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現代受験論🟦一を聞いて十を知る‼️という勉強

2025.07.05

🟦一を聞いて十を知る‼️という勉強
 
 値段の高い筋トレの本には、あらゆる種類の筋トレの方法が写真付きで網羅されていました。しかし、いざ、実際に試そうとしても、一つの方法を1ページ(写真入り)で要点のみを書いたものでは、役に立ちません。具体的に、そう、やってる人には当たり前かもしれないことが書いていない、そういうところが具体的に知りたいわけです。
 これは、法律専門書にも、あります。理論的なことは、抽象的なわけで、じゃ、具体的に、裁判所、法廷では、細かな、具体的なことは、どうやるの、となるのですが、そういうことは、一切省かれています。専門的なことが、わからない原因は、実は、案外そういうところにあるのです。
 抽象的なことが、元の、つまり、昇華前の具体的なことと結びつかない。だからエビデンスは❓ということがあります。
 値段は普通、ある人が自分の経験を本にしたものが、一番使いやすかった。「一番」というのは、十種類以上読んだことから出る言葉です。わたしは、何か研究課題があると、そのテーマについて、少なくとも十冊以上の本は結果として読んでいますね。一冊で済めばいいのですが、言語論から無理です。事実、読めば読むほど新発見の連続です。言語論からは、一冊だけでは、言語で表されきれていないからです。
 専門書の読み方というものがあります。これは私流です。わたしは、まず、入門書を読みます。通読用には、概説書がいい。ただし、専門の全体というか、概観を薄い一冊に「まとめる」のは、かなりの大家でなければできない相談です。大家の書いた入門書なら、鳥瞰してますから、名著となることが多い。「まとめる」というのは、単に、要約という以上に、分類とラベリング(名付け)が、難しいものです。専門書と概説書を読み比べてみると、抽象化されているところが、よくわかる。
 以上は、「一を聞いて」の一にあたる部分です。「十を知る」とは、別に、天才的なものを求めているわけではない。翻訳すれば、「推論して」の意味である(私見)。大切なのは、「一を聞いて」の部分である。十を推論できるだけの一だからである。だから具体的な知識、理解を具体的なままにしてはだめなのである。つまり、一般的に「使える」知識、理解にしておかなければならない。それは、抽象化しておくということである。あたかも人間が食べたものを、例えば、糖ならいったんグルコースに変えるように、あるいは肝臓で脂肪に変えるように、蓄えておく。知識や理解は、抽象化することが、後に「推論」の根拠となり、具体的知識に還元される。となると、何もかも網羅的に覚えることは、そもそも不可能とはいえ、頭の悪い人のやることです。効率も悪いし、その必要もない。普段の勉強は、抽象化することが、中心である。
 抽象化とは、分類することである。共通点でくくり、一つの項目として分類し、それに名前をつけることである。名前は、言葉であるから、抽象化そのものである。
 抽象化とは、脳に格納するための変換である。恰も肝臓がフルクトース、グルコースを脂肪に変換するように。こうして必要な時に、またグルコースに戻すのと同じく、抽象化された、ラベリングされた知識は、再び具体的なものに還元されなければならない。
 
 抽象化の逆を反芻することによって、具体的な知識を想い起こす訓練をするのが、念には念入れる、ことになるのは、もちろんである。
 あなたたちが、できない、あるいはできるようにならないのは、抽象化(分類)という頭の働かせ方をしていないからだ。分類というのは、区別することである。区別には区別の根拠がある。それは、これらの知識にある共通項があり、一つにまとめられる。つまり、他の知識とは、区別される、線引きして分けられるということです。この共通点に着眼して、名前をつけます。抽象化というのは、名前をつけることなのです。
 あなたたちは、具体的なものを具体的なままに、何の分類もしないで、そのまま覚えようとしていませんか。そもそもそれでは理解も困難だと思いますよ。
 そこがそもそもの間違いなのです。
 一を聞いて十を知るとは、都合そのようなことです。

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