2025.12.08
🟧何かが欠けている‼️本質的な何かが‼️
内申がなぜか悪い子、それなりに理解していると思われるのにいざ試験になると点が取れない❗️
いやそれなりに頑張って勉強しているように見えるのに❗️なぜ❓
こういう子が必ずいるものです。
試験に弱い❓ 試験センスがない❗️ 頭が悪い❓ 要領が悪い❓ いろいろ言えそうですね。しかし、どうも何か違うような気もします。言葉で表現するには、中身がわからない。
こういう子たちの頭の中というのは、正直わからない。本人は、試験勉強ということで、見ていると、頑張っているわけです。ただ家庭のことまでは見ていないから、いったい勉強しているのか、何をどのようにしているのか、はわからない。とにかく本人が、勉強している、というのだから、やってはいるのでしょう。しかし、テストの結果は、判で押したように、できてない。だから内申も悪い。そういう子がいるのです。頭の中が、漠然としている、ということなのか。
おそらく私たちが考えているような、頭ではない。頭の中を言葉にできないほど、頭の中は、曖昧という原子が飛び交っているのかもしれない。同じ参考書を読んでいると言っても、読んだ知識や理解が、かなり曖昧な形で、頭に取り込まれる、のかもしれない。要するに、暗記も曖昧、理解も曖昧、だから脳内も曖昧ということなのではないか。
これはどうしたことか。
曖昧なものは、言語化できない、明確な理解、知識のみが、言語化できる。とすれば、言語化能力が劣る、ことが、一つの原因かもしれない。そういうば、合格する子というのは、能弁な子が多い。きちんと言語化できているのだ。
そう言えば、算数のできない子というか、図で考えることができない子というのは、想像力がないのだろうが、それ以上に、脳の中での、言語化活動が極端に弱いのではないか。わたしはよく「工夫をしろ」と言うのだが、この工夫が全く「ない」というか、脳の限界を超えているという実感がする。これをIQが足りない、というのかもしれない。
子どもには、①教わったことだけできる子、②教わったことができない子、③教わったことを利用してさらに教わっていないことまでできる子、がいる。公立小の子どもは、辛うじて①の子、①と②の間に位置する子が、8割ほどではないか、との実感を持っている。都立中高一貫校に合格できるのは、③の子だけである。①に属する子が、受験に専念しないで、習い事、稽古事をやっていれば、そもそも受かるはずがないのだ。
小5まで、様々な、例えば、サッカーやピアノといったことをやっていれば、たとえ塾に通っていたとしても、受かることはないのは、小6になってみればわかる。どんなに優秀な子、上の③に属する子でも、受からない。それが、受検ということだ。近年は、小4前後から進学塾に通って、勉強一筋に、家庭一丸となって、頑張ってきた子たちが、私立難関の併願先として、小石川や桜修館などの都立を当然のように受ける時代である。能力的にも劣り、勉強量では、圧倒的に負けている、そういう子たちが勝つことはない。
さて、理解とは、言語という手段を使って、頭の中で、思考することである。曖昧なことは、言語で表現できない。また、言語化が、幼稚なら、それは、高度な知識も、曖昧なままに、脳内では、無と化するであろう。脳に言語による論理、物語がないのだ。ワンフレーズの、言葉が、何の脈絡もなく、頭に浮かぶ、そういう頭になっている。
内申なんか取れるわけがないのだ。言語化訓練を怠ってきたつけは、致命傷となる。
言語化とは、意味を求めることであり、物語でまとめられることである。言語化能力のない者には、物語がない。






