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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟩やるなら1つでいい‼️

2026.01.26

🟩やるなら1つでいい‼️

 1つがいい。1つで間に合わせる。工夫して間に合わせる。1つだからその長所も短所もわかる。その1つに精通することができる。足りないから1つがいいのだ。人間って、足りないから、工夫するのだ。何もかも満たされていれば工夫なんていらない。つまり、頭を使わない。スペアがあると、1つを雑に扱う。1つを大切にしない。お気に入りを1つ買うとこれが毀れたときどうしようかと一抹の不安が過ぎる。それでどうしても予備を手に入れときたくなる。予備が手に入ると、その1つはぞんざいに扱われがちになる。人間の本性とはそんなものだ。
 参考書なんかもいいものがたくさんあるからといろいろ取り揃えてもやれるのは一冊である。何冊かをやるとなると脳が分散する。人間の脳というのは一度に1つのことしかやれない。
 昨今の言葉に参考書ルートの勉強というのがあるらしい。どうも武田塾などが言い出した言葉らしいが、近年の共通テストには、参考書ルートの勉強では通用しないということが言われているが、その点は、検証が必要だろう。参考書ルートというのは、参考書一冊主義とは違う。「ルート」であるから、段階的に参考書を追うことが前提となっている。一説によると、共通試験の8割は、教科書から出ている。だから参考書ルートは、的外れという意見もある。教科書と参考書のズレが問題である。教科書には載っているが、参考書には載っていないという事態だ。通常は、参考書というのは教科書より詳しいのが売りだ。そのかわり教科書で扱う基本的なことは原則載せない。といっても基本的なことであっても、入試によく出る教科書レベルの知識は
教科書レベルとしてではなく、入試頻出だから参考書には載せるほかない。参考書は、教科書を前提として作られている。ところが共通テストは、教科書の基本から思考力によって導かれる問題、つまり参考書の知識は出さない前提の問題が出される。これは参考書ルートで勉強している者を排除することになるかもしれない。
 参考書で段階的にやる、ということを武田塾というところが言っていることには、特に、意見はありません。というか、どうでもいい。
 教科書が優れものだというのはその通りだと思う。数学、国語はともかく、物理、化学の教科書は、社会に出ても使えるほど役に立つ。生物は詳しい過ぎて参った。地学はきちんと読まなかったが。山川の日本史、世界史もお世話になった。
 参考書が、教科書を深めるというか、数学などは、よりわかりやすい、ということはある。懇切丁寧に説明しているとか、教科書よりは、わかりやすい説明ということもある。
 かつては参考書だけで、大学受験をする、というのが、一般だった、と思う。山川の日本史は、これだけで、東大OKと言われた時代もあった。今では、予備校テキストの整理力にかなうものはない。と言っても、予備校テキストでなければだめということでもない。
 ただ共通テストの難易度が参考書の進化、ヴァージョン・アップを促すことは、必至であろう。
 1つでいい、というのは、わたしの憧れであった。それもシンプルなほど魅力的である。鈴木竹雄の「会社法は、膨大な会社法を、実にシンプルに著した名著であった。定義と趣旨が実に簡潔で明快だった。そうだ。教科書というのは、定義と趣旨だけでいいのだ。それと少しの例があればそれでいい。膨大な知識を分類・整理して、教科書は、シンプルにガイドする。それが教科書の役目だ。
 参考書で受かった時代❗️
 原仙作の「英文標準問題精講」は、英文読解の古典的名著であった。また、赤尾好夫の「豆単は、当時の受験単語をシンプルにまとめたものとしてい重宝した。ただし、今の大学受験には、古くて通用しないだろう。古文には、小西甚一の「古文研究法」があった。高田瑞穂の「新釈 現代文」もよかった。研数書院の「技法数学IIB」は、名著。Z会の「数学IIB」の問題&答案もよかった。山川の「用語集は、当時はまだ薄くかつ網羅的で、そのままこれ一冊で対応できた。
数研出版の生物のB5型の問題集も手頃だった。参考書だけで受かった、良き時代であった。
 竹の会旧教室時代は、参考書界は、細田の数学のような、参考書が売れた。予備校講師の名前を冠したシリーズである。「大学への数学」は、マニアックな雑誌だ。別冊シリーズにいいものが多いが、やはりマニアックである。数学が苦手ならやめたほうがいい。
 いや参考書は進化している。予備校ものと出版社ものが、鎬を削っていた。そのうち出版社ものに予備校講師ものが増えていった。とにかく氾濫状態だ。
 1つというのは、人間に生理的に合う。というか、脳は、複数の情報を同時に処理できない。頭が混乱するというときは、同時に複数の情報を処理しようとしているからである。数学を解くとき、情報処理は、1つずつである。複数の参考書を進めるのもこの生理に反する。あることを調べるために、別の文献を当たるというのは、同時処理ではない。試験で、頭が混乱するのは、あれもこれもといっぺんにやろう、考えようとするからである。ひとつひとつ考える❗️これが一番速いのである。複数のことを同時に考えるなどということをゆめゆめやってはならない。時間がないとどうしてもこの原則が守れない。パニックに陥るのは、こういうときである。混乱は、複数の問題を抱えているときに起こる。プライオリティ(優先順位)を決めて、一つ一つと立ち向かう。宮本武蔵は、一条下り松の決闘で、襲いくる吉岡の門弟たち二百人ほどに対して、田んぼの畦道に逃げ込み、一対一の対決に持ち込んだ。時代劇のように、一人の剣士が複数の剣士を相手にすることは、無理なのだ。その複数が手練れだとすれば、土台勝ち目はないのだ。こうして、問題解決の極意は、一つ一つを順序よく考えることである。
 一つに決めること、これが、極意である。また複雑な、入り組んだ問題状況にあっては、問題を解きほぐし、一つ一つ片付けていくことである。そもそも人間には、複数の問題を同時に解決することはできないのであるから。不可能なことをやるからパニックに陥るのである。
 事は簡単だ❗️常に、一対一で戦え❗️

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