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《渋谷で創立40年》都立中・都立高の受験対策

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟩受験難民の研究‼️

2026.10.29

🟩受験難民の研究‼️
 受験難民はどこに流れ込むのか❓

 少子化で、進む難関校受験熱‼️
 相対的な天才の現象が普通の秀才にチャンスをもたらす。公立小から優秀な子が抜けて行く実体は変わらない。公立小には、優秀な子のほとんどが抜けて、残されたのは、私立受験失敗組、都立中失敗組、その他組、数えるほどしかいない実はIQが高いのに何もしない子、である。公立中学は、こうした子たちの混交である。しかし、その8割は、落ちこぼれであることは変わらない。落ちこぼれの構成は、その8割強が、境界知能、もしくはその周辺児である。その半数は、それまで大手塾に通っていた子たちである。公立中学は、2%の子が、難関私立、都立独自校に進むことになる。残されたまともな都立、私立には、1割前後の子が流れる。こうして、公立中学の9割の生徒は、低偏差値私立、底辺都立、いわゆる受験・学習難民収容所へと流れ込むことになる。
 ここで、残酷にも、人民の選別が執行される。
 
 才能が普通にある子でも、無塾か、塾の選択を間違えば、ふるい落としにかかる。
 大手塾では、才能があってもふるい落としにかかる子もいる。もともと大手という体質に合わない子である。
 こうして大手塾は、天才のみに適合したシステムである。
 怖いのは、秀才でも潰されるのが大手塾であることである。天才たちの、精神的優越の根拠として、並の秀才がある。秀才が劣等感に支配され、本来の力を発揮するできないままに、潰される、それが、大手塾の本質的構造である。ましてや並才が、どうにかなるところではない。並才は、第二どころか、第三志望以下で落ち着く設定である。親の課金が報われることはない。
 大手という枠に入った限りは、その枠の中の運命に従うほかない。
 同じカリキュラム、同じ教材、同じ講師による同じ内容の授業なら、差がつくのは、能力の差しかない。この「同じ」というのか曲者である。
 少なくとも秀才は、大手では失敗する。枠外の指導を受けない限りは。
  
 大手塾はなぜ蔓延るのか❓
 大勢が集まるからです。群衆になるからです。群衆は群衆を呼ぶからです。たくさんいるから安心と思ってしまうのです。
 ル・ボン「群衆真理」
 孤立していたときには、恐らく教養のある人であっても、群衆に加わると本能的な人間と化してしまう。群衆は、感情や種族の精神に突き動かされていく。群衆は興奮状態のあと、暗示に導かれるようになる。人間は集団になると熟慮しなくなり、自分を導いてくれる指導者、行動の指針を示してくれる思想を求めるようになる。その思想は単純化されたものでなければならない。単純化された思想は伝播する過程でさらに単純化される。群衆は心象によって物事を考える。そこで影響を持つのが、最も真実らしくない事柄、インパクトの大きさです。群衆の意識を動かすのは、幻想です。

 こうして大手塾という群衆に取り込まれた親は、合格という幻想に支配され集団の精神に同化し、集団心理に取り込まれ、大手という煽動者により鼓舞された合格実績、神秘化された教材、講座、特別講座、合宿特訓と繰り出される煽りに理性を失い、最も真実らしくない事柄に意識をまかせてしまう、のである。
 少数の、まだ理性を残されている、人たちが、正しい選択をして、難民としての必然を逃れることをわたしは長い経験から知っています。もちろんそういう人たちの中からも時として不幸な結果に落ち込まざるを得ないこともありました。それがまた人生です。

 ここからオルテガ
 大衆は自分で価値判断をすることを恐れます。そして大多数の判断に身を委ねます。それにより、さらに社会の大衆性は高まっていきます。

 かくして、その本質そのものから特殊な能力が要求され、それが前提となっているはずの知的分野においてさえ、資格のない、資格の与えようのない、また本人の資質からいって当然無資格なえせ知識人がしだいに優勢になりつつあるのである。
以上オルテガ引用

 社会の大衆化がもたらすえせ知識人の氾濫は、昨今のテレビ、SNSの通りである。
 テレビ、新聞が、権力に忖度することが当然になった今、テレビ、新聞離れがさらに加速して行くことは間違いありません。
 aiを利用したハッカーによる攻撃に無策な日本の政府は、これまでの無策の歴史を反省することもなく、無能な対応を露呈しております。何もかもが後手後手の政府です。先手をいち早く打つのは税金、利権の確保のときだけです。これも大衆の愚かな選択の結果です。

