2026.10.19
🟩見るべきなのは事実であり、意見ではない‼️
災害時、重要なのは「事実」である。この時、人の話しほどあてにならないものはない。昨今は、事実とかけ離れたところで、自分の思い込みを一般的なものと傲慢にも信じて疑わず、論じる人ばかりだ。ネットを駆け巡る情報の99%は嘘と見ていい。人から聞いた話し、つまり、伝聞ばかりだ。テレビ、ネットに出てくるコメンテーター、識者、インフルエンサーなど言っていることはほとんど誰かの言ったことの焼き直しだ。竹中平蔵がひろゆきと議論してたけど、この人には、罪の自覚がない。今の政治家が無責任なのと同じ穴の狢のような気がする。事実とは関係なく、情報を都合よく繋ぎ合わせるだけの人のようだ。
現代人が事実を直視しなくなったのは、インターネットの普及と無関係ではない。パソコンの画面しか見ない人たち、スマホの画面しか見ない人たち、机上でしかものを考えられない人たち、そういう人たちが、ヴァーチャルな世界を現実世界とイコールとすることを疑わず、自己主張をする。養老孟司の本に、子どもたちをとにかく森に連れて行く、そこで自由に昆虫採集させる、ということが書かれてあった。自然を五感で感じる、手、足で触れて感覚で理解する、確かそんなことを言っていたか。そうなのだ。現代の子どもには、あまりにも生の、リアルな体験に、欠けているのだ。
事実を知らなさ過ぎるから、本を読んでもピンと来ない。遊園地やらテーマパークやらゲームセンターやら子どもたちが、リアルを感じる場所が、おまりにも地球本来の姿からは程遠いではないか。地球を知らない子たちが、ゲーム漬け・快楽漬けにされて、生の事実体験の欠落した人間に育つ。生の感覚ではなく、頭の中の感覚でものを考える。山の土を掘り、出て来たミミズを捕まえる、それを餌に魚釣りをする、そういうことをしたこともない、図鑑、画像で見たミミズを見るだけの子たち。歯の浮いた作文しか書けないのはしかたない。それを大手塾が、作文特訓とかやって高いカネを取るのだが、親が群がる。親も子も群がるように申し込む。いやいや作文が書けないのは、地球と触れ合ったことのない、無感性のゆえでしょ。文明の便利さと快適さの中に砂糖漬けにして、生の地球、実は過酷なリアルと触れ合わないようにして来たからでしょ。年に一度か二度自然と触れ合う体裁を取る。それはトピックであり、生活の中で触れ合うことではない。人間というのは、生活の中で、生活という事実を通して、内面を形成して行くものだ。
昨今は、事実を軽視して、ヴァーチャルな世界を勝手に描き、それを現実と錯覚する人間ばかりになった。何か言えば、ネットで拾った正体不明の意見を真似るだけ。判断基準は、誰かがそう言ってるから、わたしもそう思う、それがわたしの意見である。
このような社会は、子どもたちには誠に気の毒な社会と思う。それにしても公立小一つ取っても、その8割が境界知能かその周辺の児童だという事実は重い。まともに指導できる子がほとんどいないということであり、そういう子を相手に親を騙せる大手の塾は正直すごいと言うほかない。できないことに親が文句を言わない、いや言わせない、そのやり方がすごい。わたしが
たまたま大手に1〜3年いたという子たちの能力チェックをした経験は驚くべきものであった。小6でまともな計算ができない、割合をわかっていないなど、いやこれで親はよく文句も言わないで、いや逆に満足している親もいると聞くと、わたしにはさっぱりわからない。
そういう世の中なのか。ヴァーチャルな大手塾の、まやかしに、これまた、判断基準の核のない親が、引き寄せられる、それが今の社会なのだろう。
5%に満たない、まともな親は確かに、いるのだろうが。
E・H・カー 「事実は嘘をつく」
