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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟩選択肢がないから勝つ‼️  生きることができる❗️

2026.01.18

🟩選択肢がないから勝つ‼️
 生きることができる❗️
 現代は、選択肢過剰社会である。商品の種類が多く、迷わせる。もっとも隣人と同じが現代人の特徴で、自ら選択することはない。現代は、多様な選択肢が豊富に提示される、選択肢過剰社会である。雑誌「選択」は、このへんの事情をとらえての名称なのだろうか。とにかく現代人は、常に「選択」を求められる。就職を下駄を投げて決めたのは、石川啄木であった。
 1908年(明治41年)、函館で職を失い生活に困窮していた啄木は、友人の紹介で釧路新聞社の記者職を得ることになりました。釧路に行くかどうするか迷っていた際、履いていた下駄を投げて、表が出たら行く、裏が出たら行かない、あるいは左右のどちらに倒れるかで決めた、という逸話があります。
 人生において、重要な選択というのも何度かあるかと思います。
 開成と筑駒に受かって、どちらにするか、迷ったのは、令和4年の合格者でした。そうです。選択に迷いはつきものです。何かを買うとき、たいてい迷います。安物買いの銭失いと言いますが、これはその通り。しかし、迷うのは、どちらも品質はいいけれど、一方は、芸術品に近い出来、他方は、実用的という場合です。あと、選択の邪魔をするのは、人間の欲ですね。かつて台風の海にヨットで繰り出して遭難した家族がいましたが、漁師が止めたのに、折角会社を休んで、何ヶ月も前から予約して、高いカネも払っていたので、止める選択肢はなかった、ということなのでしょうか。選択というより、選択そのものができない状況なのに、選択の問題にしてしまった。往々にして、欲は命取りになる。出したカネを無駄にしたくない、という動機は如何にも危ない。3.11の津波のときは、正常性バイアスが、判断を誤らせた。命の危機のとき、日常性に疑いを持たない、疑いたくない人たちが、死を選択した。 
 さて、受験と選択の話しです。わたしは、高校、大学の選択では、迷いがなかった。高校は、県下の御三家の一つ、県立、に入りました。大学は、旧帝大以外の選択肢はなかった。わたしは、大学受験は、独学でした。不親切な、進学校の授業には、とてもついて行けませんでした。わたしが、選択で迷ったのは、参考書でしたね。数学、英語、国語(現代文・古文・漢文・文学史)、理科(生物)、社会(日本史・世界史)の各科目に1冊の参考書を選ぶこと、でした。
 1冊に決めたら、ひたすら読みました。50回目標でした。赤と青の鉛筆を使いました。
🔷唯一‼️の効用‼️

 人間というのは、1つだけというと、やる気が出る。さらに、1つだけがいいのは、その1つを極めることができる❗️ことです。
 1つでいい‼️ やることは1つでいい。これが脳にやる気を起こさせます。ところで、旧帝大の入試で、1冊で通用するのか、という不安、通用するという根拠は何だったのか?
 参考書を本屋で吟味して気に入ったものもあります。雑誌螢雪時代に掲載された広告もよく見ました。常に、定義、基本から説いたもの、本質を悟ることができるもの、レベルは帝大レベル、そういうわたしの基準から選びました。
 それとは別に英単語1万語以上、古語2000語は、暗記しました。これはこれだけはやらないと旧帝大には通用しないと考えたからです。というか、わたしの基準は、「旧帝大に通用するか」でした。
 唯一というのは、受験の極意だと思います。それから「これで旧帝大に通用するか」という検証は常にやりました。時間がなかったため、志望校の過去問は全くやっていません。一応赤本は買ったのですが、結局一度も見なかった。いや正確には、パラパラとページをめくって、どんな問題が出ているのか、ちらっとは見ました。
 とにかくひたすらインプットでしたね。そういうところに迷いはありませんでした。

🔹「迷い」について

 人間は、迷う動物である。迷いは、言葉、言語世界特有の現象のように思われる。何か論文はないかと探してみたが、学者の関心は、迷いは、どうしたら消せるか、という観点から書かれたものばかりで、迷いの正体についての研究は見当たらなかった。

 迷いは、選択の迷いだけではない。何をしていいのか人は迷う動物である。迷うのは、欲があるからである。あらゆる方法を試したが、失敗した、何が正しいのか、わからない、と、迷う。船頭多くして船山に登る、の例え❗️の如し。
 注 指図する人間が多いために統一がとれず、見当違いの方向に物事が進んでしまうたとえ。
 迷いは、真理に達するまで、続く。いや一瞬真理に触れるからそこに希望を、見出して、 迷いを断ち切る‼️  仏教では、迷いに対置する言葉として、悟りが見られる。
悟りとは、何であろう。欲を捨てる、ということか。確かに、迷いが、欲の現れとすれば、欲を捨てることが、迷いを消滅させるはずである。しかし、試験に受かることは、欲がなければあり得ない。悟りがすべての欲を捨てることならばそうなる。無欲の勝利という言葉がある。欲がない方が余計な雑念がなく集中できるということなのだろう。しかし、この無欲は、欲はあるが、欲は水面下に沈めておく、ということである。となれば、一旦欲を収めることが、迷い対策として有効ということになる。
 やはり、有効なのは、「唯一」と決めることではないか。多選択肢社会における処方箋は、「唯一」である。
 何をもって唯一とするか。
 「唯一」に決めるのも、選択である。この最初の選択は致し方ない。この選択は、後から覆えすことのできない選択である。このルールを破るのは、選択の意味そのものを無くする。選択で失敗するのは、後から一度選択したものを変える、つまり再選択することである。これを許せば、永遠に選択することになる。それが無意味なのは、時間が限られているからである。つまり、何事もやり上げるには、それなりの時間がかかる、ということである。何度も選択をくりかえせば、結局、やり上げることはできまい。

 

 それは、決意❗️ もしくは悟りの境地‼️
 迷いを断ち切る‼️
 定数化

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