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現代受験論(桜修館・都立青山専門/開成合格塾)🟦飢餓を知らない現代人は、旧石器時代人に劣る‼️  現代人に必要なのは飢餓  〜飢餓の研究

2025.09.30

■会員ページ記事「2026年度高校入試必勝のために」

🟦飢餓を知らない現代人は、旧石器時代人に劣る‼️
 現代人に必要なのは飢餓
 〜飢餓の研究

 飢餓の消滅が、現代人を肥満にした。飢餓の時代と違って、現代は、炭水化物は、大量に生産される。料理という文化が、現代人を炭水化物過剰にするのに抗えない力と、なった。現代人は、糖質過剰により、病気になるしかない。
 人類は、いや地上の動物は、飢餓が常態の時代、生き延びるために、飢餓を前提とした遺伝子として進化したと思われる。だから余った炭水化物は、内臓脂肪として、内臓に、肝臓に蓄積された。飢餓の時、これらの脂肪は、エネルギーとして使われるはずであった。しかし、現代人に、飢餓はなかった。だから脂肪は蓄積されるだけで、使われることは永遠にない。したがって、現代人は、飢餓という環境を自ら整えなければ、滅ぶ運命にある。
 飢餓を知らない人に、生きる、食べるために、何かをする、という観念は生じない。
 飢餓は、人間の最も自然な状態なのではないかと思う。原始時代、獲物を求めて何か月も原野を、彷徨った、私たちの祖先、いつも空腹を我慢していた。ようやく、何か月ぶりか、獲物を仕留めると、仲間で分け合って食べられるだけ食べたに違いない。またいつ食物にありつけるか、何の保障もないのだから。
 弥生時代になって、農耕社会となると、安定した食糧の確保が可能となった。稲作である。家畜というのも、非常食の食料としての意味合いがあったと思う。
 現代はあらゆる作物が、安定的に栽培される。また家畜も大量に飼育され、肉類を供給する。現代人は、もはや飢餓に見舞われることはないのである。もちろん未開発国の人たちが、未だに飢えに苦しんでいることはあるが、ここでは、テーマとの関係で、原始時代との比較において現代を述べることに力点がある。
 つまり、飢餓がなければ、人間は、生きる力を発揮できない。何もかも満たされた環境、境遇においては、生きるために、死に物狂いになることはない。肥満と病気が、現代人の悩みというのは飢餓のない証明である。
 明治には、苦学生というのがいた。東京で金持ちの書生をやりながら、学校に通うのだ。この書生には、飢餓に似た状況がある。
 現代のように、親が勉強部屋を用意し、机、文房具、鞄、靴、スマホ、何でも買ってやるところでは、飢餓はない。つまり、こういう子たちには、勉強する、やむにやまれぬ事情がないのだ。
 英語だって、単語を、覚えなければならない、本能からくる必要がない。飢餓がないからである。英語やらなければ、飢餓に陥る、そういう危機的状況予測がなければ人間というのは死に物狂いにはならない。
 ボクシングでは、下積み時代を支えるのが、ハングリー精神と言われるのも同じ論理であろう。
 人間は、飢餓に恐怖を覚える。飢餓を知っているから、生き残りのために死闘するのだ。子どもをぬるま湯の中、温室の中で育てた親は、同時に、子どもが飢餓を知らないために、飢餓を恐れて本能的に生きる術を奪ったことになる。過保護、甘やかしは、子どもを独り立ちできないように、躾けていることにほかならない。
 「獅子は子を千尋の谷に落とす」という教訓が、あります。
 獅子(ライオン)は子を千尋(せんじん=非常に深い谷)に突き落とす、という意味です。そして這い上がってきた子だけを育てる、つまり「生き残る力のあるものだけが生き残る」という教訓です。古典では、『太平記』巻第十六「正成兵庫に下向の事」(14世紀)に出てきます。
楠木正成が子の正行に諭す場面に、次の原文が出ます(抜粋):
「獅子子を産で三日を経る時、数千丈の石壁より是を擲…」
(= 獅子は子が生後三日たつと、数千丈の絶壁から投げ落とす…の意)
 さて、世の中の風潮が、学歴社会だからといって、我が子の能力、性格も、顧みず、受験だ、と大手塾に狂ったように通わせる、そういう親には、欠けている冷徹な姿勢ですね。

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