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現代受験論(桜修館・都立青山・戸山の専門家/開成・筑駒合格塾)🟦遂に到達した国語読解法‼️  絵画の観察にその本質を見る‼️

2025.10.04

🟦遂に到達した国語読解法‼️
 絵画の観察にその本質を見る‼️

 ①は、中学受験の合格実績を謳うイデア国語教室主宰とある、女性の本
 ちょうど観察ということに関心を持っていたので、買ってみたが、内容はない。国語問題集の問題を単なるチェックテストと切り捨てているが、例えば、早稲田大学の現代国語の問題を単なるチェックテストとしていいのか。わたしは、設問そのものに観察の、ヒントが隠されている、と思っているので、そこから本文の観察のヒントが得られると考えるので、これを単なるチェックテストと、軽く遇らうのは抵抗がある。また、この女性の本のタネ本は、②のようである。②は、有益な読解のためのヒントを、与えてくれた、わたしには目から鱗の本であった。というか、絵画と観察については、既に書籍が出ている。つまり、この本はネタバレしている。⑤も国語教室をやっている女性の本。この人は、ことばの定義に読解のヒントを得たようだ。①も⑤もウィトゲンシュタインの言語論的転回には知らないのだろう。そこにこれらの本の底の浅さを見た。言語というものの独り歩きを知らないのか、言語には必ず事実の裏付けがあると信じているようだ。観察という視点により鋭敏にヒントを与えてくれたのは②である。

参考にした書籍
①「国語の成績は観察力で必ず伸びる」(久松由理)✖️
②「知覚力を磨く」神田房枝著◎
 ※観察とは、視覚がとらえたありのままの事実をよく観ること、と定義している。
③「観察力をつける」小川明 1997年の古い本 時代遅れの本✖️
④「観察 生きるという謎を解く鍵」アルボムッレ・スマナサーラ 想田和弘 ○
※わたしの求めている内容とは違った。
⑤「ことぱの観察」向坂くじら△
 注 ことば、ではなく、ことぱと表記している。
※国語教室もやってる女性のようだ。
⑥ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」◎
⑦「物語批判の哲学」難波優輝○
⑧「はじめてのウィトゲンシュタイン」古田徹也◎
⑨「柏木達彦の冬学期」冨田恭彦◎
※言語論的転回の入門書
⑩「短歌の友人」穂村弘
※先の⑤の本のタネ本
以下は、これから読む予定の本です。
⑪「観察の練習」 菅俊一
⑫「問題解決のための名画読解」
エイミー・E・ハーマン
⑬「観察力を磨く名画読解」 エイミー・E・ハーマン
⑭「観察力を鍛える」 佐渡島庸平

 もともと国語のための参考書を執筆することからわたしの読書の旅は始まった。本を書くときは、いつも読書の旅に出る。長いトンネルのような旅が待っている。今回は、国語ということで、実は、最初からわたしにはこれというものがなかったこともあり読む本が増えていった。数学や英語とは勝手が違った。予備校の講師が、さまざまな読解法の参考書を書いているが、どれもわたしを納得させるものではなかった。ウィトゲンシュタインに出会ったのは、石原千秋の国語シリーズからだった。哲学の本は、難解という意識があり、なかなか敷居が高かった。いろいろ哲学の本を読み漁り、ようやくわたしにもわかる解説書に巡りあった。ウィトゲンシュタインを研究するうちに、言語そのものを観察することの意義を認識することとなった。また、そういう目で読書を、重ねるうちに、多くの本の欠陥に気がつくことができる、ようになった。
 さて、それで、読解とは何か。大学入試問題国語をどう考えるか。
 読解とは、文章の観察である。観察には、武器が必要である。それが語彙、そして文法だ。文法は、言語学習でありながら、その実質は、情報に溢れたコンテクスト内で、部分をじっくりと観察した上で、それを全体へと関連づける、ということを可能にする。
 したがって、国語読解の第一歩は、語彙を増やし、文法、つまり、文のルールを、学ぶことだ。特に、文法こそ文章解読のための重要な素養となることであろう。レオナルド・ダヴィンチの生きたルネサンス期、文法は、修辞学、論理学と並んで、3学とされたほどに重要性の認識があった。文法を通してわたしたちは、部分的な理解から全体的理解へと達することができるのだ。語彙、文法を固めたら、読解の技術を観察を実践することによって、培っていくことになる。観察とは何か。それはレオナルド・ダヴィンチのノートを見ればわかる。観察の方法は、名画の観察で鍛える。
 プラトンに学ぶ「問答」の効用‼️
 「ソクラテス式問答法」が有効です。「なぜわたしはそう解釈したのか、どこでその事実を知ったのか、なぜそれが正しい事実と言えるのか、もしその事実が正しくないとすれば、解釈はどう変わるのか」など。詳しくは、「ソクラテスの弁明」などを読んでみてください。問答は、観察を確かにする。問答は思考そのものである。観察思考とでも言うべきものです。わたしたちは、名画の観察をする。観察とは、ただ見るのではない。観察によって、私たちは、部分図の解釈から全体図を解釈する。そこからある物語を発見することになる。名画の観察から得られた断片は、物語を補強する。私たちは、断片を有機的、有意的に繋いで、あたかもジグソーパズルのピースをはめていくように、絵画の全体図を想像する。絵のどこにも描かれていない、その意味で目に見えないものを観る、それが観察だ。 
 名画からわたしたちは、語られていない物語を観る。物語の全体図は、名画の観察によって、断片(ピース)をはめていくことによって、読み取る。と言っても、ピースはすべて揃うわけではない。私たちは、重要なピースの与える情報から全体図を想像するのである。それを見えない部分を、観るという。

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