2026.10.15
🟩見るべきなのは事実であり、意見ではない‼️
災害時、重要なのは「事実」である。この時、人の話しほどあてにならないものはない。昨今は、事実とかけ離れたところで、自分の思い込みを一般的なものと傲慢にも信じて疑わず、論じる人ばかりだ。ネットを駆け巡る情報の99%は嘘と見ていい。人から聞いた話し、つまり、伝聞ばかりだ。テレビ、ネットに出てくるコメンテーター、識者、インフルエンサーなど言っていることはほとんど誰かの言ったことの焼き直しだ。竹中平蔵がひろゆきと議論してたけど、この人には、罪の自覚がない。今の政治家が無責任なのと同じ穴の狢のような気がする。事実とは関係なく、情報を都合よく繋ぎ合わせるだけの人のようだ。
現代人が事実を直視しなくなったのは、インターネットの普及と無関係ではない。パソコンの画面しか見ない人たち、スマホの画面しか見ない人たち、机上でしかものを考えられない人たち、そういう人たちが、ヴァーチャルな世界を現実世界とイコールとすることを疑わず、自己主張をする。養老孟司の本に、子どもたちをとにかく森に連れて行く、そこで自由に昆虫採集させる、ということが書かれてあった。自然を五感で感じる、手、足で触れて感覚で理解する、確かそんなことを言っていたか。確かに,現代の子どもには、あまりにも生の、リアルな体験に、欠けている。
事実を知らなさ過ぎるから、本を読んでもピンと来ない。遊園地やらテーマパークやらゲームセンターやら子どもたちが、リアルを感じる場所が、あまりにも地球そのものからは程遠いではないか。地球を知らない子たちが、ゲーム漬け・快楽漬けにされて、生の事実体験の欠落した人間に育つ。生の感覚ではなく、頭の中のヴァーチャルな感覚でものを考える。山の土を掘り、出て来たミミズを捕まえる、それを餌に魚釣りをする、そういうことをしたこともない、図鑑、画像で見たミミズを見るだけの子たち。歯の浮いた作文しか書けないのはしかたない。それを大手塾が、作文特訓とかやって高いカネを取るのだが、それに親が群がる。親も子も我先にと申し込む。いやいや作文が書けないのは、地球と触れ合ったことのない、無感性のゆえでしょ。文明の便利さと快適さの中に砂糖漬けにして、生の地球、実は過酷なリ自然と触れ合わないようにして来たからでしょ。年に一度か二度自然と触れ合う、それはトピックであり、生活の中で触れ合うことではない。人間というのは、生活の中で、生活という事実を通して、内面を形成して行くものだ。
昨今は、事実を軽視して、ヴァーチャルな世界を勝手に描き、それを現実と錯覚する人間ばかりになった。何か言えば、ネットで拾った正体不明の意見を真似るだけ。判断基準は、誰かがそう言ってるから、わたしもそう思う、それがわたしの意見である。
このような社会は、子どもたちには誠に気の毒な社会と思う。それにしても公立小一つ取っても、その8割が境界知能かその周辺の児童だという事実は重い。まともに指導できる子がほとんどいないということであり、そういう子を相手に親を騙せる大手の塾は正直すごいと言うほかない。できないことに親が文句を言わない、いや言わせない、そのやり方がすごい。わたしは
ときどき竹の会にやってくる,大手に1〜3年いたという子たちの能力を診る機会がある。その結果は驚くべきものであった。小6でまともな計算ができない、割合をわかっていないなど、いやこれで親はよく文句も言わないで、通わせたものだ。いや逆に満足している親もいると聞くと、わたしには今の親がさっぱりわからない。
そういう世の中なのか。ヴァーチャルな大手塾の、まやかしに、いとも簡単にひっかかる,判断基準の核のもたない親が、引き寄せられる、それが今の社会なのだろう。
5%に満たない、まともな親は確かに、いるのだろうが,近ごろはとんと遭遇しなくなった。






