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現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国)🟪なぜ、竹の会の方法は、強いのか‼️

2026.03.24

🟪なぜ、竹の会の方法は、強いのか‼️

 IQが高いのに、大手でうまくいかなかった子をたくさん見てきた。大手では、その子のIQを生かせないのだ。1週間で次の単元へと大手の授業進度は早い。毎土曜日には、復習テスト、実力テストが実施されるから、子どもたちは、息つく間もなく能力チェックされる。授業進度は速い。予習と復習ができない者は振り落とされる。質問も事実上できない。自分だけわからない、そのために質問すれば、授業が遅れる、周りからは「なんだ、バカ」という空気が痛い。だから質問はしない。子どもたちは、常に、他人との比較のなかにいる。IQの高い者は、常に、上位にいるから、自然立場も優越化される。
 こういう環境で、潰された、もともとIQの高い子が、たくさんいる。わたしは、中学受験で日能研にいた子を中学の3年間指導して、早実に合格させたことがあった。彼ほどの秀才でも、大手には、遥かに知能の高い子たちがいる。IQの高い子が、それよりIQの高い子に潰される。それが大手である。IQのない子が大手に行くのは、これから考えても無茶とわかる。
 常に、IQの際立って高い子たちと常に比較されながら、できないということを植え付けられるのが、大手なのだ。
 竹の会に来た子たちは、まず、そういう比較から解放される。本来IQがそれなりに高いのに、日々「できない」というレッテルを貼られることもなく、初めて、なんの枷もない、自由な環境に、本来の思考が躍動する。周りに、聳え立つ天才はいない。
 竹の会は、大手のように、理解を置いて、先へ進むことはない。大手のような横並びの授業だと、理解しないままに、置いて行かれる子がそれなりに出る。もともと大手は、特に、IQの高い者のみを想定したカリキュラムだからである。合格実績を出すためのカリキュラムである。天才のみを想定したカリキュラムである。竹の会にももちろんカリキュラムはある。しかし、それは、相対的カリキュラムである。カリキュラムの主体は、それぞれの個人である。だから、竹の会では、それぞれに進度が違う。だから、理解を置いて行くなどということは決して起こらない。もしIQがそれなりに高いなら、大手の天才にも負けない、自分のカリキュラムを進めて行く子も出る。

