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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟥思考の深さ何㎝❓

2025.12.15

🟥思考の深さ何㎝❓

 子どもたちが、考える深さの話しである。いや考えなどない、ふつうはそうである。一年、二年と経験を積んで、思考のひだを多層化していく。単層思考から多層思考へと深めていく。とにかく訓練していない小学生の思考はほんとうに浅い。いや思考などない。一問一答で終わる頭だ。思考の深さなどない。短絡頭、平板頭だ。
 謎解きが、思考を鍛える。正確には、謎解きの経験が、多いほど思考は深くなる。謎解きには、思考のあらゆる要素が総動員されるからだ。工夫の試行錯誤、それは、仮説に基づく。その検証。仮説は、想像力をも育む。算数は基本謎解きなのだ。謎解きのための糸口探しは、思考の端緒だ。問題を見て脳が真っ白な子たちをどれほど見てきたことか。いくら言っても図にかけない子どもたちに、算数の本質を悟ることは、難しい。せめてわたしのかいた図を真似することをしてほしいが、せっかくかいた図も捨てる。ノートにまとめて記録するということさえしない。そういうことを思いつきもしない脳のレベルということか。
 こういう段階の子どもに成功的受検など無理である。それよりも将来の高校受験に備えた、長期的な指導の方が望ましい。が、親にはそういうことを言っても無駄なのが、普通である。何がなんでも受検で、結局、基礎不十分なまま区立中学へ行ってしまう。底辺を転がるしかない選択をあえてする親の、心理は、わたしには、理解不能であった。すべての子が受検できるわけではない。小学生の間は、何がなんでも基礎力をしっかりつける時期だ。これを、受検名目に端折って、受検のための過去問などばかりやる、馬鹿げてる。
 竹の会は、小学生に、基本力をつけるプロである。小4入会でも、小2入会でも、なにも変わらない。どちらも6か月もすれば、ハイレベルの四則混合演算、もちろん分数、小数混合、逆算も解けるようになっている。ただし、小2は1年かかった例はある。早い子で1か月の例もある。竹の会は、割合指導の専門塾である。割合に特化した指導に1年以上かける。割合と言っても、割合とは、要するに、割り算である。割り算の本質から、単位が同じものの割り算、違うものの割り算にわけられる。後者は、単位あたり量である。その延長に、速さがある。縮尺は、単位変換と割り算である。線分図は割合の図化、面積図は積の図である。要する、割合にまつわる、あらゆる問題が、竹の会では、すべて割合である。竹の会では、面積、体積は、割合の理解が進むと、指導する。わたしが、基礎力と言うのは、都合そのようなことである。知識を学ぶのではなく、割合という理論を使って、思考をする、工夫を学ぶのである。
 そういうことをスキップというか、おざなりに済ませて、受検のため、適性問題ばかり解かされる、それがなにをもたらすか、ということである。
 安易に、受検するなどと言う、子ども、その気になる親、ちょっと待てよ。受検というのは、それなりに覚悟がいることなのだ。今やっている習い事は、そのままなの❓ それで受かる❓ 子どもの能力はどうなの❓ 内申はどうなの❓ 「よくできる」が8割なければ、普通は、受検より、基礎力でしょ。要するに、安易に、受検する、だから大手塾に行く。つまり、自滅の選択になっている、ということに全く無知ということを言っているのだ。
 子どもは、割合訓練を通して、不注意により解けないことを経験する。
 注意とは何か❓
 対象に焦点を当てること❓
 違うでしょ。注意は、十人十色ですね。同じ対象でも、その道の専門家、教養高き人、普通の人、皆違う。刑法では、一般人なら注意すべき義務を過失として定義する。現実には存在しない、通常人である。善良な管理者としての通常人である。
 しかし、それではない。サッカー選手は、ボールだけに注意を払っているか❓ 一流の選手は、全体を見ている。ボールの次を予測して、注意を払う。つまり、そこでの注意とは、ボールではなく、全体、背景を眺め、気を配ることである。
 わたしは、運転は、トラックのプロドライバーとしての経験があるので、そこでの注意は、前を見ることではない、と知っている。自分の車が、道路のどの位置、四囲の状況、つまり、背景を見ている。バックミラーは、そのためになくてはならない。前方を見る、1秒左ミラー、前方、1秒右ミラー、前方、これを永遠に繰り返す、それがプロの運転だ。
 二次観察の重要性!
 何かを観察する行為を観察する‼️これが二次観察である。運転して目を循環させている自分を観察する、そういうことだ。
 背景に気を配る❗️ 自分を観察する。それが、広く薄く、つまり、背景全体に目を配る、つまり、注意するということだ。
 勉強している自分を観察する❗️
 集中、没頭とは、そういうものだ。勉強の極意、それは、没頭であり、すなわち集中であり、二次観察は、すなわち注意力が、知覚の域に達したことを意味する。
 つまり、注意は、知覚を働かせる域までに達して、高度となる。

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