2026.10.01
🟩思考とは、仮説を立てること、仮説とは、物語を構築すること‼️
思考とは何だろう❓
単なる思いつきではない、ストーリーを立てることだ。
もしこうだったらどうなる❓ そこでその仮説をストーリーに仕上げる。これが思考の本体である。数学なら、立てた仮説が成り立つか、反証を挙げていく、崩れれば、また新しい仮説を考える。都合思考とはこのようなものだ。
私たちは、言語を手段として、ストーリーを立てる。もし少ない、幼稚な、ひらがなだけの、言葉で、ストーリーを作るとしたら、どれほどの物語ができるであろうか。思考の素として、語彙をできるだけ多くすること、特に、抽象語を増やすこと、が如何に重要か、おわかりであろうか。「国語ポイント集」では、大学入試も視野に入れて、かなりの語彙を収載した。国語は、日本人の教養そのものである。論理思考に使う熟語、教養としての四字熟語、故事成語、慣用語などの知識が、思考を如何に深い味のあるものにすることか。古典の素養、文法の知識、思想の系譜など学ぶべきものは多い。「国語ポイント集」は、これらの要請に応えるものである。
読解力は、読解文を読んで「文脈」について学ぶとよい。高田瑞穂著「新釈現代文」が、いい。ただし、現代の大学入試は、高田瑞穂的文脈論では、対応できないかもしれない。もっと技術的というか、テクニックで解くところが多く、共通試験の過去問を解いて、練習しておく必要がある。本来の読解は、高田瑞穂的アプローチ、つまり、文脈を追っていくことで果たされるはずである。
小説の読解は、また違った側面がある。文脈を追うというものではない。ストーリーを追うのである。言いかえれば、心理の変化を追うということになろうか。心理というものは、まず感覚があって、それが心理に反映される。行動から心理を辿るのではない。まず感覚である。それが心理に反映して、結果行動となる。詳細は、物語の書き方の類の文献が役に立つ。
読書と言っても、論説文なのか、小説なのか、で異なる。論説は、読解の王道である。ここで文脈を掴みながら読み進める方法を学ぶ。文脈とは、その所々の物語である。物語と言っても小説のような人の物語ではない。主張の物語である。文脈とは、その主張のつながりを言う。
算数が、思考を作る。算数は、数学と違って、記号言語を使わない。算数は、知恵で解く科目である。知恵とは、工夫ともいう。与えられた文章問題をまず読むとして、もちろん国語の力は前提となる。国語的意味は正確に読み取らなければならない。問題は、その先にある。算数的思考である。まず割合思考の枠組みを作ることである。そこから単位あたり量、縮尺、速さ、比を通して、知恵と工夫を磨く。竹の会では、この訓練に少なくとも2年はかける。早くから来れば3年かける。早くから来ていれば、開成、麻布、早稲田中の算数難問を解くまでに成長した子もいる。
幼い未分化の脳を、分類思考のできる一人前の脳に作り上げていく。竹の会には、わたしには、その自負がある。2年、3年と通った子たちが、どんなにできなかった子でも、やっと割合のなんたるかを理解し、「竹の会でよかった」と心からそう思うのか、そういうことを口にするようになる。「2年で来たかった❗️」「お母さんはなぜ竹の会を選んだのかな。こんないい塾見つけるなんて」、「おかげで割合がわかった。2年かかったけど」、子どもたちからこんなにわたしに感謝の本音が語られるなんて、思っても見ませんでした。できるようになったことが実感として湧き,うれしくなったのかな。
竹の会は、思考作りの達人である。子どもたちは、確かに、変わった。ダメだと諦めかけていた子、それでも辛抱強く通った子、そういう子だけが、思考という宝物を手にすることができた。親御さんの竹の会に対する信頼がなければまた叶わないことではあった。ありがたいことである。途中で、諦めて去った子もそれなりにいた。思考というのは、簡単には手にできない。わがままな子、過保護、甘やかしで我慢の効かない子、みんな耐えられずに放棄して去った。学ぶことを苦痛としか感じないように、いつも甘い蜜を吸わせてきた親、苦痛なことは嫌だ、面倒臭い、と放棄する精神を培って来た親、それが過保護、甘やかしの本体だけど、頑張ろうという気のない子の親は何を思うのか、塾がだめだという態度、そういう子に育てたのは親である。