 また、IQが高くても、大手の方式に「合わない」子もいるのだ。極端に、言葉で表現することが、苦手な子がいた。自分の思っていることを、うまく言葉に表現できないのだ。天才なのに、周りが気づかないのだ。だから学校の内申も酷い点をつけられる。教師もわからないのだ。わたしは、そういう天才を発掘してきた。これは竹の会だからできたのだと思う。竹の会は、レジュメを通して、一人一人の能力を透かし見る技術をいつしか完成させていた。だから、わたしは、個人の能力を見抜いて、その能力に合わせて、指導することができたのだ。こういうことが可能な塾というのは、ほかにないと思う。結局、竹の会のやり方で、最後は、大手の天才を牛蒡抜きする、のだ。
 伸び伸びと、頭脳を育てて、最後は、驚異的な力を発揮する。それが竹の会の受験生だ。
 竹の会にいると、大手の魔の手から自分たちを保護していることに気がつかないだろう。そのことは、竹の会をやめて、大手に行ったときに、初めてわかるであろう。大手でズタズタになって、初めて、竹の会の指導の意味というものが、理解できるであろう。わたしは、大手に行けば、たちまち潰れてしまうであろう子たちを、考える主体に育てあげてきた。大手で、考える力がつくことはない。もともとIQの高い、生まれながらに、思考力のある子たちが、そこで、自分よりIQの劣る子たちを優越感の対象にして合格していくシステムなのである。
 竹の会から大手に行けば、初めて、竹の会が、どんなにかけがえなのない塾であったかを身をもって悟ることになる。わたしは、それを知っている。竹の会は、わたしが、作り上げた、最高の、指導システムであり、子どもたちが、指示(処方と呼ぶ)に取り組むことで、処方が効果を発揮する。竹の会のいいところは、子どもたちが、あるいは親が、何をやるか、で、頭を悩ます必要がないことだ。竹の会の処方だけやっていればいい。大手だと、与えられたテキストの、授業で、やらないところ(おそらくテキストのほとんど)は、自分でやらなければならない。また、自習用の問題集も渡されるであろう。ほかに参考書をやる必要もあるかも知れない。とにかく塾のテキストだけでなく、いろいろやることになる。竹の会には、これがない。竹の会でやるレジュメ、その他の教材だけやっていればいい。特に、自分で他の参考書を買う必要もない。というか、参考書を買ってやることは、竹の会の指導の妨害になる。逆に、やってはならないのだ。処方に集中することが求められているのだ。竹の会に来て、参考書をやってた子は、結局、レジュメが疎かになり、本来伸びるはずのものさえもなしになる。そういう例も、長い間には、何人かいた。そういう子というのは、必ずそれまで大手に行っていて、そういうことをいつもやっていた。つまり、塾だけで完結しない前提があった。だから竹の会でも、同じことをやった。竹の会は、竹の会のことだけをやっていたらいいのだ。トータルとして、成功に向けて、見通しをつけ、それに従って指導している。つまり、合格するように面倒を、見ている。ここのところは、親、特に、母親が、指導妨害をする形が多かった。家で、勉強計画を母親が仕切るのだ。過去問も家でやらせる。それで過去問がわからないと、「説明してやってくれ」と言ってくる。迷惑な話しだ。家で、本屋で買ってきた参考書をやらせる。レジュメを教える。こういう親子は、合格した試しがない。
 竹の会では、本人が、レジュメを相手に、思考を巡らす、指導を通して、工夫する、工夫して、解くということを学んでいきます。数学でも、算数でも、工夫する、ということが、すなわち思考の核心です。問題を見たら、さて、ここではどんな工夫が必要かな、と頭を巡らす。工夫するのが、学問だ、ということをとことん学ぶのです。この工夫する精神は、科目を問わず発揮されます。国語でも、英語でも、とにかく工夫する、そういうことができるようになる。
 竹の会には、定番の勉強法として、レジュメ、過去問の7回解き直し、というのがあります。この解き直しにも、工夫の精神が生きています。解き直しでは、さらに、工夫することはないか、もっといい工夫はないか、と頭を巡らすでしょう。いつしか、あなたは、何事にも、工夫することを常とする人になっているでしょう。竹の会の合格者たちが、入試直前に、恐ろしいほど伸びていくのは、竹の会のこのようない指導の仕組みのせいなのではないか、と思います。
 竹の会の指導の価値がわからない人が、他塾に行ったとき、初めて竹の会が素晴らしい塾だったと実感するのは、よく聞きます。検索で「竹の会のような塾」と探した、元塾生の親がいましたが、竹の会という塾は、いわゆる塾とは違いますからね。授業はないし、だからテキストもない。それから大手から来た親が、宿題はないのか、と訊いてきますが、ありません。教材は、レジュメと呼ばれます。指導のために作られたものです。レジュメ制作の話しは、このブログでも何度も書いていますので、そちらをお読みいただければと思います。指導は考えるということを指導するものです。レジュメは、思考する材料を提供するものです。問題レジュメ、解説レジュメがあります。問題レジュメで考える。時間をかけて考える。ここで、IQの差が現れる。IQの高い子なら、解いて、解説レジュメを読める。解説レジュメには、工夫が図解入りで、懇切に語られている。こうして、IQの高い子は正解率も高く、成功裡にステップアップして行く。IQが普通なら、正解率も普通、つまり、標準以下の問題が解けるだけ。だから指導と、「所以」「由来」から説明する。解説レジュメを読んで理解できるか、というレベルかもしれない。IQが100未満だと、指導は、たびたびに挫折を味わいながら、悪戦苦闘する。「教える」というのは、指導としては、最悪の手段である。理想は、理解ステージの段階を下げて、そのステージで考えさせることである。ある問題がわからない、というとき、その問題を説明するのではなく、その問題の属するステージを下げる、あるいはステージの、つまりバックボーンの理解に戻ることである。
 竹の会のレジュメは、進化を々、体系化され、更なる到達点へ進みつつあります。

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