2026.01.17
🟩老婆心的知識に惑わされるな‼️
常に「基本とは何か」を問え‼️
ろうば‐しん【老婆心】
仏語。老婆が子や孫をいつくしむように、師が弟子をいつくしみ導く親身な心遣い。また、必要以上に世話をやこうとする気持をへりくだっていう語。老婆心切。
「若は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、不当ならば、慈悲心・老婆心にて能教訓誘引すべき也」(出典:正法眼蔵随聞記(1235‐38)二)
老婆心は失敗する❗️
人間は元来不安症である。人類の保存本能は、まず、恐怖という感覚を分化させた。恐れが自らの生命を守るためのセンサーだからだ。
細やかな神経は先のあらゆる事を想定して気に悩むことになる。
取り越し苦労というのも、同じである。
「取り越し苦労(とりこしぐろう)」とは、まだ起きていない未来のことについて、あれこれと先回りして心配し、無駄な苦労をすることを指します。杞憂(きゆう)(無用な心配)とも言い換えられ、心配しすぎで本来の力を発揮できなかったり、気持ちが不安定になったりする状態を指し、ことわざの「案ずるも、瑣末な知識を増やしていくことは、時間と脳を無駄にするだけである。
こういうのは、神経症に属するのかな、と思う。神経質という言葉もある。人間というのは、言葉で先を予測するから、悪い予測もする。何の根拠のない予測で不安になる。
さて、受験では、神経症は、絶対的に不利である。取り越し苦労をすると、悪い方ばかりに考える。老婆心というのも、悪いことばかり心配して、やれば終わりがない。
最初から割り切って腹を括った方がいい。老婆心で、範囲を広げすぎるな、という話しである。勉強の進捗を妨げるのは、雑念である。その雑念が、老婆心で占められているとしたら、折角の勉強が、あらぬ方向へと向かうこととなる。余計な勉強をしてしまう、ということである。これは、かつての旧司法試験では、致命傷となる性向である。広げてはならない、というか、基本に、常に基本に立ち返って考える、というか、基本に収斂するように舵取りすることである。範囲は広げるのではなく、次第に狭めていく、これが合格のこつである。徒に範囲を広げないこと、これが必勝法である。新司法試験は、素人でもやる気になれば受かる試験となったが、そのコンセプトは変わらない。というか、試験は、とにかく減量していくのがやり方であり、老婆心ながらと付け加えていくのは、破滅の坩堝に自ら飛び込むに等しい。
参考書というのは、高校入試では、不要である。大学入試では参考書勝負となる。その場合も、各科目1冊だけである。1冊に決めたら、どんな魅力的な誘惑にあっても決して参考書の浮気をしてはならない。すべて老婆心の現れである。重ねて言う。一旦範囲を決めたら、範囲は、縮小していくのがベストの方法である。どうやって決められた範囲を潰すかの問題となる。なのに、老婆心から広げてどうする、という話しである。
一旦決めたら、後は潰すだけである。後から後から参考書を足して行けば、永遠に終わらない。というか、1つに絞る効果は、「この1つだけでいい」という感覚がもたらすやる気である。さらに、この範囲を繰り返すことによる、想定外の、実は想定内の、融合がもたらす、知識密度の高質化である。
高校入試では、塾に行っている限り、参考書は、不要なはずである。しかし、塾が信頼に足る前提を、満たす限りである。それだけの責任ある塾か、という話しである。信頼ある塾なら、参考書は害になることもある。範囲は絞れ、の原則に反するからである。竹の会なら、レジュメ以外に参考書を持ち込んでは、失敗する。竹の会は、わざわざ範囲を絞って、提供しているのであり、自己判断で広げるのは、自滅行為である。そんなことをしていれば、レジュメも適当にしかやらないことになる。
老婆心というのは、わたし自身の戒めでもある。今の竹の会には、膨大なレジュメがあり、それらをすべてやることはできない。だからやるべきレジュメは限定する。老婆心から増やして行けば、結局、破滅の道に踏み込むことになる。
いいですか。試験合格の秘訣は、範囲を限定することです。そして一旦決めた範囲は、決して広げてはならない。これが鉄則です。