 大手塾の呪縛から解放されることのない人たちの難民化は、不断に繰り返される。公立中の8割の難民の重要な構成部分となる。
 大手塾のシステムの陥穽❗️
 天才のみが成功するという真理を隠して、親子どもを欺き、凡人を大量に集めて、株式会社である塾という金儲け事業を完遂する。合格実績をまるで自分の合格のように都合よい解釈をする親や子がいるから、合格実績はやめられない。そうなのだ、大手にとって合格実績は生命線なのだ。だから如何にして天才を集めるか、が企業の生殺を決する。大手の本質は、ここにあり。大手にとって絶対必要なのは、天才だけである。またそのカリキュラムも天才をして合格実績を出させるプログラムである。秀才がカネをかけて努力して万に一つ成功する、その程度の確率である。並才はカネをかけるのは当然であるが、成功することはない。それでも諦めきれない群衆は、第二、第三、第四志望に流れて行く。それが大手のもともとの狙いだ。

 阿諛追従(あゆついしょう)の経営者、講師のやっていること‼️
 何故か進学塾は当然としても、都立中高一貫対策塾でも、基本を教えることはしない。大量の生徒を扱う塾、しかも目的が合格ではなく、合格実績である塾の宿命として、天才基準(進学塾)、秀才基準(都立)を通すしかない。わからない生徒は必然落ち溢れるしかない。これが大手塾の本音である。その他大勢は、基本はスルーされ、そもそもの思考力も培われることはなく、無為に時を過ごすことになる。難民化の道をまっしぐらに進むことになる。

 都立中高一貫校対策の大手塾には、天才はいない。学校の優等生が来れば十分だ。その他大勢の群衆は、黙っていても集まる。基本なんか、そういう連中に教えても虚しいだけだ、と知っている大手は、もちろん臭いものには蓋をしてやり過ごす。受検学年になるまでは、バカでもできる問題、テキストをやらせて、できると思わせる。親も子も勘違いして受検学年まで安閑と過ごす。受検学年になれば、できないことがバレる。しかし、そこは「オプション講座を受けてなんとかしましょう」「特別講座」「合宿」と、何故できないのかはスルーして、これを受けなければ落ちますよ、とカネを出させるところは、譲らない。なぜ2年も通ったのに、できないのか、には、決して答えない。解決は、いつもオプションの提案だ。

 
 大手進学塾の隠れた害‼️
 秀才がなんとか難関中学に合格しても、それまでに消耗して、能力は枯渇し、気力は霧消し、入学後、お荷物となり、落ちこぼれていくしかない、一群の子たちがいる。大手塾の弊害は、落ちこぼれだけではない。

 巷の塾の本質的制約❗️
 経営という生活からの忖度、親子どもへの迎合が、子どもを甘やかせ、増長させ、勘違いさせる。塾の永続性を願う塾の限界❗️が露呈する。親も平気で注文をつけ、何かと口出しするようになる。巷の塾の悲哀は、もともと能力がないから何をやってもできるようにはならないのに、親に気を遣ってそれを明言できないところにある。またわがままで乱暴な子でもたいていのことは許容してしまい、塾が荒れる原因となるが、親はまったく無頓着ということだ。そういう中で結果を出すのは性格のいい、素直な努力家ということになる。

 いつ潰れてもいいという覚悟のある塾のみが良心的塾という矛盾‼️
 わたしは、いつもそういう覚悟だった。だから竹の会では、入塾を断ることも多々あり、退塾もこれは多かった。こちらから断ることが多かったが、こちらのポリシーを示すことによって、去っていく形をとることが多くなったのは、退塾処分のストレスを回避するためであった、
 やりたい指導を思うようにやれること、そうでなければ塾とは言えないと思って来た。

 塾の講師も、親も、子どもさえも、その借り物の紋切型の思考に追随せざるを得ないのが、現代のえせ情報に毒された社会の住人の姿である。
 バカがバカを支持すればバカな国になる。百万、一千万、一億の舌が、紋切型に動く異様な社会。新しい、独自の思考はなく、借り物の思考が罷り通る社会。