カーは、過去の事実を現代の目を通して見る、という意味のことを言っている。その事実とは、過去の歴史事実であり、歴史家に選ばれた事実である。権力者は、自分の都合のいい事実だけを取り合わせて、嘘をでっち上げる。また証明が誰もできないことをいいことに事実をなかったことにするのも朝飯前だ。竹中平蔵は、自分の都合で、事実を組み立てるだけの人間だ。こういう人間ばかりが世の中には腐るほどいる。ほんとうに真面目に生きている人が、こういう人間のために嫌な目に遭う、そういう世の中である。嘘をでっち上げるYouTubeは、害しかない。そこら辺の、無職の、ねぇーちゃん、にぃーちゃんが、カネを稼げると知って、仕事にする。それを面白がって見るネット住民、自殺者まで出る、これほどの悪の仕組みはない。人間とはその程度なのだ。高市が、小学生並みの受け答えをしているのだから。高市にしても、小池にしても、嘘で塗り固められた過去を平然とスルーしてたいした神経だ。これをサイコパスと言わなくてなんと言おうか。
事実を騙り、自己を実体より大きく見せる人間たち、上底、ハリボテの人間が、日本の政治から社会の津々浦々にまで蔓延る。事実の重みを軽視し、事実をないものとして、でっち上げた事実で、世の中を欺く。こういう人たちが、貧困に喘ぐ人たちの事実を直視することは決してない。官僚が数字を操作して作った、ありもしない事実をもとに、法律が作られる。法律というのは、立法事実に基づいて作られると思っていたが、事実を軽視する政治家が利権の代表として、立法事実さえもでっち上げる。
子どもの頃、事実は真実であり、正直に言うことが美徳として教えられて来た。しかし、世の中は、そうはなっていない。子どもも平然と嘘をつくようになった。ヴァーチャルな世界の住人は、嘘、虚構の世界であることは前提なのだから仕方ないのか。
事実をひたすら見る、そういう人間がいなくなったら、それは末期なのかもしれない。
事実を大切にする。事実を観察する。事実を素直に見る。子どもたちに、教えたいこと、いつも思って来たこと、わたしは、その思いで、子どもたちに、もっと考えろ、いやもっと観察しろ、と言って来た。算数でも、国語でも、同じことだ。まず事実はどうなっているのか、そこを観察しなくてどうするのか。考えろ❗️とわたしが、言っているのは、もっと事実を丁寧に素直に見ろ、と言っているだけだ。それが前提にあって、初めて、事実と事実の「関係性(意味)」について、考えることができる。様々な関係性(意味)について学んで行くとして、まずは割合という関係について、その仕組み、構造(結局、定義なのだが)について、立体的な理解を得させる。
わたしは、平成23年頃になるか、割合の指導法として「ミクロマクロ法」を発明した。この方法は、その後竹の会の子どもたちから、割合で悩む者を放逐した、定番の理解法となった。興味のある方は、Amazonから「割合の魔法の算数」を購入して、読んで見てください。令和に入って、わたしの算数研究も進み、新たな指導理論書を世に問うべく、執筆準備を進めているところです。割合に悩む、算数に苦しむ、小学生に救いの手を差し伸べることが塾の使命とさえ思った。
世の中の、塾に通わぬ、あるいは通えない小学生はもちろん、塾に通っている7,8割の小学生が、基礎学力なしのことは間違いない。そういうことに気づかず、漫然と塾に任せ放しの親ばかりだ。わたしの基本チェックを受けて、まともに基本ができている子は、1%もいなかった。もっとも早稲アカやサピックスの上位クラスの子は知らない。
