2025.12.20
🟦国語の核‼️
読解の真理
要約こそが、読解の核‼️
国語の勉強は、要旨をまとめること‼️ 要旨とは、要点である。
要点の客観的要素
主語・定義・論拠・結論
核の発見
◎国語の誤解
①問題集 問題集は、学力測定の意味しかない。したがって、たくさん解いても読解力がつくことはない。
②読書 読書では読解力はつかない。よく「うちの子は読書が好きなのに国語ができない」という親がいた。誤解しているのだ。読書をすれば国語ができるようになると。な、わきゃないでしょ❗️ 読書というとき、おそらく小説というか、物語なのでしょうね。ただ文字面を追って読むだけで、読解力がつけば世話はない。まず、読む対象が違う。読解力をつけたいなら、読むのは、評論でしょ。評論の意味取りでしょ。しかし、ただ読んで終わりでは、読解のドの字もつかない。評論の要約、つまり、要点をまとめる、これをしなければダメだ。受け身の読み方ではダメだ。
③選択肢問題と消去法
よく2つまでは絞れるが、という話しを聞く。そうなのだ。2つまでは比較的簡単に絞れる。だからここまでは、消去法が使える。しかし、残った2つを消去法で絞ることはできない。なぜか。
選択肢に誤りがないからだ。
もちろん誤りがないから正解とは限らない。誤りのない選択肢が2つ残っているのだ。どうしたら1つに絞れるか。これは、もう「本文」しかないではないか。本文から、選択肢の記述の要素、条件を見つけるしかないではないか。
さて、正解は1つ、1つと言い切れる、と言うのだ。出題者は、1つの自信がある。もちろん主観的な自信では、受験生には、出せない。客観的に、どう考えても1つしかない、そうでなければ、出題はできないだろう。そうなると、余程の根拠、これしかないという、誰もが納得できる根拠がないと入試問題とはできないはずである。
つまり、出題者は、とにかく1つ正解を用意しなければならないのだ。というか、受験生が、1つに絞れるように、問題を作らなければならないのだ。恣意的ではない、主観的ではない、論理によって導かれる答えだ。
1つに絞れるということは、一切の主観的要素は、排除される、ということだ。
1つに絞れる。だから客観的要素だけで判断できるのだ。出題者は、一つの正解を要求する。ということは、出題者は、本文を客観的に読めば、正解に達する、と言っているのだ。
本文の中から、選択肢の記述の要素、条件を見つけるとして、そのアプローチはどうなのか。
問いが何を要求しているか。そこに探索の端緒がある。このときに思考の核となるのは、「論理性」である。わたしたちは、問いの要求から、論理的な、必然性を追跡していくことから、本文の中にある要素、条件に辿りつく。そのように問題は作られているからである。
論理的に答えること。
となれば、国語読解の勉強は、選択肢から論理的感覚と必然性の法則によって本文の核心に到達すること、である。選択肢と本文を「繋ぐ」ことができるか、である。出題者は、客観的に繋がることを当然の前提として問題を作っているのだ。
論理必然性、つまり、論理から言えば、必然となる要素なり、条件なりを見つけること、それが正解でおる。
だから、前提として、本文の要約(核)が必要なのだ。
正解肢は一つしかないのだ。これが出題者の弱みでもある。一つに絞れるように、問題を作らなければならない。一つに絞る作業は、論理必然性しかないのだ。正解は論理必然的に「これ」しかない、というように問題をつからなければならないのだから、必ず解けるようになっているのだ。
論理とは、何か。論理的に詰めていくとは、どういうことか。
これについては、必要条件、十分条件というものがある。PとQという命題にかかわる。楕円Pが楕円Qに含まれる関係を考える。
論理とは、このように「含まれる」「含まれない」関係をイメージしてもらえばわかりやすい。
論理とは、「QしたがってP」 のような関係をいう。あるいは、「Pの前提はQ」という関係である。
上の例で、Q→P は、成り立つが、Q→P は成り立たない。Q→P のとき、PはQであるための十分条件という。また、QはPであるための必要条件という。
論理必然性とは、このようなことである。
実際の問題では、「前提は何か」と問うことである。論理は、繋がりであるから、前提の前提は何か、と永遠に、前提を問い続けることになる。本文の中な、要素、条件に行き当たるまで、前提を問い続ける。
物語文については、何の物語か、を理解することだ。これが、文の要約にあたる。
そして、物語は、まず感じる。そして考える。という性質のものであることだ。つまり、論理ではない。脳がどう感じたか、がすべてだ。物語の問いは、「どう思ったか」が多いのはそのためである。物語については、また別の機会に述べてみたい。多くの、国語参考書が、さまざまなことを書いているが、物語文については、わたしは、そもそも物語は、どう作られているか、という観点から、読み解くのが、正論なのではないか、とずっと考えてきた。物語は、人が、作った作り話である。人は、物語をそもそもどう作るのか、そういう視点から研究してみるのが、本筋なのではないか。作り話である。そして、作り話は、まず人間がどう感じるか、を言葉にしていく、はずである。言葉から、登場人物の、感情を想像する、それが物語である。そうなると、物語の読解とは、言葉の背後にある感情を想像する、こととなる。






