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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立40年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国1位)🟦果たして、勉強しないからできないのか❓    それは問題ではなく、答えだ‼️

2026.02.23

🟦果たして、勉強しないからできないのか❓それは問題ではなく、答えだ‼️

 既に「答え」が出ているのに、それが問題だ❗️課題だ❗️とまるでできないのはその問題のせいだ、とその問題さえクリアすれば解決する、ようなことを言う。しかし、これは、答えを問題にすり替えたもので、巧妙な詭弁である。
 親は、できないのは、当の子どもの能力以外に問題があるからだという姿勢は一貫している。しかし、できないのは、IQの問題である。つまり、できない原因はわかっている。答えは、出ているのに、それを故意に無視して、問題にすり替える。塾の講師は、それを答えにしてしまうと塾の仕事は終わるからやはり決して答えとは言わない。こうして子どもはできないのは能力がないからではなく、努力が足りないからだと一蹴されてしまう。親は子の能力が否定されなかったことに内心安堵するも一抹の不安は消えることはない。それは、本心では、自分の子に疑いを持っているからにほかならない。
 ・最近伸び悩んでいる、成績が下がってきた、内申に5がなく3ばかりだ
 ・勉強しなくなった
 ・塾でよく居眠りをする
 ・ゲームに夢中だ
 ・スマホばかりいじっている
 ・部活に夢中
 ・家でゴロゴロしている
これらは、問題ではありません。ほかならない「答え」です。「答え」が出ているのです。これを問題だとして塾や学校の先生に相談するのは、筋違いだと言っているのです。
 それらは、IQが足りない、という答えなんです。IQが足りないから、本人には、どうにもならない問題です。勉強しないからできないのではなく、IQの壁が立ちはだかっているからできないのです。内申が悪いのはまさにIQ不足の問題です。塾に来るとすぐ居眠りを始めるのはIQが追っ付かないからです。IQ的に興味が湧かない、面白くない、意欲が湧かないのです。部活はある意味現実逃避の格好の逃げ道です。部活に熱心、つまり勉強に手がつかないのは、拒否反応ならぬ逃避行動です。いや脳には無理という赤信号と見ていい。家に居てもゴロゴロして勉強しようとしない、これは、IQが受け付けないのです。勉強しなければならないということはわかっている。しかし、脳が受け付けないのです。IQが悲鳴をあげている、ということです。
 答えは出た‼️
 IQの問題は、勉強がそれなりのレベルに高くなるにつれて、表面に出てきます。まだ易しいときは、本人のIQでもこなせていたものが、受験レベルになってくると、途端にフリーズする、そういうことです。
 自民党が長く政権の座にあって、今のインフレ、円安、物価高を問題としてそれを解決するのが使命みたいなことを言っているのと、変わらない。これまで政権を担当してきたのは、自民党であり、その政策の結果が、今の事態ではないか。つまり、今の事態は、自民党政治の答えである。これを問題にすり替える厚顔、図々しさは、巧妙というより、厚かましい話しである。
 昨今の世間は、答えをすり替えて、これから取り組む問題などと平気で言う連中が、支配的地位にいて、国民をごまかす。
 都合の悪い答えは、問題にすり替える。これは、大手塾では、当たり前のように通用している。「先生、最近成績が下がり気味なのですが❓」と相談すれば、「それでは、指導時間を増やしてみましょう。土曜特訓、日曜特訓もありますよ」となる。なぜ伸び悩んでいるのか、それは指導時間が足りないからだ、特別講座を受けていないからだ、という論理である。
 そうではないでしょ。できないのは、能力が追いついていないからでしょ。端的に、IQが足りないからでしょ。そのへんは、煙に巻いて、問題をすり替える。何の解決にもならない。

 以前大手塾に子を通わせている母親から電話があった。英語が伸び悩んでいるので塾を探しているという話しだった。これなどは、大手の中では必然的にある話しだ。同じカリキュラム、同じテキスト、同じ講師による同じ授業なら、差が出るのは、能力しかない。伸び悩んでいるのではなく、そういう大手の制度のもとでは、必然的に発生する能力差による落ちこぼれということである。母親はわかっていない。大手に身を任せるということは、能力のない子は落ちるということである。

  
 大手塾で、下駄を履かせられて受かってもろくなことはない。それなりの偏差値の中学は、それなりのIQの子たちが集まっているのであり、学校もそれを想定したカリキュラムを組むであろう。塾に目一杯通ってIQがないのに下駄を履かせられて受かった子には、芽の出る余地はない。いくら頑張ってももともとのIQが高くて受かった子たちには勝てないのだ。無理をして合格したとしても待っているのは地獄だ。
 何が間違っていたのか。
 中学入試は、IQの特に高い子たちがやればいいのだ。そういう天才が抜けた、公立中学で、高校入試をやるのが、賢い選択だ❗️
 大手塾がやる算数の勉強は、将来全く役に立たないという意見がある。鶴亀算のように解き方を覚えていく勉強のことだ。中学からは数学になる。算数も数学で解く。それまで習ってきた算数は一度も使われることはない。その通りかもしれない。しかし、竹の会の算数は、解き方も公式もない、自由な思考こそ算数の本質と捉えている。算数は、工夫する学問てあり、脳の訓練にはこれほど優れた科目はない。竹の会から、未来に、東大、京大などの合格者が出るのは、小学の期間における算数の訓練に、その秘密がある、と考えている。算数における工夫して解くという訓練は、この期における、かけがえのない経験となるはずである。
 中学受験はやらなくてもいい。しかし、算数の訓練は、絶対必要だ。これが中学、高校での飛躍となる。
 高校入試は、天才でもない秀才には、賢い選択だ。天才の抜けた、公立中学では、トップに立てる。中学では、平日5時間、休日7〜10時間の勉強が、日比谷、西に行くための標準となる。もちろん早慶、開成、筑駒も視野にある。
 中学受験は、特別の天才だけに意味がある。彼ら彼女らは、大手塾のお仕着せの方法など鼻で笑ってるに違いない。生まれながらにして工夫することを知っているのだ。秀才レベルだと大手塾の方法を理解するだけで頭はテンパって目一杯消耗する。勝ち目はないのだ。そんな連中の抜けた高校入試こそ、秀才が頭角を表す機会だ。下駄を履いた秀才たちがかろうじて中学に合格しても、天才の集まった難関中学の中で、落ちこぼれて行くだけである。秀才は天才のいないところでこそその真価を発揮できるのだ。秀才が弛まぬ勉強を継続し、日比谷、西、早慶に合格し、大学入試では、天敵であった。はずの天才に勝つこともある。天才集団の私立難関中学・高校の中で、落ちこぼれる天才も出てくるからである。高校入試は、天才を避けることの効果をを如実に反映して、秀才は、天才の脅威を気にすることなく、自由に、遺憾なく、その能力を相剰的に発揮することであろう。地方県立高校には、学年1番という子が、東大に受かる、ということがよくある。これなどは、ほかに天才のいない環境が、そうさせた可能性が強い。

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