画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟥学ぶとは❓

2025.12.09

🟥学ぶとは❓
 成功事例から学ぶのは難しい。むしろ失敗事例こそが、「何が悪いか」を如実に教えてくれる。
 合格体験談、成功談が、結局自慢話ということか、あるいはただ人並み優れての天才だったということで、オチもないのは、ありきたりのことである。それでも少しは参考になるものがあるのではないかと思い直して読んでも、結局天才ゆえにということになる。方法をいろいろあげられても、前提の能力が違うのだからそのまま受け入れるのは困難だ。結局そういう類は役に立たないどころか、害がある。真似をしても凡才の自分では、凡才ゆえの結果しか出せないの道理である。
 そもそも本当のことを言うのであろうか。自分がやったことは簡単だったと暗に自分が如何に優れているかを仄めかすのが成功談なのだ。その方法だって、成功したから脚光を浴びることができたのであって、たまたまである。それがその方法の特別感を力説する。しかし、方法と成功は、偶然の一致の可能性もある。特に、能力があって合格したという成功談は、学ぶものはない。勉強しなかったけど受かったというのがよくある。自分の能力の高さを暗に自慢しているわけです。自慢話は何の参考にもならない。あんたが優れていることを聞かされてもわたしには何の益もありません。
 学ぶべきというか、ためになるのは、失敗談である。失敗を重ねて成功したというのは、学べそうである。失敗談で学べるのは、特定的だからである。何をどう失敗したか、具体的だからである。失敗の結果との因果関係がはっきりしている。成功談の場合、成功の原因が本当にそれだったのか、実はわからない。本人がそう思っただけである。実は真の原因なんて漠然としていて特定できないはずである。だから学べないのだ。たくさんある方法のうちどれが良かったのか、特定できないのだ。
 成功談は、話し半分で聴いておけ❗️と言っても、それは、聞き流せ!という話しである。
 失敗した話しは為になる。どこが悪かったのか、特定できるからである。具体的に、これはまずい、とわかるわけである。自分と引き比べ易いわけです。
 成功談の読み方❗️
 一つは、共通点を探すことですね。だから何編か読む。その中から共通点を探す。そういう読み方はいいと思うんです。
 書物として世に出るのは、成功物語である。私たちの、成功者にあやかりたい、成功の秘密を知りたい、コツを知りたい、という心理が、マッチングするのだろう。
 人間の能力というのは、対象が一つだと判断不能に陥るようにできている。美術品の真贋は、対象物だけ見ても、わかるものではない。本物と比較して、その違いが初めてわかる。3つを比べるのは、実は、さらにわからなくする。人間というのは、2つを比べることはできるが、3つだと無能になる。
 つまり、1つの絶対的な価値というのは、判断できない。2つを比べての相対的な判断はできる。
 共通点思考の素晴らしさ‼️
 わたしたちは、とにかく物の本質を見抜く心眼など持ち合わせていない。たとえ有名な鑑定家の判断でも、本当なのか何か一抹の不安がある。信用しきれないのだ。小林秀雄の真贋エピソードは有名であるが、どんな好事家でもそんなものである。小林秀雄の真贋エピソードの教訓は、どんなに詳しいプロもどきの意見でも、とにかく他人の話しに耳は貸すな❗️ということである。
 何か判断を求められたとき、決してその問題だけで判断してはならない。比較対照が基本である。
 わたしは、何かについて、学びたいとき、さまざまな説明がある場合、どの説明がいいのか、判断に迷うとき、諸説の共通点を探すことにしている。この方法のいいところは、共通点を探す過程で、その本質が見えてくることがあることである。
 共通点を探すと言えば、数学の因数分解の格言に、共通因数で括れ❗️というのがあるが、現実の事象は、それほど単純明快ではない。いやフォームからして全く違うじゃないか、と思われるのに、よくよく考えてみると、実は、共通点があることがわかる。現実世界の共通点というのは、見ただけではまるで違うとしか見えないのに、実は抽象化すると、同じということの方が多い。抽象化というのもわかりにくい。シンプルに、あるいはポイントを1つに絞って見比べてみよ❗️、と言った方が正確だろう。

ページトップへ