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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟪生贄(いけにえ)社会‼️

2026.01.14

🟪生贄(いけにえ)社会‼️
 学歴という生贄を生産する制度
 金持ちは、貧乏人を踏み台にして金持ちになる。
 幸せの裏には、多くの不幸せが存在する。幸せは、多くの不幸せをやしないとしてある。
 生きるとは、他の生きる命をいけにえにして自らの命を繋ぐことである。
 弱肉強食社会は、原始時代において、もっとも自然である。生きるために、必死で生きる。動物は、他の動物を必要最低限しか食べない。無駄に食べない。食べられないのである。肥満なんてありえない。いつ餓死するか、いつも瀬戸際にある。生きるというのは、いつも瀬戸際だったのだ。
 現代の「生きる」は、貧困で食べられない人と富裕な人たちとでその様相を異にする。社会は、二極化し、貧困層が食べられない層を形成する。
 
谷川俊太郎
 いのちはいのちをいけにえとして
 ひかりかがやく
 しあわせはふしあわせをやしないとしてはなひらく
 どんなよろこびのふかいうみにもひとつぶのなみだがとけていないということはない

 牛の涙 牛の悲痛な叫び
 屠殺場に牛が運ばれてくる
 トラックで数頭の牛たちが運ばれてくる
 屠殺場まで数百メートルまでトラックが迫った時だろうか
 牛たちの悲しい声が響き渡る
 悲痛な泣き声、呻き声、悲鳴が聞こえる
 牛たちはわかるのだろう やがて自分たちが死ぬこと、殺されることが 屠殺場のまわりには牛にはわかる血の匂いが立ち込めているのだろう いつだったか 屠殺場の側を通りかかったとき そういう場面に遭遇した 

  牛肉100gいくらでやがて店頭に並ぶ 名店の名シェフが霜降りの高級肉を客に見せる、あの場面 客は「うまそうですね」と感嘆の声をあげる 牛肉を食べ散らかす若者、子ども 400gのステーキを平らげる肥満の大人 こんなふうに食べられて 

 わたしにはあの時の牛の悲鳴が忘れられない 生きるために食べているのか、 そうではない 無駄に食べていいのか いけにえどころか 牛の命は無駄食いの人間たちのための食糧でしかない、命の代償であることさえ忘れられてしまった
増え続ける人間のために 家畜を増産し、人間の食糧として生まれいずれ食われる定め。
 無駄に食べて、飽食、生きるために食べているのではない。食べる必要はないのに、食べる。生きるか死ぬかではない。そういう瀬戸際にはない。とにかく食うために食う。食うことが目的になってしまった現代人。
 現代人は、ただ食えるだけでは価値として認めない。資産を築き、社会的地位、その他を得て、承認される。食えるのはあたりまえとされてしまった。
 受験シーズンである。子どもたちは、親の「栄養をつけなければ」の元に、毎日、美味しいものを食べることができる。いつしか食べらることは、あたりまえのこと、黙って食卓につけば、食事は出てくる。原始時代のように食べ物を、求めて原野を彷徨うこともない。「ある」のがあたりまえ。牛、鶏、馬、鮮魚、生きとし生けるものが、殺されて食べられる。神様は、他の生き物を犠牲にして生きることを認めた。しかし、美味しいものをたくさん食べるために他の生物を殺すことは想定外であったのではなかろあか。人間の飽くなき食欲は満足することを知らない。肥満社会などという言葉、ダイエットなどという言葉、他の動物に申し訳ない。
 受験するのはいい、しかし、何が、とても大切な何かを、忘れて来たのではないか、何かが足りない、学校教育、受験を煽る大手塾、現代社会に欠けている何か。
 胸がモヤモヤするのは、わたしだけの思いなのだろう。
 スマホを欲しがる小学生、中学生❗️ 欲しがる物はたいてい買い与える親❗️受験を煽る大手塾産業に吸い込まれる親子❗️ 衣食住満ち足りてそれがあたりまえの感覚❗️毎日好きな物を、美味しい物を好きなだけ食べられる子どもたち❗️

 わたしたちは、他の生き物の命をいけにえとして生きていることを忘れしまった わたしの体にタンパク質を与えてくれたのは、一つの生命を犠牲にしてのことだ 
 人間の愚かな行動が、いつか一瞬に終わる時が必ず来る 地球は永遠に安泰なのではない 衝突で一瞬 地殻変動で一瞬 そして生命も一瞬
 死は一瞬❗️ 
 しかし、死に直面しても、その時が来たとしても、「かつて自分が存在しない時があったことなど、誰も気にしない。とすれば、自分がいなくなる時が来ることも、何でもないはずだ‼️」(ウィリアム・ハズリット)

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