画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立40年

現代受験論(桜修館に強い塾 都立独自校に強い塾 開成高校合格・筑駒合格・渋幕合格実績 駿台模試全国第1位)🟨子に甘い親の末路‼️

2026.08.04

🟨子に甘い親の末路‼️
 歳を取り、育てた子に、縁を切られる、そういう年老いた親が、結構いるらしい‼️
 働き盛りのときに、子育て、子になに不自由ない生活を与え、中学受験という集金システムにどっぷりカネを吸い取られ、やっとの思いで合格した私立学校も集金システムには違いない。さらに塾、予備校、大学、資格試験予備校、大学院と、集金システムは続く。やっとの思いで育てあげた子が、大手に就職し、やがて結婚する。家庭を持ち、子が生まれ、お宮参り、七五三、入学式とその度にお祝い金などと子にカネを使う。さて、年老いて、年金暮らしに入っても、何やかやと子の無心は止まらない。実家帰省のたびに、少なからぬカネが出ていく。親が子のためにカネを出せる間は、子も懐く。犬は餌をくれる者に懐くという。しかし、その無心にいつまでも応えることはできない。歳をとり、病気もするだろう、税金、保険料と出ることばかり。  

 しかし、子は親のそんな境遇を思い測ることもない。子の無心は続く。子はもはや無心ができないとわかると途端に背を向ける(らしい)。離れて行く、あるいは絶縁をしてくる子もいると聞く。結局、何が残るのか。子が成人しても子のために尽くす、それはいい。しかし、自分たちの生活が、立ちいかなくなっても、子は自分のために親は尽くすべきだと、幼いときから洗脳され続けて、自分がそれなりに稼ぐようになってもその意識はそのままに何かあればすぐに親に泣きつく。何かと親に無心する。親がまだ元気なうちは親もなんとかやりくりして、凌ぐだろうが、稼ぎのない年老いた親には限界がある。そのことを察しない子もバカだが、いつまでも親になんとかしてもらえるという、単細胞な子に育てたのは、他ならぬ親なんだろ。
独立したはずの子から死ぬまでせびられ、カネがないとわかると、縁を切られる。
 親は子のために自分のことは後回しにしてきた。いやいや、自分たちの生活が軸だろ。子には独立心を洗脳しなければならなかった。それが教育の意味だ。勉強さえできればいいと子を甘やかしたつけは、いつか払わなくてはならない。いつかその時が来る。いい大学、いい会社に就かせることが、教育だと勘違いした親の末路。親は子のために尽くすものだ。もしその親の心に将来子が自分のために尽くしてくれるという期待があるなら、それは間違いだったと知ることになる。子は親が尽くす、身を犠牲にするのは、「当然」とされて洗脳されてきたのだ。親が年老いても子は親が死ぬまで当然自分に尽くすものだと洗脳された。死んだ後も親の財産を食い尽くすだろう。
 子には、生存競争の中に、放り込まれて、生き抜くには、自らの独立心を磨き、将来一人立ちして、生き抜く力を与えなければならない。子に与える教育は、そのようなものでなければならない。過保護は、教育放棄である。将来一人立ちできない子を必死に育ててどうなる。本当の親の愛は、子をペットにして可愛がることではない。教育とは、厳しく子に立ち向かうことが、本質として、前提として、内包されている。子は、未熟、未形成の真っ只中にいるのであり、ここに「甘さ」を持ち込んだら、どうなるか、考えたら分かりそうなものだ。「アリの一穴」と言う。綻びたら崩れるのは速い。そうなのだ。親そのものにも、思考というものがないのだ。ただベタベタ可愛がるだけの親ばかりだ。
 独立「心」とは、心の問題である。つまり、心を鍛えることである。その心は、「考える」心である。「考える」とは、主体性の源泉である。主体性が、自己の存在、存立を意識させる。ここから独立心が生まれる。大手で、知識の詰め込みと宿題に追われて、「考える」というゆとりを与えられなかった結果、生まれた自己中心性癖には、主体性の欠片もない、独立心とは凡そ真逆の、依存症に病んだ、化け物が造られる。無定見な親が、自己しか見ない子を量産する世の中になってしまった。
 多くの親が、判断を誤るのは、「考える力」がないからだ。「伝聞」で動くからだ。どんなに偉い人が言っても、それを鵜呑みにしてはならない。ノーベル賞の山中教授が言ったから、信頼できるのか。彼は、新型コロナ蔓延の時期、盛んに、SNSで、何か言っていた。しかし、彼は、ウィルスの専門家ではない。専門でもない者が、なんやかやと述べる。あの時は皆んなが、似非専門家になった。ノーベル賞って、その人の全人格性、完全性を認定するものではない。

ページトップへ