 溢れる受験難民の行き着く先‼️
 私立失敗組、都立中高一貫校は落ちる方が断然多い、その失敗組は多数に上る。もともと無塾の境界知能およびその周辺群、これらのほとんどが、落ちこぼれ8割を形成する。すなわち公立(区立)中学で、まともなのは、全体の2割、そのうち私立難関、都立独自校に行けるのは、ほんの一握りに過ぎない。中学に1人いるかいないか、ある中学には4、5人、そう偏りがある。全体の1%か。さして残り,1割の人が、都立竹早、北園などの上位校に進めるであろう。
 低偏差値私立、底辺都立は、学力のない子たちの受け入れ所です。朱に染まれば赤くなる、この格言は、悪に染まる意味合いになります。周りに、知的レベルの低い子たちばかりであれば、どうなるのか、の話しです。中途退学者が多いのも仕方ありません。もともと来たくて来たわけではない。そこしか受け入れてくれるところがなかった。
 その多くの子たちが、大手塾に通った子たちです。巷の塾に行ったけど、という子もそれなりにいるでしょう。あなたたちが、基本をスキップして、思考する生活をスキップしたときに、その行き着く先は、既に決まっていたのです。
 まず、考える、そういう生活、習慣が、もしかしたら、未来への出口に導いてくれたかもしれないのです。基本をスキップして、知識を詰め込む、不消化、思考皆無の長い期間に、あなたたちの脳は、機能不全に陥ることになるのです。脳を思考型にろくろで成形するイメージです。ただし、脳の場合は、反復して、基本を繰り返すことで成形して行きます。その過程は、実は、脳の世界の素材を換骨奪胎していく過程です。幼い、原始の脳は、具体的な物の世界です。その世界には、抽象という素材が皆無です。原始的な物と物との個別的な関係でしか考えられない世界です。この脳に、少しずつ抽象的なものを取り込んで行く、これが小学の指導ということです。まず計算をやるのは、反復、繰り返しに適していることもありますが、なんといってもその抽象性にあります。具体的な物とは遮断された、数という概念を扱います。計算は、定義、約束、ルールといった抽象的な、つまり、物と対応しない概念、命題が頻繁に出てきます。
 割合概念は、抽象的な世界で、考えを巡らす、これを2年かけます。思考力を成形するとは、抽象的な世界を構築することです。

 思考停止させるもの‼️
 キルケゴールは、原理が思考停止させると言った。原理とは、政治的主義、宗教的原理、のことである。
 原理を置き換えて見ればいい。解説は思考停止させる、説明は思考停止させる、授業は思考停止させる、答えは思考を停止させる、スローガンは思考を停止させる、だれかが「この問題は易しい」と言われれば思考は停止する。脳というのは、ズカズカと頭に土足で入って来る言葉に、思考停止するのだ。決して原理的なもの、断言、言い切り、に心を許してはならない。思考というのは、自分の思考のスタンスでするものだ。シャーロック・ホームズが葉巻を燻らせながら、チェアーに腰掛け、考えたように。
 脳を使うという、基本的な生活習慣が、それだけが、大切なこと。思考訓練というのは、自分が思考に没頭するときの姿勢・スタイルを決めて、思考に没入することである。先程の原理は、何の脈絡もなく突然脳に入り込む不意打ちにほかならない。人間は、不意打ちに弱い。突然に、思考を組み立てることはできない。詐欺師は、この不意打ちが巧みだ。最初に、大嘘をかます。出鱈目な事実を言う。この不意打ちで思考は停止する。思考停止のスローガンはいくらでもある。試験中「あ、もう10分しかない」「落ちたらどうしょう」「これ解かなければ落ちる」「あー、忘れた」「難しい」「わからん」・・・。
 思考の入口‼️
 「これは難問だ❗️ということはみんなわからないで悩んでる❗️なら先に落ち着いた方が勝ちだ」「天才しか解けない問題を出すはずがない。きっと基本から解けるように作られているはずだ❗️とにかくここでの基本は何かから考えてみよう❗️」
 思考というのは、そういう入り方が大切になる。だから普段から、自分の思考の入り口を確かめておくのである。思考への入り方を自分なりに作っておくのである。決して、突然の不意打ちに耳を貸してはならない。不意打ちは思考への攻撃である。あなたの思考をたちまち破壊してしまう命取りとなる❗️
 慣れて来たら、問いの非日常性を考えられるようになる。なぜこんなことを訊くのだろう❓なぜわざわざこんな簡単なことを問題にするのだろう❓何かの布石かな❓この問題は何を言いたいのだろう❓
 何でもない問題のコトバから非日常性を読み取るのだ。その非日常性こそが、解決への糸口、入り口なのだ。
 算数の問題を解かせていると、問題の提示する事実を読み取れない場合がほとんどである。事実がわからないのである。事実の1つだけを取り出して、後はでっち上げる、そういう子が如何に多いか。思考というが、基本的な事実の読み取りもできていないのだ。これも一つ一つの事実を積み上げて、全体の事実がある、という勉強をして来なければならなかった。わたしの主導している思考訓練とは、そういうところも含めたものである。まず問題を読みなさい、その問題事実を図にして見なさい。図にかけない事実はまだ頭に認識はされていない。

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