2026.04.03
🟪桜修館トップテン合格🈴多数
竹の会出身者から東大・京大合格者続出‼️
令和に入って、東大2名、一橋大1名
平成20年から31年まで、東大1名、京大2名、一橋大1名、東北大1名、東工大2名
早慶は、十数人を数える。明治、青山学院、学習院、中央などの報告もある。
注意してもらいたいのは、竹の会では、高校受験生は、0人〜4人、通常1名、中学受検は、コロナ時期の令和4年を除いて、3名前後ということである。ここから、如何に、大学進学先がすごいことなのか、・・・
竹の会指導の到達点❗️
竹の会は、昭和60年10月開設のときから、「考える」ことを如何に子どもたちの中に芽生えさせ、育てるか、引き出すか、に取り組んで来ました。最初は、問題をとにかく考えさせる、ことを指導してきました。幾百の実践を重ねるうちに、思考を妨げる様々な障碍をそれと認識し、それを排除し、思考を育てるのに何が必要か、煮詰めて行きました。
例えば、大手が使う、膨大な厚さのテキストは、思考には、よくない、ということです。授業で、解説される問題以外は、すべて自分で解け、ということですよね。思考というのは、同時に複数のことは考えられない。多数の問題を与えられて、全部解け、と言うのは、思考には、害しかない。テキストの何ページからを解け、とか、思考の負担は大きく、思考は働かない。また、授業を聴くだけの時間は、思考は働いていない。講師の言うことを理解することに頭は集中する。聞き逃し、聴いていない、聴いたけどわからない、そんなことが、普通にあるはずです。家庭でも、宿題、しかも大量の宿題、それを限られた時間で解く、そんな状態で、思考なんかはたらくわけがない。早稲アカなどの大手進学塾には、確かに、優れたテキストが、あれこれと豊富です。しかし、如何に優れたテキストでも、あまりにも多いのは、害悪でしかない。何もかも揃えられると、思考は働かないのだ。不足、不完全な状態が、思考を促進する。人間は、足りない方が、脳を働かせる動物なのだ。また、考えるという環境もある。周りが、黒板の板書を夢中で写しているときに、自分だけ考える❓ ないでしょ。大手進学塾は、テキストに思考が駆逐される仕組みになってしまってる。これは、実は、予備校一般に言えることである。資格試験の予備校も隆盛だが、予備校の提供する教材は、素晴らしい。今の、Z世代なら、手軽で楽で、受け入れ易い。しかし、その反動は、覚悟しなければならない。まず考えることをしなくなる。あるいはテキストの中でしか考えられない。さらに、自ら「まとめる」「整理する」「分類する」という労苦を他人任せにしたつけは払わざるを得ない。まとめ能力のない人間に何ができるというのか。常に、他人のまとめたものを求めることになる。他人の労苦をカネで買うという習性が身に染みてそれが生き方にもなる。
いいですか。思考というのは、知識がなければ働かないが、ぎゅうぎゅうの知識は、思考を麻痺させるのです。知識は、思考によって消化されたものでなければ使えないのです。思考というのは、その意味で、消化酵素みたいなものです。思考重視で行くと、知識はほどほどにということになる。
思考がはたらくには、十分な時間が必要である。思考する間もなくドンドン知識を詰め込めば、思考どころではないのです。間というか、ゆとりというか、遊びというものが必要なんです。思考というのは、ある程度のゆとりがないと働かないのです。大手のような分厚いテキストを手にした途端思考は完全停止してしまうでしょう。自分の能力を遥かに超える知識を詰め込むことが、どれだけ脳を破壊しているか、わかりますか。
理解できないことを理解しようと頑張っても無駄です。脳になんの利益ももたらさない。自分の頭で、理解できないことを、他人に説明してもらったら、わかる❓ そんなわけないでしょ❗️
四六時中他人に説明してもらわなければ、理解できない頭なんて何の役にも立たない。わからないなら、まず自分の思考環境を整えることでしょ。
思考指導というのは、この辺の機微を捉えての指導なんです。タイミングというのを見ている。また、指導する子のIQを勘案して、説明のレベルは決まる。IQの高い子には、最低限のヒントを暗示するだけでいい。すべてを基本から説明していくのは、IQの低い子だ。何度も何度も基本とのつながりを教え込むしかないのだ。
なにもないところに思考の杭を打つ。あるいは思考の芽を引き出す。そのために、わたしは、思考の枠、つまり型を考案した。思考の型に当てはめて、機械的に、導き出す方法を発明した。最初は、この型でとにかく考える。そのうち型に、そのままでは当てはまらない事例も出て来る。事例を型に合わせて、解釈する。ミクロマクロと名付けた、その方法は、型に慣れた子たちを型にとらわれない思考へと広げて行く。また型では解けない問題を忍ばせることで、新たな思考、つまり工夫を学んで、思考は広げられる。竹の会の子どもたちが、1年、2年と割合を軸に思考する習慣、思考力をつけていくのは、正直、驚異的とも言える。
竹の会の指導課程を乗り越えた子たちが、将来の、東大、京大合格の素地を、竹の会で作り上げていったことは、その後の彼ら、彼女らが、証明している。
わたしは、元々高校受験を専門として、指導して来た人間である。どうすれば合格するか、できるか、わたしは、手に取るように、わかる。子どもたちが、わたしの指導について来るなら、親御さんが、わたしの指導を全面的に信頼してくれるなら、わたしは、合格をもって、その信頼に応えるであろう。教材に何を使えばいいか、どういう問題を解かせればいいか、具体的な、取り組み方、すべてわかっている。V模擬の使い方、データ分析の方法、データの読み取り、すべてわたしにはわかっている。どうすれば合格できるか、わたしにはわかっている。40年余の受験指導の経験、40年の研究が、わたしに、受験とは、何かを体験的に、体に染み込ませた、というべきか。わたしの指導は、受験のプロとして、数えきれない失敗と成功から、わたしの中に培われて来た、何層にも重ねられた経験と勘が躍動する、自分でも想定を超えた、技術・技芸・パフォーマンスである。






