それにあたる物はない。概念の定義があるだけである。概念の定義だけで、考える、これが、抽象思考である。
小学低学年から高学年は、具体的な頭から、抽象的なものを組み込んでいく過程である。定義から論理的に導かれる理論を組み上げて行く、これを抽象思考という。
計算は、抽象思考の訓練である。繰り上げ、繰り下げ、四捨五入、概数などの定義を理解して、具体的に適用していく。分数という抽象概念、約分、通分、分数の繰り上げ、繰り下げ、逆数など様々な定義を習う。定義は約束と言われることもある。そうなのだ、抽象思考は、定義思考と言ってもいい。定義から当然導かれる帰結、定義と矛盾する事態、わたしたちは、常に、最初の約束、定義との検証を迫られる。抽象世界の市民となること、これが目的であった。
抽象思考の訓練は、算数、特に、割合の勉強を通じて行うのがベストである。割合の問題、特に、中学入試の割合問題と取り組むことにより、工夫ということを学ぶ。また、国語の説明文を読むことで、言語という抽象的な定義・意義を使う訓練をすることができる。物語は、多分に、具体的思考の側面がある。しかし、抽象-定義が皆無なわけではない。
竹の会は、抽象思考する、定義思考のできる子を目指して来た。子どもというのは、言葉で説明してわかるというものではない。計算も実践させながら習得していく。整数3桁の和と差から始めた子を想定して欲しい。引き算では、上の位から借りてくるという抽象を経験する。かけ算から割り算へ。整数の割り算まではできる。小数の割り算は多くの小2が壁に突き当たる。特に、余りのある小数の割り算、小数点の位置の取り方では抽象度が高い。子どもたちの頭は、計算を通して、抽象的な操作経験が積み重ねられていく。次は、いよいよ分数だ❗️分数の繰り上がり、繰り下がり、という抽象度はそれほどではない、仕組みを学ぶ。ここでも躓く子はそれなりにいる。これができると通分。ここで時間のかかる子もいる。分数の和と差、かけ算、割り算は、約分の延長として教える。次は、やたらカッコの多い、四則混合の整数の計算、これで計算の順序を練習する。何故かける、割るが先❓割るはかけるの裏返し、かけるのが先なのは、原始時代、まず人数に分け前をかけてから足すという自然な振る舞いから。あと分数の割り算は何故逆数をかけるの❓という話しもある。つまり、分数で割るというのは、当該分数の逆数をかけるのと同じこと❗️そもそも逆数って何? 当該分数にかけると1になる数をかける、そのかける数が逆数だ。要は、分数をひっくり返すこと。例えば、3分の2の逆数は、2分の3。
ところで、何故、逆数を、かけるのか❓
これには、いろいろと説明がなされています。わかりやすい説明で理解すればよろしい。
わたし独自の見解 このような説明をする人はいない❗️
例えば、3分の1で割るとは、1で割る場合を3分の1に縮めたもの。1で割る場合の3分1にしたのですから、値は、3倍になるはず、だから✖︎3です。
ほかの場合もこの発想で説明できます。3分の2で割る場合も、3分の2が1の何倍か調べて、
ちょうど逆数倍ですから、逆数をかければいい、ということがわかります。
以前白鷗に、これが出ました。
単位あたり量の問題で説明する本が多いですけど、わたしの解答でいいと思います。
竹の会では、小2入会で約3か月で、中学入試のハイレベルの計算問題が解ける子が出ます。ただ小4に来て、1年かかったケースもありました。これもIQですね。
本格的な、思考力訓練は、計算をマスターしてから。
思考訓練は、割合の仕組みの理解を通して培う。多くの指導レジュメを制作しました。教材はある時期から、中学入試の過去問から制作したレジュメを使います。
早い子で、小4には、もう芝中レベルの割合過去問を解けるようになっています。
割合を軸とした指導は、1年から2年続きます。
割合と言っても、割合思想ですから、単位あたり量、縮尺、速さ(これも単位あたり量)と算数の重要分野はほぼ網羅されての割合です。
上級者になると、中学入試の難関中学の問題を解きます。
思考訓練は、算数だけではない。竹の会では、国語読解問題集を使った読解訓練をやっています。国語は、わたしの研究テーマであり、「文脈」を追う読解法を指導しています。
思考スタイルの確立のもたらす効果は驚異的です。高校入試の下地となる基本力は十分につきます。また、中学受験、都立中学受検をするとして、その合格可能性はかなり高い、と思います。
まず算数力を鍛えよ‼️
