2025.12.16
🟧説明過剰社会が、子を殺す‼️
竹の会では、親が教えては、いけない、のは、納得できない、理由を説明して欲しい、そういう問い合わせがありました。最近のブログで、一応説明しておきました。正直なんともやりきれない気持ちではありました。
「いまはみんな説明したがる、全て学校教育を含めてね」と言ったのは、谷川俊太郎でした。「説明してわかるもんだけじゃないんだ世界はみたいな感覚があるから」と吐露もしている。
塾は、説明するところと、塾側も、講師も親も生徒も信じて疑わない。だから親は「あの講師は説明が上手い」と言い、子は「あの先生は、説明が、わかりやすい」と言う。講師は「俺は説明が上手い」と自負する。説明ありき、説明当然の社会ですね。
子どもも、説明を期待する、というか考えるまでもなく説明してくれるのだから、楽をする方を選ぶに決まっている。どうせ説明してくれるだから、と適当に考える。つまり、考えて解いてやるという気概の欠落した人間、依存の度合いの強い人間の育成に成功したわけである。
また、親がやたら説明したがる、のもあるあるです。説明しないと心配なんです。「わからない」というのが看過できないのです❗️こんなのもわからないのか、と説明したくてしようがない。わからないままだと不安になるのだろう。
進学塾サピックスでは、中学受験の小学生は、親がかかりきりで教えることが前提とされているらしい。親も勉強しなければ教えられないわけだ。他の進学塾とされるところは、そこまでは要求してないようだが、
こういう進学塾というのは、合格レベルまでの履修項目を段階的に体系化して、ステージを上げていくシステムになっている。あるステージがよくわからないまま、次のステージに行けるのも進学塾である。だから未消化のままステージだけは上がっていく。だからわからなければ、別に個別指導塾に通ったり、家庭教師をつけたりする。親ももちろん教えられれば教える。とにかくどんな形でもなんとかしろというのが大手の体制なのだ。それだけのことを終わらせなければ難関校には合格できないから補習塾のようにレベルは下げられない。要するに、進学塾というのは、そのカリキュラムについていけるだけの頭がなければ通っても意味がないのが前提である。つまりは、天才が対象なのだ。しかし、表だってそうは言わない。おカネを運んで来てくれる、凡才諸君がいなければ経営が成り立たない、というか商売にはらないからだ。だから大多数の凡才諸君には、合格実績を見せて期待を希望を持たせることに余念はない。
この思考を竹の会にも当然のように持ってきて、なぜか、などと言われても、正直説明する気にもならない。もちろん入会時には、その趣旨を説明しています。
子どもの思考力がつかないのは、育たないのは、説明し過ぎだからです。子どもが自分で考えるしかない、そういう局面に直面させて、一人で悩み、拙いながらも工夫する、その過程が、思考というものを子どもに実感させるのです。
竹の会のレジュメは、そのために、わたしが開発したものです。最初から、誰かが説明して終わらせる、終わらせたら、次に進める、などという、目的、答え、解き方さえ理解できれば、自分で解こうが、誰かに教えられようが、構わない、という大手のテキストの、目的とは違います。
それでは、思考体験、思考経験、思考過程が、欠落してしまいます。目的は、そこにあるのですから、説明することは、思考妨害です。
その理屈が、わからない、というのは、頭が、ある意味凝り固まっている、つまり、思考が硬直しているのです。あるものを正しいと信じて、疑わない、それこそが思考の硬直です。説明過剰社会の何でも説明があって当然と考える人間ばかりが、増えて、自分たちを常識人と思い込む。世の中には、説明できないこともたくさんあります。またあえて説明しない、つまり、言語化しない、というゾーンもあるはずです。なんとなくでいい、ことさら説明すると、かえって変になる、そういうところを私たちは、なんとなく、で処理してきたのではないでしょうか。なんでも説明しなきゃ、説明してもらわなければ、納得できない、それは、思考の核というものの欠落した、現代人の不安の現れなのかもしれません。






