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《渋谷で創立40年》都立中・都立高の受験対策

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟩「算数真髄」の執筆開始 

2026.10.31

🟩「算数真髄」の執筆開始 
  竹の会算数の到達点を概論で詳解。初版は平成9年に竹の会内部テキストとして、執筆したもの。平成17年から算数の本格的研究に没入し、数十種類のレジュメを開発し、子どもたちに実際に試して来ました。その中から平成23年に、子どもたちの、算数の理解を飛躍的に伸ばしたレジュメがあることがわかりました。それが今竹の会の子たちが誰でも当然のように口にするミクロマクロ法です。この発見からさらに研究を重ね、数100問に上る割合を中心とした算数の入試過去問をミクロマクロ法によって明快に説明して来ました。今は体系化された竹の会の算数レジュメ集は、竹の会独自の算数指導法として確立するまでに成長しました。🟠2020年11月には、ミクロマクロ法を説明した「割合の魔法の算数」が、出版されています。

 
 「算数真髄」は、それより前に執筆した「数学神髄」の名に肖ったものです。坪内逍遥の「小説神髄」は、神ですが、神という字を使ったのはほかに「神の単語集」があります。真髄の方は真実の真を意識して使いました。それは、算数の真実をこそ語りたかったからです。初版の「算数神髄」の頃はもちろんミクロマクロは発見されておらず、「一あたり量」をキィー思考として、割合を解明せんとしております。そのため、高度な入試問題の解説が、必ずしも明快とは言えないきらいがありました。今回はミクロマクロで全て書き直して行きます。また、算数が、工夫と知恵の学問であるということを知ってもらうために、随所に工夫の跡、知恵の証しを示しました。地方に暮らす小学生が手に取り独学できるようにと配慮したものにしたいという意図も隠しません。
 算数、数学の参考書の出版は、不可能だった‼️
 それは、分数、指数、多種多様な図など、ワードでは限界があったからです。もちろん、図はイラストレーターを使えば、簡単ですが、数式についてはそう簡単ではありません。平成15年前後のことだと思いますが、わたしは新宿の量販店で、ある数式ソフトに出会うのです。ただこれを使いこなすまでに、数年かかっています。本格的に使いこなしたのは、平成17年からだと思います。ところが、「割合の魔法の算数」を出したときに、出版社からワード以外はAmazonでは不可能と言い渡されて、絶望となりました。しかし、数式ソフトの最新版は、画像にして、ワードに貼り付けることができるのです。これを試す必要がありました。その試しの出版についに成功しました。こうして、晴れてわたしは、数学、算数の原稿を書いて出版できることとなったのです。
 ちなみに、竹の会のレジュメは、平成24年から全面的に例の数式ソフトによって制作しております。もちろんワードも、英語、国語、社会で活躍しています。
 「算数真髄」は、わたしにとっては、2冊目の公開する算数参考書となります。第一作目の「割合の魔法の算数」とは、違う視点で、レベルも中級者を対象にし,さらに、それを凌駕した内容を目指しています。割り算の本質、単位あたり量、単位、そして、ミクロマクロ思考へと、竹の会算数の大筋をお伝えできればと思います。ただ、竹の会の算数は、わたしの指導があっての算数ですから、それに代用できることはありません。竹の会における指導とは、「やりとり」にこそ妙味があり、そこから理解の深度を測り、説明を変えていく、やりとりが真骨頂です。決して指導に変わるものではなく、変えられるものでもありません。
 算数は、思考の素です。算数の問題を解くということは、非日常性に溢れた事実の中で、戸惑い、それから冷静になって、その非日常性が、実は日常性にほかならないことを工夫と知恵で読み解くことだ、と気づくようになる。大切なのは、この気づきの過程をスキップすると意味がない、ということです。ここで講師の説明が入ることは、大切な気づきの過程を蔑ろにし、折角の思考の芽を潰すことになるのです。説明というのは、なにもかもを分かりやすく説明することがいいことではない。多くの親はわかりやすい先生と喜ぶが、子どもの思考がどのように働くのか考えたこともない。わかればそれでよしなのではない。自ら汗して工夫するというのと、他人のわかりやすいとしても、その説明を聞くだけの、そして覚えるだけの勉強が、何をもたらすか、ということである。
 ほとんどの小学生が、算数をわかっていない。これは、今の公立小の8割が、境界知能ないしその周辺児ということともちろん表裏である。大手塾は、それを前提に、むしろ見て見ぬ振りして、大量のそうした児童を集め、ヌケヌケと頑張れば合格するという、保証のない、いや幻想に近い見返りをカラ売りして稼ぐ。騙される親がバカなのだから、これは仕方ない。一年経って、自分の子がどれだけ利口になったか、確認もしない親ばかりである。
 教えてわかる子どもではないのに、集団授業で、大量処理するのだから、結果は見えている。こういう類の子は、一対一の指導以外は考えられない。つまり、もともと大手には不具合の子たちなのだ。時間とカネを思い切り無駄に使って、挙句の果てが、区立中学の落ちこぼれ集団の仲間入りである。しかし、こういう親子はどこまでも騙される。また大手に行くのである。失敗しても懲りない。なぜ失敗したのか考えないのだ。ただ運が悪かった程度の認識だ。基本力、思考力を築いて来なかったとは思わないのだ。基本もない子が中学生になって、また基本のないままに、大手に行けばどうなるのか、バカでもわかる。救いようのない人たちがいるものである。
 失敗は、大手を選んだところからでした。なら中小の塾ならいいのか、と言えば、やってることが大手と同じなら何も変わらない。要するに、もともとの頭のいい子を伸ばす塾は腐るほどあるが、境界周辺児を蘇らせる塾は、なかなかない、ということである。
 小学6になって、いま、どの程度の計算ができるのか、逆算はできるのか、芝中程度の入試過去問は解けるのか、どう程度の割合の問題は解けるのか、そんなところを見て見れば、これまでの何年もの塾の成果がどうなのか、わかるはずである。子の力の客観的判断もしないで、漠然と合否を案ずる親ばかりだ。

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