通信、都立対策大手塾、巷の塾の多く、まともなものは、本当に少ないと見てみている。これまで様々な塾で失敗した親子と会って来た。そのどれも長い間、塾に通いながら、実力ゼロに等しいものだった。ちょっと待てよ,いったい塾は何をしいたのか、親は手を拱いてほとんどなにもしなかったのか。事の重大さがわかっていない。自分の子が、破滅に邁進していることにも気づかずに。落ちてあたりまえの受検、必然の流れの区立中学進学、そこで自分の子が最初から通用しないことを初めて知ることになる。なぜって、中学では、定期テストで試されるからだ。初めて自分の子の素の学力を、知ることになる。小学校とはそこが違う。中学では、全体と常に比べられる。小学時代の塾は、特に、大手は、易しい、バカでもできる問題を出して、親を安心させて来た。巷の塾も五十歩百歩だ。親はコロリと騙される。子のほとんどが境界知能周辺なら、騙される親もそこそこということだ。
大手塾、巷塾に通う、大半の子を待ち受けているのは、公立中学での破滅しかない。無知な親は、何が大切かもわからずに、塾の繰り出す様々な特訓講座に無限のカネを吸い取られ、合格さえすれば、と課金のわなにはまる。こういう親は、落ちても、また同じ大手や巷塾に取り込まれるほどに無知である。何が大切なのか、わかっていないのだ。6年生にもなって、塾に2年、3年も通ったのに、計算も満足にできない、割合もわかっていない、その現実をわかっていない親たち。塾も塾でそういうことは一切触れないで、また取り込む、アホらしい話しだ。
重要な問題は見て見ぬふりをして、言ってることは、頑張れ❗️ 努力だ❗️根性だ❗️みたいなことだけ。親も親で、2年かけて、子のバカに磨きを、かける。
今の、東京の、親と子の姿って、そんなものです。
お疲れ様と言うしかない。
IQがまともな子は、2%ほどしかいないだろう。
つまり、6年生が100人の小学校なら、2人だ。なら、東京都全体なら、63991人(2024年度)にいる小6の2%の1280人がまともな子とということだ。
約62000人の8割の49600人は、大手塾に行っても飼い殺しにされるだけだ。子どもにとって、何が大切なのか。わたしの推測する限り、学校教育はクソであり、ただの洗脳機関だ。またこれまでまともな塾というものがあるのか、ずっと疑って来た。わたしの出会った、多くの小学生が、塾に通っていたというのに、基本的なことの何一つまともに学んでいなかった、という事実からだ。大手を始め、塾は商売であり、お客様の機嫌を損ねないように、子どもに忖度しながら、機嫌を、とりながら、気を遣いながら、本来やらなければならない教育をしてこなかった。子どもは躾けを、しなければ、制御の効かない不良品になる。クレーマー、つまり、自己本位、過保護、甘やかしの、既に不良品の母親が、それに拍車をかける。
そんなの辞めさせてしまえと思うけど、大手を、はじめとする商売塾は、生徒集めに血眼である。
境界知能周辺児が、受験・受検を志す時代だ。最初から、じっくりと基本から訓練してなんぼの子たちなのだ。そういう過程を耐え抜いて、能力を開花させる事のできる子もいる。しかし、飼い殺しにあえば、潰されてしまう。商売本位の、ポリシーのない、子どもと真剣に向き合わない塾に出会ったら、どうなるのか。たとえ熱血先生、良さそうな先生に見えても、そんなことは、関係ない。失敗した親は、いい先生、教え方のうまい先生などと口を揃えて言う。しかし、基本を知らない子が、そのままに、つまり、飼い殺しにされて、区立中学に入ることになる、それはあまりにも過酷な現実である。そういう親はまた塾に騙される。そういう子は中学でまともについていくことはないから、塾に行くことも意味はない。しかし、また塾のまやかしに乗り、結局迎えた中3の終わり、悲惨な結末に諦めるしかない。ゴールは、そういう子専門の、低偏差値、覇気のない、希望のない、モラルの低下した、そういう子の集まる閉鎖社会で澱みを形成することになる。
小学時代、多くの親が、自分の子のために、やって来たことの結果が、ほとんどこのパターンとなることを知らない。小学時代、大手に入れるという選択から、すべてが始まったいた。