算数は、工夫の科目です。巷の、いや大手で教えている算数は、〇〇算の解き方みたいな典型的な暗記パターン式です。せっかくの算数を台無しにしています。解き方なんかどうでもいい。とにかく工夫して解く、その面白さを知ることです。巷の面積図は、確立された工夫です。自分なりの面積図、工夫する面積図を作る楽しみみたいなものもあります。とにかく解き方は自由なんです。比例、比の高度な利用を楽しみながら、工夫する喜びもあります。
竹の会で基礎のできた子なら高校入試も成功します。トップ都立、開成などの難関私立も視野に入れることができます。
基礎力をつける、基礎を固めるということは、あらゆる可能性を担保することになるのです。基礎とは、思考力をつけることと同値です。考えるスタンスをつける、それは勉強する習慣、勉強に対するスタンスができたということでもあります。
竹の会が小2から、早期に、というのは、全体そのような主旨です。
多くの親は、まず習い事と気軽に始める。塾も習い事みたいなものと実に軽い。バカ言っちゃーいけない❗️小2期からの基礎訓練は、中学、高校、大学とすべての土台となるものです。ピアノがうまい、それは結構、それで成績は? 習い事で将来食っていけるのか、そんなものたいていは小さいときやっていた、そんな昔話にしかならない。基本もできていなければ小学では8割の境界学力の仲間、中学は8割の落ちこぼれの仲間、低偏差値、底辺高校に行き、「底辺」は一生のレッテルとなる❗️ そんなことよりまず学問の礎でしょ。七歳にして学問を志すでしょ。愚にもつかない習い事?野球?サッカー?それで学問の機会を逸してそれに勝る価値を得られるのか❗️
塾を習い事の一つとしか認識しない親の氾濫❗️
学問の地位の低下ということなのか。学問は身につけるファッションの一つとしてしか認識されなくなったのか❓
思考力訓練の機会をいとも簡単にスルーされる子たち❗️
IQの高い子ならいずれ学問の面白さに気づく。しかし、大多数の凡人は思考訓練のないままに、未分化のままの原始的な脳で社会に出て、辛酸を舐めながら、いわゆる人生で学ぶしかない。
算数も数学も工夫の学問。与えられた条件、前提から、限られた情報で、そのままでは、解決不能と思われた事態を工夫の力で、謎解きして行く、これが醍醐味ですね。算数、数学の面白さは、そこにある。工夫するスタンスは、国語読解の道も拓く。現代文界では、予備校講師による、予備校生を惹きつける主張がなされてきた。しかし、どれもこれも心に響かない。読解って、ただの読み取りですよね。書かれてある文の意味を取る、それだけのことですよね。それは、要は、文脈を追う、ということですよね。ところで、文脈について、書かれた本は、ほとんどない。唯一高田瑞穂著「新釈現代文」を除いては。これって昭和40年には出てた、古い本ですよ。絶版になってましたけど、筑摩新書から復刻版が出てます。名著です。
わたしは、子どもたちが、早くから、工夫するということを思考の方法とすることを学ぶことの大切さを訴えて来ました。もちろん小3、小4でも、IQが普通以下の子ばかりですから、まともな子に出会うことはほとんどない。その普通以下の子でも、諦めずに、訓練を続けて行けば、開眼する、そんな経験もして来ました。わかり始めるのですね。ヘレンケラーが「奇跡の人」で開眼した、あのときのように、わたしには、感無量の一瞬です。物には一つ一つ名前がある、ということを三重苦のヘレンがわかる瞬間です。多くの小学生は、割合を学んでも、何か腑に落ちないままに、やり過ごし、一年、二年と過ぎても、理解は最初のまま、実は何も理解できていない。
初心の小学生、如何にIQが高くても、みな三重苦を背負ったヘレンケラーと一緒だ。言葉の不足、知能の未分化(幼さ)、数的処理の未熟(抽象思考の欠缺)。だから一年、二年かかる、とわたしは言って来た。だから早く始めなければとても間に合わない、そう言って来た。
子どもの、幼さ、幼稚な脳に、抽象思考を取り込む、これは一朝一夕にはなし難い、大仕事である。とにかく時間がかかる。しかし、時間をかけてもやる意味はある。一たびわかった子は、もう伸びるしかない。腑に落ちた子は、伸びてゆく、こちらの想定を遥かに超えて伸びてゆく。その日があるから、わたしは我慢強く訓練を繰り返す。なかなかわからない、理解してくれない、めげずに繰り返す、それが塾の仕事だと思っています。
考える子になったか、割合のわかる子になったか、竹の会で基礎を十分に身につけられたか、それだけです、
大手で基本もつけられないままに、区立中に進む、夥しい子どもたち。親はそれでよかったのか、なにがしたかったのか、基本もない子たちが、区立中で落ちこぼれていく。初めからわかっていたことではないか。大切なものは何か。考えてもみない親の行き着く先は、子どもの無惨を見てしかわかることができないのか、哀れなことである。






