2026.01.31
🟦書いてる文の意味が取れない子‼️
「わかりません」にも段階がある。問題文の意味が「わからない」というものから、問題文はわかるが、解けない、というもの。後者は、実際は、問題の意味がわかってないことが原因のことが多い。そうなると、これは、国語力の話しになる。算数、数学が、できないのではなく、その以前に、国語の力がそもそも問題だという話しである。しかし、仮に、国語ができたとしたら、算数、数学はわかるのか、というと、そう単純でもない。ただ、先の問題のような誤解でわからないという事態はなくなるかもしれない。算数、数学も大切だが、その基盤となるのは、国語ということだ。
問題文の意味が取れないという子は、意外と多い。「先生、質問があるのですが」というとき、問題文の意味を聞きにくる子がいるが、正直失望する。
「◯*△において、○÷△をして割り切れたときは、それを答えとし、割り切れないときは、割られる数を答えとする」
この意味はわかるであろうか。実際の問題には、例が、何個か書かれている。それを見ただけでもわかるはずであるが、その例を見てもわからないという子もいる。もちろん合格するほどの子にはなんということもないのだが。わたしが、IQを読み取るのは、こういう場面である。IQを測るのに、別に知能テストなど必要ない。わたしは、自分の作ったレジュメによって、その子のIQをいつも測っている。というか、私のレジュメは、子どもの理解段階、深度を検査する意味を兼ね備えている。本当に自分で解いたのかも、わかる仕掛けを講じている。私のレジュメは、中学入試の過去問から題材を探すことから始まる。竹の会には、2000年以降の算数の問題が所蔵されている。今は、通称銀本を使う。これは略解しかなく、解答を見ない私には、雑音がなくていい。他人の解答は読むのが苦痛である。銀本を1ページからサーっと目を通していく。良問ハンターとなる。良質の問題を見つけたときは、宝物を掘り当てた気持ちである。良問らしいかな、と思ったら、まず解いてみる。感動的なトリック‼️ 子どもたちの脳にどんなに滋養になるかと胸をワクワクさせながら、レジュメに仕上げていく。わたしは、過去問の森の中を歩く、良問ハンターになった気分で、傑作品を求めて、ひたすら歩き続ける。わたしがレジュメを作るときは、いつも子どもたちの脳にどれだけ刺激を与えられるか、品定めをし、鑑定家になり、試し解き、感動を基準に発掘し、金の原石を掘り起こす。これはいいレジュメになるぞと飛び上がらんばかりに胸を弾ませる。仕掛けを仕込み、子どもたちの才能の発掘に期待を走らせる。
わたしのレジュメをこなせるほどの子でなければ、受験の合格はないことはわかっている。わたしのレジュメはIQ検査でもあるのだ。わたしの苦心の作品が理解できるだけの知能のある子は滅多にいない。わたしのレジュメが天才を育てる。それはいつも感じてきたことだ。昨今は、公立小の8割前後は、境界知能のちょっと上ぐらいではないか、と実感がしている。そういう子でも何も訓練しなければ、将来どうなるか目に見えているけど、親は自分の子がわかっていないのか、習い事に夢中だ。取り返しのつかない状態にして、区立中に進み、区立中の勉強のできない層を形成する。その層はやはり区立の8割である。まともな都立に行けるのは、区立の5%である。塾を長くやっていると「書いてる文の意味がわからない」子たちの異常な増殖を肌で実感する。






